このモンブランは登れない
おはようございます。朝、文字で心と整えるyakoです。
栗の旬が始まったとき、
本当のモンブランが食べたいな。と 思った私。
以前カフェでバイトしていた時のモンブランは、
缶から出てくるマロンペーストかベースだった。
なので、そちらは偽物になる。
私の「本物」とは。
今年とれた栗を使ったモンブランである。
そしたら、意外と近所のケーキ屋さんで、食べれることがわかったのだが、旬のものだから、数回しかお目見えしない。行けるタイミングを尽く逃してしまった。
なので、ふつふつと・・・この気持ちの向かう先を探していたのだが・・・義理の姉のインスタで、渋川煮をモンブランにしている画像が上がり。
謎の・・・・
こりゃ、もう作るしかないんじゃないか??(私が作るの??なんで、めんどくさいのわかってるのに・・・??エーーー!!こんな気持ち湧いてこないでよ。)
と、少し旬を通り越した栗を見つけ出してきた。
料理のできない私は、強い見方がついている!!
レシピ動画さん。
彼がいれば、そんなにブレることなく作れる。
文字だけでは、わからないことも動画の力で理解できる。
素晴らしい時代。
日曜日の23:00、夜中に手間のかかることなんて始めたら、寝れないのに。
そのタイミングしか時間が取れない。ので、やることにした。
鬼皮を剥くのも、重曹で悪を抜く作業も。
嫌いではないな と思った。
大橋トリオを聞きながら、作るんて。
私ちょっとおしゃれじゃない??なんて、自分に酔ったりしながら・・。
そして・・・・料理
というと、必要にかられて「やらないといけないもの」
ポジショニングになることが多いような気がする。
そんな姿を嫌というほど見てきた。
誰かのために、作りたい! から、始まり。
大抵の人が「やらなきゃいけないもの」になりがちなものだ。
毎日、必ず訪れる場面だから・・・
・「今日、作るのめんどくさいな・・・でも、家族がいるからやらなきゃ。」
・「健康のためにこうやってやらなきゃ」
・「お腹すいたから、なんか食べなきゃ。なんか作らなきゃ。」
・「彼の胃袋を捕まえるために作らなきゃ」
というのは、私のポリシーに反する(急にポリシーとか言っちゃう)
私が、料理ができないと言い続けたの心は、そこにあるんだな。
と、気づく瞬間。
できないわけではない。(いや、できないのよ。)
したくないわけでもない。(じゃぁ、やりなさい)
ただ、私が作りたいと思った時、作りたいと思ったもの を作りたいんだ!!「それを「料理」と呼びたい!!
と
自分の為だけにせっせとめんどくさい作業をしていることを見ている私がいう。
結局。
私が作っていて、楽しい!と思えるかどうか??
なのかな??
と対話を繰り広げながら、作った情熱のモンブランは。。。
レシピ動画が頼りと言いながら、適当にお砂糖を入れるし。
アク抜きも、何回やったか忘れちゃうし。渋皮も美しく取れないよー。
(和菓子屋さんの渋皮煮とか、洋菓子屋さんのマロングラッセがめちゃくちゃ高い理由がわかった瞬間)
そもそも、裏ごしする道具とか、モンブランの口金もない。
タルト生地を焼く気もなければ(蕎麦ぼうろで代用)、スポンジもない(ホットケーキで代用)。
情熱が保ち続けられないまま、完成に至る・・・・
おはぎのようなモンブランが出来上がりましたとさ。
でも、やりたい!と思ったことを叶えてあげるのは、誰でもなくまず私自身。
願いを叶えてあげると、嬉しさが溢れてくる。
味はどうあれ、見かけどうあれ。
やったことを褒めたい と心から、感じた月曜日の休み。
なのでした・・・。
さて、さて、今日もいっぱい遊んでこよう。
皆さんも。いってらっしゃーい。
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