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『立場』を越えた先に見えるものを見てみたい。

おはようございます。
朝、子育てを応援するayakoです。

私は相変わらず、子どもを見本に生きているのですが。。。
仕事を辞めてからの人間関係を考えています。

子どもの『在り方』を見本にすると、誰とでも関わりたくなる。

最近、通い始めた美容院さんは、卒園生のおかぁさんのお店です。
気にしなくていいのかもしれませんが、働いているときは『先生』という立場があるので、特定のおかぁさんとだけ仲良くするのは、ダメだと思っていました。

『立場』って、なんなのだろう・・・??

無意識に、人間関係に壁を作る。それが『立場』という捉え方です。
でも、無視するわけにもいかない・・・。
『平等』とかって言葉でもなんだか違う気がするのです。

と思考を使い始めると、ややこしくなってくる。

ただ単純に『この人と居たい』と思っているかどうか??
なんだと思うのですが、
まぁ思い込みの激しい人間なので、立場 肩書き 見かけ で人間をジャッジしてきた部分があるなぁ・・・って。振り返ると・・・。

綺麗な人といた方が自分に価値がある
とか
肩書きのある人というと自分に価値がある
とか

そういう風に思ってたことがあります。
誰にでもあるんだと思うんです。

『立場』と『ジャッジ』
そんな世界で作られた人間関係に本当の繋がりなんてないよなぁ・・・。

そんな時やっぱり見本は、子どもの姿です。

「今この人と居たいからいる」が前提の気がするんですよ。

『気まぐれ』といえばそうなのですが、
なんでそんなにフラフラと!!!
と大人から見ればイラっとするようなことも、子どもは平気であちこちへ。
「遊び」だったり「人」だったり「雰囲気」だったり
感覚をめちゃくちゃ優位にしていますね。
というか、考えてないですね。

そうそう!!はじめは、人間関係を考えないんですよ。
でも、大好きな人に怒られたり、嫌な表情されると、だんだん記憶に蓄積されて、『思い込み』として、フィルター化される。

大好きな人・・・一番はじめに出会うのは、両親ですね。

ただ、両親は簡単には離れられない。だからこそ、お互いの学びになってくんのですが、話は、人間関係に戻り・・・・

本当に感じている心地の悪さを、無視していいの??
私が私を一番感じてあげたいのに、『嘘』ついてていいの??

というところで、
『ここにいなきゃいけない』教育を受けてきてしまった私たちは、嫌な人の話でもちゃんと聞くように、学んできてしまった。

でもでも

本当は、「つまんないです。帰ります」

って言いたかったよね。って、思うのです。

とはいえ、ミラーの法則という言葉があるように、自分の内面にあるものしか、人は現実にも見えないので

『つまんない』要素を持ってるから『つまんない』 になる。
だって、楽しい人は、楽しんでいるのです。

見える形で『立場』から解放されても、
結局最後に見えるものは自分の『心の在り方』

人間関係を通り過ぎ、学び、感じてきた『大人』だからこそ、無邪気に関わっていったらどうなるのか??

という興味関心があります。
偉大と呼ばれる人は、偉そうにするわけでもなく。
誰とだって、同じ目線で話をします。
肩書きや、見かけじゃぁない のです。

目の前の子どもにだって、うっかりかけてしまう 思い込みフィルターを外し心から『この瞬間』を楽しい時間にできたらなって思うのです。

なんかいい感じ と呼ばれる人でいたいな って感じています。

新しい朝は、希望の朝。
木曜日から、阿蘇へ遊びにいく(ダジャレみたいになってる)
ので、そろそろ準備が必要です。

毎朝、書いている、このnoteの時間はない!ような??
どうしたいかな〜??
と自分と対話中です。

そんな対話も良い感じです。
素敵な1日をお過ごしくださいませ。

いってらっしゃーい。
また明日。


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