運営紹介 原田 大吾
はじめまして、起業家育成高等学院運営の原田 大吾です。
我が校は、2020年4月に日本初の起業に特化した高校を開校しました。斬新な取り組みをしている一方で、まだ社会での認知度は低いです。認知と起業家教育の可能性を広げるために、これから運営が活動や想いの発信をしていきます。また、本校の生徒も自身のアカウントで活動の発信をしていますので、是非ご覧いただけたらと思います。またリンクなど共有します。
今回は、初回ということで私自身の自己紹介をさせていただきます。
簡易版のプロフィールです。もし興味を持っていただけましたら、この後も是非ご覧ください。
1. 生い立ちと15年間の野球人生
私は、徳島県鳴門市里浦町という四国の最北東部に位置する街に生まれました。鳴門金時「里むすめ」というさつまいもが有名で海と山に囲まれた自然豊かな街です。
2人の兄の影響で幼稚園の頃に野球を始めました。小中高と所属チームで主将を務め、中高では徳島で優勝するなど約15年間野球打ち込みました。特に高校は野球漬けの毎日で、徳島で1番甲子園出場回数が多い徳島商業高校に入学しました。家の近くにも強い高校もありましたが、より厳しい環境でしたいと思いがあり徳商を選びました。同じ県内でも家から遠かったため寮に入り、本気で野球に打ち込む環境に身を投じました。野球を通して、仲間と支えあいぶつかり合いながら協力する心や目標に向かって努力を積み重ねる大事さをを学びました。この教訓は、野球をやめた今でも僕の人生の大きな糧となっています。
2. 中学生の頃に教員を志した
私の人生で大きな転機となった出来事があります。それは中学校野球部の顧問の先生との出会いです。その先生は私が中学2年の時に赴任してきて、そこからチームも私自身も大きく変わりました。
変わったのは、野球に対する取り組む姿勢、そして野球以外の日常生活も全て目標に一貫して考え行動すること。最初の練習はミーティングでした。まずは、チームの目標を明確にすること。私たちはチームの目標が統一できておらずまとまりがありませんでした。だから、目標を定めチーム全員が同じ熱量で野球に取り組む。その意識改革から始まりました。
そして先生の教えは野球だけでなく、「野球選手である前に一人の中学生。学校の看板を背負い挑戦するのだから学校のために行動して、先生や友達、地域の人から応援されるチームで在りなさい」や「野球はルールが複雑なスポーツで細かいサインも沢山ある。野球で小さなことを徹底するためには挨拶や掃除、ルールを守るという日常生活の小さなことも当たり前にできる人間でないといけない」など、これまで意識もしていなかったことまで教えていただきました。
とても厳しいし最初は疑い半疑でやっていましたが、取り組み方が変わると結果も変わりました。それまで、公式戦で一勝もできていなかったですが、先生が来てからわずか2ヶ月で県大会2連覇している強豪校を倒し県大会に出場することができ、県大会では準優勝するまでに至りました。そこからは完全に信頼に変わり先生についていきました。本当に厳しかったですが、愛情がありとても熱心に指導してくださいました。先輩が引退し、自分たちの代では県大会で3回優勝して、先生のおかげで野球の結果だけでなく私自身の人生も大きく変わりました。(優勝旗を持っているのが私で、私の横にいるのが昨年日本ハムにドラフト1位で入団した河野竜生投手です。一つ下の後輩で彼も中学で大きく成長しました。)
先生から教えていただいたことは今もずっと私の軸になっています。私もこの人のように誰かの人生に大きく影響を与える人になりたいと思いました。中学校を卒業する頃に将来は教員になろうと思ったのを覚えています。
3. 教員を目指さなくなった理由
教員になるためには教員免許を取る必要があるため、高校卒業後は大学へ進学しました。大学の授業や実習で教員に必要なことを学び自分がどんな教員になりたいのかも改めて感じました。やはり1番強く想うのは、中学で恩師の先生に出会ったように、生徒の可能性を広げ人生に大きく影響を与える人になることです。
しかし、大学の授業や教員採用試験の勉強をしている中で、この方法で本当に私の目指すところにいけるのか疑問が浮かびました。その理由は2つあります。
1つは、大学2年生の頃から学外で活動する機会が増え、イベントやセミナーに参加したり実際に自分でもイベントの主催や事業をしたりする中で、他大学の学生や様々な職種の社会人の方と関わりましたが、私は社会のことを何も知らないと実感しました。知識も経験も全くない。経営、起業、インターン、ベンチャー、ITなど知らない用語を初めて耳にしました。働くとは何か。他の業種や企業は何をやっているのか。大学卒業してすぐに教員になるとその知識や経験がゼロの状態で社会に出る。もし生徒がそういった職種を目指したいと言っても何も分からないし、そもそも私みたいに興味すら持たない若者がいっぱいいるはずで可能性を引き出すこともできない。その時になんで学校でそれを教えてくれなかったのだろうと疑問に思いました。
もう一つは、自分自身がもっと挑戦して成功や失敗など様々な経験をするべきだと思いました。たった22歳で人に教え続ける立場になるのは違うというか重みが足りないという感覚が自分の中にありました。もちろん担当教科のことやこれまで本気で野球に取り組んだ経験は伝えられると思いますが、それだけでは自分の中で納得ができませんでした。私自身まだ夢を叶えたことがないので夢の叶え方は教えられません。自分がこれからも夢に挑戦してその中で培ったものを伝えていこうと思いました。大学卒業後すぐに教員にならなくても免許があればなることはできる。だから、まずは自分自身のやりたいことに挑戦し続けて、口ではなく生き方で語れる人になると決意しました。
その想いでこの2年間で、他の分野に就職することも考えましたし実際に興味ある分野で事業もしました。私が興味を持ったのは地方活性と経営でした。そして活動をする中で、この起業家育成高等学院を運営している株式会社Armoryと出会いました。その後Armoryに参画し自分自身のビジョンも明確にして、「徳島を希望に満ちた街」にしたい、「徳島で挑戦できる若者を増やしたい」と想うようになりました。詳しく話すととても長くなるので、もしご興味がある方はこちらのnoteをご覧ください。(https://note.com/daigoharada/n/ne773a1763133)
教師も一つの選択肢であり、教師という職業でなくても誰かの人生に大きな影響を与えることはできると想うようになりました。
4. 起業家育成高等学院にかける想い
これらの経験から私は教員としてではなく、1人の社会の先輩、人生の先生としてこれから多くの人に自分の経験やエピソードを伝えていきたいと思うようになりました。この起業家育成高等学院に関わることもその一つです。
この起業家育成高等学院は生徒に対して、起業家、経営者、会社員、フリーランス、大学生など様々な人が教育する仕組みをつくっています。本校のビジョンは「選択肢を選べる人財へ」です。起業家育成という名前ですが、起業も一つの選択肢です。生徒が在学中もしくは卒業する時に、あらゆる選択肢の中で自分の理想を目指せる選択を選ぶことが大事だと考えています。どんなキャリアを描こうが「自分の人生の軸を持つこと」「社会に対して自分のできることで貢献していくこと」は共通して必要なことです。
そのために運営陣も教育に特化しているのでなく、それぞれの夢ややりたいことに挑戦している最中です。その中で自分が経験したことや高校生の時に知っておきたかったことなどをカリキュラムにして授業で伝えていきます。自分の目指す領域で自分より進んでいる人は皆んな先生です。
教員になるという目標から経営、地方活性という分野で活動するようになり、手段は変わっても中学生の頃から抱いていた「誰かの人生に大きく影響を与える」ようになりたいという軸は何ひとつ変わっていません。
これからは、1期生として今年度入学してきた生徒と向き合い彼らが本校に入学してよかったと心から想ってもらえるように最高の環境をつくっていきます。また、来年度以降に多くの生徒がこの環境を知り興味を持って入学する人が増えるように認知も広げていきます。そして、自分の夢でもある「徳島を希望に満ちた街」を目指し活動もしていきます。私が自分の夢に挑戦して一つでも進歩すれば生徒に伝えられることも増えます。反対に一つ失敗したとしてもその経験を伝えることもできます。自分自身が挑戦する中で生徒に伝えることを増やしていくというのが、この高校の運営としてもおもしろいと思うところです。
初回長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、頻繁に活動報告や想いの発信をしていきますので、ご覧いただけると嬉しいです。
2020.5.8 原田 大吾.