芦田愛菜との共存


私が小学校に上がる頃世は大子役時代であった。鈴木福、鈴木梨央、小林星蘭、本田望結、谷花音、その中でも1つ頭抜けていたのが芦田愛菜である。これらの子役達は全員2004年生まれであり、同じ2004年生まれの一般市民達はこの子役達と一度は比較されたことがあるのではないだろうか。

大抵の女の子は小さな頃「可愛い」という言葉を沢山浴びせられて育っているだろう。
幼少期何となく自分は可愛いと自覚はあったものの、私は幼稚園の年長で劇の主役(マッチ売りの少女)を任され確信へと変わった。

私達が幼稚園年長の頃、芦田愛菜は一躍有名になった。私は周りから可愛いと育てられたために芦田愛菜がテレビに映る度「なんでこの子はテレビに出れてるんだろう?私の方が有名になれそう」という考えで頭がいっぱいになった。

ある日、親が小学一年生という雑誌に私が描いたイラストを送ったところ、そのイラストが掲載されることになった。私はそんなこと初めての経験なのでウキウキで買いに行き、持ち帰ってすぐに開いた。
私のイラストはページの中で一番小さく、白黒で記載されていた。なんとなく寂しい気持ちはあったものの、両親や祖父母が喜んでいるし、初めての経験でとても嬉しかった。

その後、ページをめくっていると一面全部をつかって芦田愛菜が新人俳優賞を受賞した記事が載っているのを見つける。

実際の記事

私は名前と絵が小さく白黒で載っていただけなのに、芦田愛菜は可愛いドレスを着て沢山写真が一面に載っていたことに衝撃を受けた。
小さい絵が載っただけで喜んでいた自分と、今までこの子より可愛いと思っていた自分を限りなく恥じた。

私は小さいながら、「この子は自分より可愛いし演技もできるし、自分が一面の記事になることは一生涯無いだろう」と私は人生で初めて敗北を知ることになった。

毎日毎日芦田愛菜をテレビで見る度、引け目を感じていた。ただ、自分は一般市民でありしょうがないという気持ちも半分あった。

時は経ち小学校4年生頃、私は中学受験塾に通うことになる。勉強するのは元から好きで塾に通うのは望んでいた事だし、ストイックな性格だった為中学受験には向いていた。ただ、上には沢山勉強出来る子がいて私は大してできなかった。したいことをするタイプだったのであまり成績は伸びなかった。
ただ、中学受験至上主義みたいな親でもなかったのでのんびりと受験を迎えることになった。
そして本番。私は滑りに滑り、過去問を一回も解いたことがなく受験当日初めて訪問した共学の私立中学に通うこととなった。

その頃、中学受験界隈では「芦田愛菜が桜蔭を蹴り、慶應に進学するらしい」という噂が流れ始めた。桜蔭では芸能活動が禁止らしく、芸能活動に力を入れてる芦田愛菜は桜蔭を蹴るという選択をしたという噂だった。(真偽不明)

私は「ここ(学力)でも負けるのか!!」と二回目の敗北を知ることになる。
小学校のクラスでは一番頭が良かったし、学力にはそれなりに自信があった。芦田愛菜にはもう何も勝てないんだと思った。滑り止めの学校に進学することとなった上、公立中学を志望していたが為に、親から「貧乏神」と崇め奉られ(?)、私はどの分野でも秀でることのできない人間なのだと劣等感を抱きがちな人間になってしまった。

ここまで読んでくれた方は察してくれたかもしれないが、私は極度に「他人と自分を比較し優劣をつける」という癖がある。

ある時友人に「通信でありえないくらい美しい人を見つけてインスタを聞いたら、プロフィールに『翠嵐』と書いてあって自分は全て負けてるんだと思い悲しくなった」と話したら「なんで勝手に比べて勝とうとしてるの?」と言われてハッとしたことがある。

自分は全人類に勝手に勝負を挑み、勝手に負けている部分を見つけ自己肯定感を下げているのである。
これは思考のクセだと気付けたものの、治すのにはかなり苦労しそう。

たまに妄想状態が悪化し思考が歪んでいる時は、芦田愛菜は私が劣等感を感じる為に自ら創造した、私だけの脳みそに存在する架空の人物なのだと考えたりもする。
そう仮定すると、沢山の人は架空の存在である芦田愛菜について話しているから「この世は私の為に作られたもの」なのだと確信できて楽になるのだ。

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