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どちらかではなく、どちらもやっていいんだよ。〜篠原ともえが好き〜

おはようございます。朝、文字で心を整えるyakoです。

小学校の頃、アムラーにもシノラーにもなりたい。
わがままな小学生でした。

上底、タートルネックもミニスカートも。
ガチャガチャした腕輪も、背中の羽も、ぐふふふーという笑いも。

両方つけたかった。。。いい時代ですよ。
TVがものすごく楽しかったのです。TVの先には、憧れの人がいた。面白かったなぁ〜。

どっちも本当。どれか一つにしなくてもいい。


篠原ともえ(さん)は、ガチャガチャしてるだけではないことに『CUTIE』という雑誌のモデルをしてる彼女を見て思ってた・・・。

可愛い うるさい を超えて、美しいと思っていた。

みんなのイメージしているシノハラ(さん)が・・・

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これだとすると、

私のイメージは、今現在のこのシノハラ(さん)を見ていた感じがする。
あんなガチャガチャしてる人も、雑誌の映る時は、この顔この表情でした。

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変化したといえば、変化した。
その頃、コギャルでガングロメイクをしていた高校生たちも、もう落ち着いて家庭を持っているまたは、仕事でバリキャリになっている。

人は、ずっと同じのままではいられない。結果、変化している

なぜ、シノハラ(さん)のことを書きたくなったかというと、対談番組に出ていたのです。

TVだから、もちろん意図的に編集される部分をあるとはいえ、
当時を「とにかく楽しかった。刺激だらけで、おかげでデザインが止まらなかった」というニュアンスのことを語る。

そして、松任谷由実さんの衣装デザインをした時「この素晴らしい舞台のかけらになったことが嬉しくて、今までは前に出ることが喜びだっけど、これからこの仕事が続けられるなと思った」みたいなことを言っていた。

当時、シノハラ(さん)のラジオも聞きまくり、雑誌が出るたび買って、テレビも欠かさず見ていた私は、彼女が洋服やデザインのことが楽しくてたまらない。と言っていたのを聞いたので、「夢」を叶えた彼女のことを、本当に嬉しく思っています。おめでとう。

全然リアルであったことこともないけれど、本当に素敵だな。と思う。しゃべっていると、しっかり面白さや変さが滲み出てる感じも、好きです。そこら辺は、変わらない部分だったりしますね。

夢中になって、生きていた。
そんな感じがするから、好きなのかもしれません。

本当のことは何も知らない。だからこそ、素晴らしい想像をさせてくれるのが、TVの向こう側の世界。

そして、彼女をみてると思うのです。人は、いろんな面があって当たり前だよね。って、
TVと雑誌。全く別の表情を見せる彼女は、どっちも本物。

人はついつい、一つの面だけをみてあーだこーだ言いますが、人間ってひとつの面だけがあるだけではないのです。

それを、無理して一つにしようとする、余計ややこしくなる。
今の学校教育とかは、そんなものを、まだ抱えているような気がしてしまいます。

多様性な社会なんです。
その中で、人はもっと多様ですし、不確かで曖昧なんだよなと・・・・。
考えても理解することなんてきっと不可能。
不可能ということは、無限の可能性が秘めているということなのでしょう。

だから、「私は、〇〇だから」と自分で自分を決めつけるより、「やってみようかな」くらいの軽さが、いいのかもしれません。やってみて、合わなければ、ちゃんと色々が(身体感覚 感情)が教えてくれると思うのです。

すごい勝手な想像ですが、きっとシノハラ(さん)は、身軽さと努力を両立できる人だと思います。変化のなかで、変わらず大切なものを大切のできる人

大好きなものを、続けることは楽しいだけでは、ない。
YOASOBIが言ってたけど、本当にその通りと思うので、大変なことを乗り越えながらもなお、大好きを捨てない。
そんな力を感じますし、シノハラ(さん)からもらえます。
私も、大好きを続けよう。

という、ただのラブレターです。

新しい朝は、希望の朝。
どっちか決められない時は、どっちもやればいいね。
いってらしゃい。また明日。







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