『みじかい恋の、お話。』 by七草かなえ
まえがき
皆様こんにちは、カクヨムで活動している七草かなえと申します。 今回はちょっと怖くて切ない恋のお話を書きました。よろしければちょっとだけ……ぞっとしてみませんか?
⚠️この物語にはPTSD、パニック発作等の『トリガー』となりうる残酷な要素がございます。 少しでも気分が悪くなりましたら即読むのをおやめください。
生き抜くために、二人は逝った。
短い恋の話
「もう良いの、もういいでしょ?」
磨けばますます光りそうな輝きの少女は、夜闇の中で空しく叫ぶ。
他には何も言えないから。だから血の吹き出すような声で叫ぶことしか、しなかった。
「そうだな、もういいよ」
どこにでもいそうなごく普通の少年は、月明かりの下で柔らかく微笑んだ。
他に何もしてやれないから。だからおどけた道化師みたいに微笑むことしか、できなかった。
これはとある夜のワンシーンに至るまでの、とある少年と少女の短い恋の話だ。
中学三年生の少年、山本晴希は恋をしている。春の陽だまりのように温かく優しい恋だ。
その片想いのお相手は中学で同じクラスの沖津静という少女。
今日も仲の良い女子生徒たちが数名ほど静の机を輪になって囲んで、和やかに談笑している。女子同士の人間関係には毒やいばらが混じることも多いと聞くが、彼女たちに限って言えば健全な友情を育めていると言い切れた。
いつも揃ってかしましく、時に穏やかに笑っている印象だけど、言うべきことはちゃんと丁寧に伝え、悪いことに対しては相手が誰であろうと止めに入る。
そのせいか一部の素行のよろしくない生徒たちには関係ないのに口だけ出してくる厄介者として避けられているが、静たちはそれを気にする素振りすら見せない。『好きの反対は無関心』とはよく言ったものである。
晴希は自分から静にアプローチする気はなかった。
ただ遠くから眺めているだけで幸せだったからだ。
おそらく静を狙っている男子は他にいくらでもいるだろうし。
そこには晴希よりもずっと彼女にふさわしい男がたくさんいるはずだ。
どうか静には釣り合う男と一緒になって欲しい。格好よくて、勉強も運動もできて性格も良いやつと。
――だって、おれは君にふさわしくないから。
――取り立ててできることもない、『その他大勢』に入る人間だから。
晴希は静と同じ進学塾に通っている。
とはいえ毎月のテストで振り分けられるクラスで静は選ばれし成績トップ生たちの『選抜クラス』、晴希はそうではない『基礎クラス』に分けられて授業を受けている。もっとも順位の変動がほとんどないこともあって、大体誰がどのクラスかは実質固定化されているけれど。
基礎クラス――つまり比較的そんなに成績がよろしくないクラスの配属とはいえ、別に選抜クラスの面子や教師陣に馬鹿にされたりもない。彼らはむしろ基礎クラスの面々の力になろうともしてくれる。おかげで晴希は基礎クラスでも上のほうの成績を取っていた。
――ここの塾に限って言えば、偏差値と人間性が比例している気がする。
基礎クラスだと時たま居眠りや課題忘れをする生徒も見られる。昨年度まではやる気をなくして辞めた人もいた。
晴希はそんなことしたことはないし、他者は他者と割り切っているつもりでもある。
それでもせっかく塾通いなら、もう半年後に迫った高校受験に向けて本気になったほうが良いのにと思うことはしょっちゅうあった。
塾の費用だって安くはないのだし、浪人という手段も選択しやすい大学受験とは異なって高校受験は一発勝負に近い側面がある。学力が上がれば選べる高校の層もぐんと分厚くなる。だからもうちょっとくらい頑張ってみても良いんじゃないのというのが晴希なりの意見であった。
今は九月中旬。まだまだ夏は終わらせないと言わんばかりに暑さが幅を利かせる中で。晴希は塾にて信じられないものを見た。
静が基礎クラスの教室で授業を受けていたのだ。
選抜クラスの中でも、不動の頂点とまで言われた『あの』沖津静が、である。
綺麗な容姿と気立ての良さからアイドルだったりマドンナだったりする立場にあり。
学力の高さから常に大人たちの期待の眼差しを受け。
何でも諦めない努力で所属していた部活を県大会決勝進出まで導き、同年代からは賞賛されて。
晴希の恋する女性である静が。
――どういうことだ。
――なぜ、どうして。
「あ、あの、沖津さん」
頭をかち割られたような衝撃が晴希の体を疾走する。びっくりしすぎてしまったせいか、いつもの遠慮も放り投げて静に話しかけていた。
「どうしたの?」
「教室、間違ってるんじゃない? ここ基礎の教室だよ」
すると静はふう、と息を吐いて。
「合っているわよ」
どこか諦めたような、疲れ切ったような笑顔で。
「だってわたし、成績落ちちゃったんだもの」
刹那。教室じゅうの空気がしん、と水を打つように静まりかえった。
フクザツな気分のまま授業が終わる。間の抜けた声で教師がじゃ、また次回なと告げて退出していく。
まるで静のクラス移籍なんてなかったことかのように教師は振る舞っていたが、頭の中でどう思っているかは分からない。やはり衝撃を受けているのか、それともこういうケースは割とよくあることだから慣れきっているのか。
もともと基礎クラスは一人を好む生徒が多い。というよりは単に話せる相手がいないから一人でもいいやという者が多い。
学校では仲の良い者同士できゃっきゃしていても、塾でもめちゃくちゃ物静かだったりするような場合もある。
晴希もその塾では物静かなうちの一人だった。選抜クラスにいたときはそこそこ同じ教室の仲間と勉強を教え合っていたはずの静も、『こちら』では晴希が話しかけて以降は授業での受け答え以外一言も口を開かなかった。
時刻は午後八時半過ぎ、授業が終わったあとも自習室に残る生徒が多い。
晴希は早足で外へ出る静を見つけた。
まるで狼から逃げる子兎のような、本気でここから逃げなければ生きていない、とでも信じて疑わないような、立ち去り方だった。
途端、晴希は彼女のあとを追っていた。
このまま放っておいたらまずいことになるかもしれない。そんな直感に耳元でささやかれたのだ。
恋した女を追って走る夜道は、いつも以上に暗かった。ここで静を逃したら彼女が星明かりもない夜空に溶けてしまいそうな気がしてならなかった。
晴希は自分から静にアプローチする気はなかった。
ただ遠くから眺めているだけで幸せだったからだ。
おそらく静を狙っている男子は他にいくらでもいるだろうし。
そこには晴希よりもずっと彼女にふさわしい男がたくさんいるはずだ。
どうか静には釣り合う男と一緒になって欲しい。格好よくて、勉強も運動もできて性格も良いやつと。
そんなことばかり、今まで考えていた。
けどどうだろう、様子のおかしい静をこうして走って追いかけている。
走って走って走って。何度か見失いながらも、なんとか。
「沖津さんっ!」
なんとか。
「山本くん?」
なんとか、追いついた。
「沖津さん駄目だ! 危ないよ!」
歩道橋の上、身を乗り出して車道への飛び込みをしようとしていた沖津静に、間一髪追いついた。
「ごめん」
あっさりと静は身を引いた。だがその顔から血色という概念が抜け落ちている。
「でも見て分かったでしょ?」
悪い夢でも見ているように、ふわふわとおぼろげで悪寒をまとった声。
ゾンビや血まみれのナニカが手を伸ばして襲ってくるホラー映画とも、人間不信一歩手前までおちいるような陰謀渦巻くサスペンスドラマとも違う、フィクションでは表現できないであろう生身の恐怖が晴希の五臓六腑をぐさぐさ突き刺す。
『生キテイル人間ヲ殺スノハ、生キテイル人間ダ』
昔どこかで、戦争学習か防犯教室だかで教えられた言葉が不意に浮かび上がった。
「……なにが」
「わたしが死のうとしていたこと」
「一応訊くけど、本気で?」
「半端な気持ちで死にたい人なんているのかしら?」
「…………本当は生きたいけどとか、誰かに止めてほしくて死にたい人ならいるだろ?」
「そういう人たちも、本気で死にたいことには変わりないわよ」
「成績が落ちたら、また頑張れば良いじゃないか」
「軽い気持ちで言わないでよ。こっちは今すぐ消えたいんだから」
突然それまでと打って変わったどすの効いた声で言われ、晴希の全身に鳥肌があわ立つ。
「君は……だれなんだ?」「沖津静、あなたのクラスメイト」
今度は大蛇がのたうつような早口で言われた。
――カノジョはほんとうに彼女なのか?
「あなたもそうなのね、山本晴希くん」
がらりと声が変わった。馴染みきった、いつも教室で微笑んでいる静の声だった。
「誰もが良い子しか愛さない。悪い子はみんな嫌い。ま、好き好きあるでしょうけど、令和の日本社会じゃ良い子が求められてるわ」
「みんながみんな良い奴じゃないさ……。事件事故の当事者でもないのに言うけど、世の中星の数だけひどいことが起きてると思う。悲しいことなんて沖津さんは令和の日本って言ったけど、海外のニュースなんて見るのも嫌になったよ」
そう語って見上げる空には暗い雲が立ちこめていて。
星のひとつも見当たらないと思っていた。
「わたしの周りは『どうせここ日本だし』とか言って、海外の悲劇から目を反らしてばっかりだけど。……気にするあたりあなたも結構生きづらいんじゃない?」 「そうだね、生きづらい。地球全部が平和になってくれないと、おれは幸せになれないかもくらいにな」
「結局生きている人間を殺すのは生きている人間だもの。ねえ、今日あなたが止めたせいでわたしは親を殺しちゃうかもしれないのよ、それでも良いの?」
「今その情報聞いたんだけど。怒られでもした?」
「父さんにお腹を殴られちゃった」
「家出するならマジで強力するよ」
「多分それ、山本くんだけが悪者になって終わるわよ。たぶらかしたとか何だとかで。うちの親は口頭注意くらいで済んで、きっとわたしは何事もなく家に戻される」
「えーひどいな。君の親も法律も」
「本当にね」静は人形みたく綺麗に笑んだ「だから、親殺しちゃうかも」
気づけば雲と雲の間に引き裂いたような割れ目ができて、そこから月が残酷なくらいにうつくしい光を放っていた。
「もう良いの、もういいでしょ?」
磨けばますます光りそうな輝きの少女は、夜闇の中で空しく叫ぶ。 他には何も言えないから。だから血が吹き出るような声で叫ぶことしか、しなかった。
「そうだな、もういいよ」
どこにでもいそうなごく普通の少年は、月明かりの下で柔らかく微笑んだ。
他に何もしてやれないから。だからおどけた道化師みたいに微笑むことしか、できなかった。
「だから、おれも君と一緒に死ぬさ。飛び降りよう、二人で」
いや、まだあった。できることが。
「良いの?」
彼女が満面の笑みで応えたから、きっとこれで良かったのだろう。 好きな人と死ねるだなんて、生きるのも悪くなかったかもしれない。
もうなにもかんじられなくなって、あかいさいれんがちかづくのだけわかって。
きっとふたりはむすばれたのだ。
これがとある夜のワンシーン。とある少年と少女の、恋の話だ。 悲しいと思ってくれたら、彼らの真似はしないでほしい。ね。
〜あとがき 〜
ここまでお読みいただきありがとうございました。 どうぞあなたがこの騒がしい世界でも、お元気で過ごせますよう祈っております。
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