「多様性とはコスモポリタニズムであり、アノミーの一形態である」試論

多様性の時代らしい。

これが、私に大変な混乱を招いている。

まず多様性の起源は、コスモポリタニズムにある。(インターナショナル、グローバリズムでも無い)。

性差別、さらには国境すらも曖昧な、徹底的なコスモポリタニズム。

この概念は主権国家という概念を希薄にする。
いわく「多様な個人が手を取り合い連携、連帯する」かのような幻想を振りまいている。

果たしてそうだろうか。

それを目指したのが、ソビエト連邦であり、今ならEUなのだろう。

主権国家の起源は、ヨーロッパの30年戦争(1618-1648)の後のウエストファリア条約にまで遡る。

ヨーロッパをゆるく支配していた神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)とドイツの300もの諸侯との殺戮戦を経たあとウエストファリア条約を経てヨーロッパでは主権国家の概念が誕生した。

主権国家の本質はそこに無限の権力(unlimited power)を持たせることにある。

結果は、近現代史を概観しても分かるように、二度の世界大戦の例を見るまでもなく、終わりなき戦争の時代に至る。

現代の多様化をめぐる混乱は、「もしかして国家なんて古く無い?そんなの無くして、ゆるく繋がれない?」というコスモポリタニズム、あるいは劣化に劣化を重ねた共産主義の残滓の産物なのでは無いだろうか。

推察だが、神聖ローマ帝国の支配した中世ヨーロッパは、多様な民族が相互に自由に行き交いながら、国境もなく、ゆるい統治でどうにかなったのではないか。

ある意味、「多様性」があったのだと思う。

それが21世紀にまともに適用されるかというと、当然、「無理」が出る。

その「無理を通せば道理が引っ込む」ような気になるのが、この「多様性」という用語だ。

それを是とする事で、また中世ヨーロッパを大いに凹ませた30年戦争の悲劇が生まれる事になろう。

いや、今のロシアによるウクライナへの侵攻も起源を辿ればかつてのソビエトというコスモポリタニズムの失敗から起因していると言えないだろうか。

「こうしてソ連は崩壊した」を観てから、今の侵攻への見方が変わった。

政治学者の小室直樹氏はアノミーという概念を用いて、その崩壊過程まで含めて予言し、的中させた。

多様性とは、あるいは、ソビエトを崩壊せしめたアノミーの一形態なのかもしれない。

多様性が日本社会で受け入れるには、その後来るアノミーや分断を覚悟しなくてはならないだろう。

https://www.weblio.jp/content/アノミー

こうやって考えていると、村上春樹の「1973年のピンボール」で、主人公が、双子に説く言葉を思い出す。

「世の中には120万通りくらいの対立する考え方がある」そして、諦念にも似た言葉、「誰とも友達になんてなれない」。



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