続 クライマーズハイ(横山秀夫、文春文庫)

クライマーズハイのラストの望月投稿について。
かつてはこのシーンを是としたが、今回かなり引っかかった理由を考察した。

他にも書たいことはあるが、一部は自分の中でボツにしようと思う考察もある。

この件にこだわっているのは、本作の批判の意図は微塵も無い。作品を深く解釈しようとする試みである。

前起きが長くなった。

望月投稿以降の展開が、引っかかるのはこの部分がストーリーを毀損しているように見えるからだ。

私が北関の人なら、悠木にいう言葉は、
「それがやりたいなら一人で勝手にやれ。周囲を巻き込むな。」
だと思う。

しかも、関わりたくないなら、外でコーヒー飲んでろと、わざわざ挑発するような言い方までする。 

それを言ったら、北関の人は、悠木の行動に批判も擁護も出来なくなる。

この発言で、他でもない悠木自身が、北関内部の言論の自由を封じているのだ。望む望まないは別にして。

しかも悠木はこの投稿を採用するに至るまで、北関内の、周囲あれだけ反対されても頑なで、読者からもクレームが来ているのに、それは別の担当者にやらせている。

白河が「水爆」を、落とした時も若干、日和ってる。いや、それ悠木が率先して、場を収めないと。

しかも、クレームを受ける担当たちは「悠木がきつい投稿を載せる」と言われていたという話に、「これも謀略ではないか?」みたいなことを考えている。
これは悠木への謀略という意志はあらかじめ心の準備をさせておく気遣いであろう。

悠木もクレーム対応は行っており、お叱りを受けるシーンはあるが、ここまで来ると、「悠木もクレーム対応の現場を見た」という事実を作りたいだけではないか。

あと、悠木へ。
大久保連赤の栄光を疎ましく思うのは分かる。実際の連赤のことは知る由もないが、悠木自身が、疑心暗鬼に陥った共産国家の独裁者のようだ。
望月の泣く姿を想像すると言うのは、個人的で、感情的すぎる。
新聞の社会の木鐸たることを、放棄している。

ちょっと絡みすぎな気がしてきた。


望月彩子についても、書きたい事があるが、ここまで。

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