初踊りと初舞台
初めて踊りに興味を持ったのは、幼稚園だったか小学生だったか、ピンクレディーの歌と振り真似をテレビの前で踊っていた記憶があります。
当時はドラマや人形劇なども好きでテレビからカセットデッキに録音し、台詞を書き下ろし、友達集めて劇ごっこもしたり、とにかく芸能事が好きでした。
中学生の時にマドンナの Lucky Star のPVを見て衝撃を受けて近所のジャズダンス教室に数ヶ月ですが習いに行ったのが本格的なダンスとの出会いでした。
それでも当時は歌の方が好きで、家でずっと歌っていた学生時代。
高校時代も歌が大好きで、バンドのヴォーカルもしたり歌手に憧れていました。
卒業後はバスガイドからはじまり、事務員や水商売など経験しましたが、マハラジャへ踊りに行ったりショーを見に行くことに夢中でした。
そんな中ショーダンサー募集の広告を見つけ、ショーパブのオープンメンバーとして1年働きました。
1994年3月11日 十三ミュージックでデビュー 初舞台。
十三ミュージックの踊り子として、渡辺理緒という芸名をつけてもらいました。
デビューしたきっかけは、デビュー前に一年間ショーパブで踊る事の楽しさを知り、もっと踊りを勉強したいと思っている時に、ショーパブの先輩が十三ミュージックの踊り子さんになり舞台に立っているとの事で観に行きました。
その踊り子さんは、水原彩姐さんでした。
他の姐さん方も美しく、ソロのレビューショーと芸術的なベッドショーに感動しました。
私も踊ってみたい!
と事務所に話しに行きましたが、踊り子さんは、10日ごとに巡業…
地方回りなので、プライベートの事情でその時は断念。
それから半年後、ショーパブにいた友人(すぐに辞めてしまった)もデビューすることになり、劇場に遊びに行きました。
すると、以前お話した事務所の社長から、
「今ちょうど振り付けの先生が来てるからレッスンだけでも受けてみたら?」
となり、1日で1曲振り付けてもらい、次の日、まだデビュー前だったのですがオープンショーだけ出ることになりました。
その時、一緒に手を繋いで誘導してくれたのは、十三ミュージック所属の先輩 椿カンナ姐さんでした。
たしか、楽屋で衣装も考えてくれました。
十三ミュージックの踊り子さんは、衣装は全てオーダーでした。
いよいよデビューの日となり、レッスンでつけてもらったダンス1曲をしっかり覚え、2曲目からの脱ぎ、ベッドは、自分で選曲し、自分で何となく振り付けを考えたデビュー作品。
何となく踊ることが普通に出来たのは、ショーパブ時代があったからだと思います。
デビュー週
十三ミュージックの奥の楽屋が、十三の踊り子さんが入り、先輩が奥、隣が次の芸歴の十三の踊り子さん…と順番が決まっています。
私のデビュー週は、先輩は1人。
沢井かおり姐さんでした。
その隣に私は座り、この週からとても仲良くなり、踊り子さんで友達になった第1号です。
そして、私の後ろ隣に、同期デビューとなった 木内雪美(現在:ゆきみ愛)ちゃん。
十三でのデビュー週 10日間は、あっという間で楽しかったです。
風見愛姐さんにはよく家まで車で送ってもらいお世話になりました。
無事に十三ミュージックでの初舞台10日間の興行の後は、同じ関西の劇場・晃生ショーでの出演でした。
一人で晃生へ向かい、緊張の中楽屋に案内されて知らない世界のような…
ここからが本当にプロとしての出発点のように感じました。
そんな中優しく接して下さったのが、星愛美姐さんでした。
そして、晃生の照明をしていたのが、松本格子戸さんで、楽しく面白いMCに緊張もほぐれて、私も楽しく舞台に立つことが出来ました。
当時の晃生の盆は、手動式だったので、最初は戸惑いましたが、すぐに慣れ各劇場に合わせて踊ること!
を学んだ第一歩となりました。
星愛美姐さんにはデビュー3週目の初巡業、新宿ニューアートでの出演が一緒だった事もあり、乗り込みから楽屋での生活と本当にお世話になりました。
新人時代にお世話になった姐さん方に感謝です。
有難う御座いました。