これは私信です。「私は劇場」を観ているやつはいます。
表現を模索する側は孤独だと思う。
だから、これまで配信を4回観た者としてリアクションはしておきたい。私は観ていました。観ているやつはちゃんといます。
みんな!この配信、おもしろいよー!!と宣伝するトーンのプロジェクトではないな。配信が終わった後にあの部分が○○で~今日のテーマはなんちゃらで~…と解釈を披露して盛り上がる感じも違うな。
この配信は、観ている側が何人いようと、1対1だ。
私は観ながら自分の中で考えた。詳しい感想は書けない。考えた、ということに意味がある。
あなたは文字で、私はあなたなのか
私が文字で、あなたは私なのか
私とあなたは同じなのか
ディスプレイを介してあなたがうまれて消えていく様をみた。
文字は一方的だ。目も耳もないから、こちらのリアクションを受け取れない。しかし読む側が文字を目でみて声に出したら、あなたは私の一部になるのだ。
配信が終わったら忘れてしまう。どんどん忘れる。「忘れる」ということを体験している。
夜10時からスタートというのが私にはありがたかったです。
にっこにこ