両親との和解
10代の頃。水泳選手になりたかったわけでもないのに、気付いたら、選手コースで週5回泳いでいた私は、ちょっと忙しかった。
ちょうど岩崎恭子がオリンピックで金メダルをとったあたりで、我が静岡県は大フィーバーしていたから、水泳人口が一気に増えたあたりだろう。一緒に泳がせてもらったし、サインももらった。
そんなこんなで夜は、ほぼほぼ家にいることがない。水泳以外の習い事(ピアノ 習字 塾)してたから、友達と遊ぶのは、隙間時間。宿題もある。
そんな毎日だった。
『気付いたら、なんとなく』
の裏には、結構大切なことが隠れていて。
すっごいやだったこともあるのに、なぜかしっかり学生時代を水泳に捧げてしまった理由のひとつ。。。
私から見れば、なんでもできるのに、外で働くことも許してもらえず。家の愚痴ばかり言っていた母親を家のそとに出してあげたかった。
それに気付いたのは、20代前半、母親と対話中に行き着いた結論だった。
辛い苦しい。そんな思いから始まった対話は、思わぬところへ行き着き。
そこから、改めて私は、私のために生きるんだ。と決意したのだ。その瞬間から、平等になった。
私たちは、親を選んでやってくるという考えが一般的になりつつある。
だとするならば、両親との和解は、自分が生まれた理由を受け入れることにつながる。
腹の底から自分が好きになる。第一歩は、両親との和解から。
別に仲良くしなくてもいい。もう年齢的に亡くなってしまっていたりもするのだから。頑張って会いにいかなくていい。
ただ、こちらの捉え方を変えていこうという話。無理してでも、感謝しろという人もいるけど。そんなんうるさいわ。と放っておけばいい。今、どんな気持ちでいるかに正直になることをくりかえし、気付いていけばいいと思う。
そんなこんなで、ケンカが日常会話の父親への感情も、大嫌いから大きく変化した。
私は、実家にもどる。あんなに嫌だった実家。出たくて仕方なくて、でも若い頃は臆病で、まだ囚われているものが多過ぎて、さらに向き合いきれなくて、出なかった。
すっきりと実家を出て、数年。
まさか戻るなんて思ってなかったけど、結構楽しみでもある。
新しい物語は、生まれたところで作り出していこうと思う。きっと今がベストタイミング。
セミが喜んでいる声を聞きながら、今日もいってらっしゃ〜い。
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