ロングセラーは頼りになる。
「信頼できる道具を使いたい。」
どんな道具が好みかは人それぞれであったとしても、使う道具は頼れるものであって欲しいと言う願望は割と広く共有できるのではないかと思っております。私もそうです。とりわけ筆記具にはその要求が強く、頼りない筆記具はペンケースに入れてもらう機会が訪れません。
その道具のどの要素を頼るのかは人それぞれとは思います。多くの面はその道具の機能や精度の面を頼ることになりますが、今回はそれら以外の要素についてふれたいと思います。
「容易に補充できると言う能力。」
仮にどれほど機能や精度に優れる道具があったとしても、一点ものでもう二度と入手することができないとしたら、その唯一無二の道具を存分に使えるだろうか。大事に手入れし、丁寧に使うことはあっても頼れる存在と呼べる状態ではなくなるのではないか。
ひとたび頼れる道具に出会うことが出来ても、その道具が市場から消えてしまうと途端にその道具を頼れなくなる。壊してしまったら替えが効かないと思うと道具を本来の目的通り使えなくなってしまう。それは道具にとっても、使い手にとっても不幸なことだと考えます。その時点では完全に機能したとしても、どこか頼りきれないところが出てきてしまう。頼れる道具は手元に完全な状態であるのと同時に、いざとなれば市場からいつでも容易に補充することが出来ることも重要な要素と思います。
「入手性の重要度は消費サイクルに比例する。」
入手性がどれほど重要であるかはその道具の性質によって変わるものと言えます。例えばえんぴつ。筆記具であると当時にその存在全てが消耗品となっている。あるえんぴつの個体を頼り続けることは不可能です。えんぴつであれば特に拘りはないと言うのであれば苦労はしませんが、特定のブランドと硬度を頼っている場合、その商品が市場に有り続けなければなりません。えんぴつは既に大きな淘汰を経てきているので割と穏やかな市場にはなっておりますが、それでも先細りの市場と思った方が良さそうであり、商品の存続は不安要素の一つとなります。
国内大手、三菱鉛筆とトンボ鉛筆はいずれも廉価帯から高価格帯までいくつかのえんぴつをラインナップしております。仮にこの先にえんぴつ市場に再び大きな淘汰があるとした場合、恐らくラインナップの再編が必要になるでしょう。その際に消える価格帯はどこになるか。過去の他の市場の例で考えれば中間価格帯が候補になりそうです。
しかし、そこには両社ともブランドとして確立した Uni、Mono が存在します。ブランド名そのものが中間価格帯にあること自体が稀とは思いますが、えんぴつ市場は歴史的にそうなっているようです。そうなるとその隣に存在している Uni Star、Mono J、Mono R あたりが淘汰のターゲットになりそうな気がします。こういったモデルは予算上の妥協案として選択することはやむを得ないとしても、頼るべき道具にはしたくない層かもしれません。
同じ筆記具でも対照的な万年筆になると入手性の重要度は低くなります。インクこそ絶えず必要な消耗品となりますが、その他の部分は同一の個体を半ば恒久的に使い続けられます。えんぴつと比べると、その頼りにしている万年筆が市場にあり続けているかはそれほど重要ではなくなります。
えんぴつと万年筆の中間にあたる筆記具がボールペンになろうかと思います。リフィルを替えれば軸は万年筆同様に半ば恒久的に使い続けることが可能です。しかし、そのリフィルの汎用性は万年筆のインク程にはありません。4C や G2 のように充分に市場を確立した規格品であれば良いのですが、いくつかのボールペンは専用リフィルが必要になります。こう言った製品はそのリフィルの製品寿命とともに使い続けることが出来なくなる不安が伴うのです。
これらの考え方は筆記具だけには留まりません。お気に入りのノートもそうですし、文房具以外であっても全く同様です。消耗品を含め、長く手元にあり続けることは頼れる道具になる重要な要素となります。
「ロングセラーと言う選択。」
日本の筆記具市場は意欲的に新製品開発が続く活発な市場です。新しい製品には新しい視点と工夫が加わっており、それぞれに魅力はあります。そして私の好奇心の対象としてペンケースに加わったりもします。しかし、それらはあくまでも試してみたい対象、玩具のような存在であってまだ頼る道具ではありません。やがてこの中からスタンダードになっていく商品もあろうかとは思います。その頃には私が頼る道具が生まれているかもしれません。
筆記具に限らず、好みの道具を選ぶ際は必ず消耗品の入手性を考慮しております。そうなると必然的にその市場に於けるロングセラーを選ぶことになります。市場によってロングセラーと呼べるようになる期間は異なりますが、筆記具だと 15 〜 20 年ほどが目安になりそうだと思っております。冒頭の写真の筆記具はいずれもその基準をクリアするロングセラーたちです。何の保証もないことではありますが、ここまで長く市場にあれば、この先も他の歴史の浅い製品よりは残る可能性が高いのではないかと考え、そこを頼っているのです。
「生産者主導のロングセラーは強い。」
ロングセラーにはおよそ 2 種類が存在すると考えます。一つは絶え間なく売れ続け、市場の中心にあり続けるタイプ。これは消費者が商品をロングセラーに仕立てている例と言えます。他方には消費者の意向よりも生産者側の意向によってロングセラー化してるタイプ。
なんとなく、後者の方が多いのではないかと思っております。そして、それは消費者にとって決して悪いことではなく、特に頼るべき道具を求めている層には重要な要素となります。この後者の場合は売上の浮沈とは関係なく、ブランドの象徴として継続される商品だからです。企業自体がその代表的な商品を一つのアイデンティティとして重要視しているものとなります。
先程のえんぴつ、Uni や Mono はいずれも後者のタイプに該当すると考えます。企業を代表する商品として、価格度外視で高性能高品質を追求するのではなく、良いものだけど誰にでも手が届く価格帯での追求と言う意図が汲み取れる価格帯設定となっており、高性能高品質はさらに上の付加価値価格帯として Hi-uni、Mono 100 が設定されています。
このような状態になると、Uni や Mono のえんぴつ自体は決して売上の主力である必要がありません。付加価値価格帯の Hi-uni や Mono 100 による利益によって存続させるものであったとしても、そのブランドのメッセージとして生産者にとって意義があると考えられるからです。機能や性能としてこれらを頼るかどうかは用途次第なので別として、商品の存続としての面で言えば非常に頼れるものになります。
「ロングセラーは頼りになる。」
売れ続けるだけの理由、あるいは売り続けるだけの理由、少なくとも一方が存在するはずですし、大抵の場合は両方揃っていると思います。筆記具以外の道具の例を挙げると ALLEX の名で売られている林刃物の S-165 というハサミが好例です。このハサミは登場して約 50 年とのことですが、その外見は決してハサミとしてのスタンダードではなく冒険的であり、特に象徴的な商品名を与えていなかったことから当初からロングセラーになることを狙った商品とは思えません。しかし、50 年のキャリアはロングセラーの中でも突出しております。当時は冒険的であったその外見も、もはやスタンダードになります。
時代が進んでも古く見えることのないそのタイムレスな外見は家庭に長いあいだ常備する道具として最適だったのでしょう。メッキすら施されていないステンレスそのまんまの仕上げは良く切れそうな印象も与えますし、50 年経った今でもまだ近未来感があります。また、1 枚のステンレス板から打ち出した部材に指を通す部分にだけ樹脂を与えたシンプルな部品構成は、工業的観点でも適切なコストで製造し続けられるものになっていました。このように、消費者の観点でも、生産者の観点でもそれぞれにロングセラーになりうる理由があったのです。意匠としても工業デザインとしても、そして狙った市場に見合う価格設定などマーケティング要素を含めても非常に優れたデザインであると思います。
ハサミは刃物ですので残念ながら寿命があります。この S-165 は決して高価でもなく、職人に研ぎ直してもらってまで延命を図るような価格帯の製品ではありません。ある程度の消耗品の性質を備えております。そのような場合に、全く同じ製品が 50 年に渡って市場にあり続けていると言うのは、道具の利用者から見て非常に頼りになる存在です。
道具選びで迷うことがあったら、よく売れている方ではなく長く売られている方を選んでおけば良いのではないかと思います。買うときには分からずとも、使っていればロングセラーとなっている理由が次第に理解できます。その頃にはもう頼れる道具になっているでしょう。
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