この職業は、昔からなりたかったわけだはないし。子どもも最初から、こんなに可愛いなって思っていたわけでもない。
たまたま、なんだかわからないけどきてしまった。道である。
高校3年生。ボランティアしてたら、大学の推薦もらえるんじゃないか??
と浅はかな理由で職場のボランティアをした。
そしたら、衝撃が走ってしまったのだ。子どもたちの姿が輝いていた。
そこからは、とにかく職場に通った。この保育を学びたかった。知りたかった。
初めて担任をもったのは、年中さん。
・何していいかわからない
・何を言っていいかもわからない
・楽しさがわからない
という、わからないことオンパレードなのに。
わからないことが、まじでわからない。それもわかってない。
そう、わかってない。わからなくて当然。でも、そこを追求しなかった。怖かったのだ。何年もボランティアで来ていて、「わからない」をいうことが。。。
プライド。いらないプライド。
そして、ある時。職場の人の目線を気にしている私に気づく。。。
周りの評価。同僚と比べる私。ちゃんとやれてる??
そんな言葉が私の中に渦巻いていた。
いらないものに取り囲まれて、子どもに向かい合っていたのだ。
なんて、失礼なんだろうか。必死なのに、保育士として視点がずれまくっていた。
そして、その渦は、大爆発する。
わからない
移動になった時。全部わからなくなった。
やっと。わかってない私に気づくまでに、一体何年かかったのだろうか??
やめたい。逃げたい。
周りじゃない。私なんだ。って私が変わっていくんだ。
と気づいた。
そして、やっと私の保育士としての本当の毎日が始まったように思う。
わからないことを許せないでいると。いいことなんて一つもない。
楽しいことも、苦しいことも、向かい合って泣くこと、大はしゃぎすることも、怒られることも、泣くことも、嬉しくて嬉しくて泣いたことも、心配することも
ダメダメな保育士だけど、逃げなくてよかった。と今思う。
そんな話を、一年目に担任をもった尊敬するお母さんに「ごめんなさい」という気持ちで打ち明けた時。
「あの時のあやちゃんに、私の子どもを預けてよかったと思ってるよ。」
みたいなことを言ってもらえて、めちゃくちゃ泣いたのを今。
急に思い出した。
真っ直ぐな子どもの眼差しや言葉は、私の心をあぶり出すようなことがある。
保育という仕事は、本当に奥が深い。まだ、全然わかってない。まだまだ知りたい。
その仕事を、今最大限の私で。やってこようと思う。
いってらっしゃ〜い。
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