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誕生日は嬉しい日

おはようございます。朝、文字で心を整えるyakoです。

今日は、尊敬する人惣士郎さんの誕生日です。おめでとうございます。
世界を代表するスピリチアルリーダーとして、大いなるビジョンを見せてくれてありがとうございます。

って書いたら、「惣士郎 怪しい」の検索ワードが増えるのかな??(笑)

喋ってみると、なんら怪しい人ではない。
普通の人でもないけどね。


見えない世界も大切にしたい私にとって、わかりにくい世界をわかりやすく説明してくれる人のひとり。

昨日「惣士郎さんは、誕生日あたりで意識してることってありますか??」と聞いたら、

毎日が誕生日のような気持ちで生きてる

と言っていて、惣士郎さんがいうとなんでも納得してしまう感じになってしまう。ずるいな と思っていた。

でも、よくその言葉をリフレインしていると。。。。

そういえば、私。よく誕生日してもらってるな。
と、思い出す。

2歳児もおままごとの仲間に入っている時、
誕生日の歌を歌い終え、誰の誕生日にするんだろう??
と思っていたら、「誕生日おめでとう、yakoちゃん」
と、お祝いしてくれた。

彼らにとっては、誕生日はすることよりも してもらう 参加するもの。
(あれ??なんかうまく説明できないな・・・)
自分の誕生日の意識というのはこれからできてくる感覚であり、(まだ、時間への認知も不確かで曖昧、)
誕生日=誰かをお祝いする=楽しいこと。 なのだろう。

楽しかったことを遊びにかえるってさすがすぎる。

自分で何かをすることよりも
誰かにしてもらったことの方が多い乳幼児。
それを
ただ、同じように誰かにやっているのだけど
ちゃんと受け取って、自分なりの表現に変えてることがなんともいえない素晴らしさ。(大人を喜ばせようとか そういうのは考えてない。ただやりたいだけっっていうのも私は好き)

だから、大人さん。
お願いだから、お手伝いしようとしてたら 大変だけど手伝わせてあげて欲しい。
何か拾ってきたら、虫でも 石でも 枯れた葉っぱでも 持ってきたら受け取って欲しい。

もちろん気まぐれで 曖昧・・・大人が期待するようにはいかない頃がまたいいところ。

そして、子どもは時間軸が不確か。「今」を生きる天才。いつもその瞬間で生まれ変わってる。だから、その瞬間誕生日。(大袈裟かも)

と惣士郎さん誕生日の話から、子どもの話になってしまった。

そう!
私は、子どもから学んだものを大人に伝える役割がある。
もっと、大人がありのままを生きられるように。

子どもから学んだことを伝えていく。

そんな場所も、これから作る。

ほらまた。惣士郎さんの誕生日から話題がそれたけど・・・・

惣士郎さんは、こうやって文字化するのも力を貸してくれるような気がする(はい。怪しさ。たっぷり)

こうやって、誰かの誕生日は、毎日ある。
当たり前だけど、当たり前ではない。

誰かと誰かは、影響しあっているから。

今日を迎えているみんなおめでとう!!
って気持ち。(今日から、締めの言葉をこれにしようかな)

では、改めて・・・

今日を迎えているみんなおめでとう!!
いってらっしゃ〜い。

※ヘッダーの写真は、33歳のときの誕生日会の写真。『3』をのせたかったのです。


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