自由という凶器
おはようございます。
街中で「僕、西野さんに似てるって言われるんですよぉ~」と声をかけられても、「お、おお…」としか答えられないキングコング西野です。
#なんて言えばいい
さて。
今日は「『自由』は時に凶器だよね」という、タイトルで、最近の体験談をお話をしたいと思います。
先月、ふと思い立って、竹富島(沖縄)に行ってきたんです。
宿泊したのは星野リゾートさんが運営されている『星のや竹富島』なのですが、そこが本当に最高だったのが、“何も無い”んです。
厳密に言うと、「何も無い」を作っているんです。
竹富島の夜って、メッチャクチャ暗いんですね。
「そういえば『夜』は不安で、怖いものだった」と教えてくれるぐらい暗いんです。
なので、「月明かり」や「外灯」や「遠くに見えてきた宿の弱い光」に安心させられるんです。
すっかり忘れていた「光の温度感」や「光の安心感」を思い出させてくれるんですね。
『星のや竹富島』も、その文脈上をキチンと守っていて、敷地内に入っても、まだ「暗い」んです。
部屋は一軒ごとに「離れ」になっているのですが、フロントから、自分の部屋に行くまでの道がキッチリと暗くて、移動する時は、部屋に付いている『懐中電灯』を使って、足元を照らさなくちゃいけない。
ちなみに、最近、懐中電灯で足元を照らして歩かれました?
歩いてないですよね。
これは、まさに、「暗い」に価値が生まれている瞬間なのですが、オーナーのサービス精神から敷地内に外灯なんて設置してしまったら、この価値が下がるわけじゃないですか?
外灯なんて設置したら、「懐中電灯で足元を照らして歩く」というエンタメと、暗い場所から明るい場所に辿り着いた時に生まれる「安心感(感情の揺らぎ)」を、根こそぎ奪ってしまう。
竹富島に行く理由が一つ無くなるわけですね。
ちなみに、島のガソリンスタンドも屋根が赤瓦になっていたのですが、全体を通して持った感想は、
「竹富島は、ずいぶん俯瞰からデザインされているなぁ」
でした。
だいたい、日本の地方(田舎)って、東京に憧れたオジサン達が、地元民しか喜ばない東京のコピペのコピペのコピペみたいな糞建築物を量産して、外から来る人を減らして、お金が落ちなくなって、死んでいくじゃないですか?(※口が悪いぞ!)
しかし、竹富島には、それがありません。
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