セブ諸島の記憶
大学2年の時、期末テストを終えた友人2人とフィリピンのセブ諸島に出かけたことがあった。2人の友人はそれぞれ別の大学に所属していたが出身高校は全員同じで、卒業してからの数年間、暇があっては遊ぶ間柄が続いていた。そんな友人2人と「大学生だし海外にでも行きてーなあ」と話し始めたのが、この旅のきっかけとなった。
旅行の計画段階では、バリやロサンゼルスも候補地にあがった。しかし大学生の経済力で行ける場所は限られたもので、その意味で上記2つは少々実現に困難が伴った。その点1泊3,000円でホテルに泊まれるセブは何をするにもとにかく安く、大学生でも豪遊できるその環境は我々の目にも映えてうつった。
そんなこんなでセブへの航空券を手に入れたのだが、我々の旅は少々ハードなスケジュールで始まった。たしか降雪の心配がされた成田国際空港を20:00に出発し、到着地であるマクタン国際空港に0:20に着陸するというフライトスケジュールであったと記憶している。チケットは事前に購入したため成田での手続きに手こずることはなかったが、現地到着後の移動等を考えると、ホテル着が深夜2:00前、就寝は3:00過ぎが予想された。
搭乗まではE–SIMの設定などをして時間を潰し、途中軽い仮眠をとった。フライト中、降雪はあったが機体が揺れることはなく、眠気が襲ってくるまでは保安検査場の前にある本屋で購入した本を読んで過ごしていた。これが中々おもしろく、機内では3時間しか寝ることができなかった。
飛行機は目的地に着陸した。
深夜に到着したこともあり、空港での入国手続きはスムーズに進んだ。
「What is your purpose of this visit?」
「For sightseeing」
深夜だというのに入国審査官の顔に疲れはなく、ただ延々と繰り返される入国審査に飽き飽きしている、といった表情をしていた。この教科書みたいな会話をもって、私は正式に南国の楽園・セブへの入島を許可されたのであるが、このあと少々困った事態に遭遇してしまったのである。
声をかけられたぼったくり(?)タクシーに乗ってみる
空港の出口ドアを開けると、熱帯のムンムンとした風がお出迎え、かと思ったが、乾季に旅行したということもあり、むしろ心地よい風が吹いていた。
タクシー乗り場には、団体客やホテル宿泊者をお出迎えするドライバーに溢れていた。スポーツの国際大会で成果を残した代表団が帰国するときもこんな感じだったっけなと少し思いながらその脇を通った。
当初の予定では、空港を出たのち、grabと呼ばれる配車アプリを使って事前に予約したホテルまで空港から移動する手筈だった。しかしなぜかそのアプリでクレカ決済が進まない。決済ができない状態でタクシーに乗るなんてことはできないので、当然その配車アプリも使うことができなくなってしまった。
入国早々トラブルに遭ってしまったのだが、ホテルまでの移動手段は配車アプリだけというわけでもなかった。ぼったくりの心配は多少あったが、クレカ決済を伴わない、いわゆる”野良タクシー”というものもある。クレカ決済ができないのならば、現金を使用してその”野良タクシー”を使うしかない。
そうと決まればここでタラタラしていても仕方がないので、先ほど出てきたばかりの出口ドアから再び空港内に戻り、両替コーナーまで歩くことにした。
海外旅行に慣れた方にはいらない説明かもしれないが、一応。
一般的に空港の両替所は、レートが高いと言われている。なので多くの旅行客は現地へ到着した後にすぐ両替を済ますのではなく、街中のレートが良い両替施設で日本円を現地通貨へと変える。しかし今夜はクレカ決済のできない野良タクシーに乗ることが決定した。したがって現地通貨を得るために、貴重な日本円を、大量の手数料と引き換えに現地通貨(ペソ)へと両替てもらう必要が出てしまったということだ。軽い損失ではあるのだけどね。
ということで我々はなけなしの日本円をレートの悪い両替所で交換して貰い、野良タクシーに話しかけてみることにした。
「ホテルエリザベス」
乗車中、いくらぼったくられるかドキドキしていたが、すごい良心的な価格(手数料がない分grabより安い)でホテルまで届けてもらった。なんだ大したことないじゃないか。結局、この旅の半分くらいは野良のタクシーに乗って移動していたが、一回もぼられることはなかった。運が良かったのか、まともな人が多いのか。日本人の私にはわからない。
セブに栄える大市場
友人が「スーツケースの鍵、いらいないと思ってた」という理由でその鍵を日本に置いてきたせいでスーツケースが開かない(2度読まないと理解が難しい文章である)などのことはあったが、昨夜は無事、寝床に着くことができた(スーツケースは結局、器具で破壊してこじ開けた)。
翌朝7:00に起床し(実に4時間睡眠である)、徒歩5分のところにある大型ショッピングモールへと繰り出すこととした。
ちなみにセブは「第二のバリ」と呼ばれることもあるくらい、勢い十分の新興地域である。次々に大型ショッピングモールが建設され、インバウンド需要にこたえている。
我々が行った”アヤラセンター”もその一つである。地下1階に食品スーパー、地上階にブランド店がテナントを構えるこのモールは、DAISOやUNIQLOといった日系企業も多く入っている。
開店時間とほぼ同時に入店したのでそれほど客はいないだろうと思っていたのだが、それにしても客がいなさすぎる。後々わかったことではあるが、セブ諸島に住む多くの住人は、未だこのモールでショッピングできるほどの経済的な余裕がないのだそうだ。街を歩けば日中から道に寝そべっている人や、仕事のあてもなくスマホを操作している人が多く目につく。彼らはきっと職を持たないか、それとも職は持っているがそれほど働く頻度が多くないような人たちなのだろう。いずれにしても、有り余る労働力が有効活用されておらず、それが中間層の育成に歯止めをかけているのだろうという印象を持った。
話はそれたが、そういうようなわけで、モール内には一部の現地富裕層を除き、ほとんど客がいなかった。
1階から最上階までをぐるっと見た後、地下のショッピングモールで食料調達をしようという話になった。
世界的なブランドが一律の商品を供給できるようになった今の時代では、世界のどこにいても日本と同じようなものが手に入る。先ほど触れたDAISOやUNIQLOがセブにある事実は、端的にこの現状を証明しているように思える。
このような状況下で最もその土地の文化を表すものは何か。それは今も昔も「食」である。品質への基準が世界同一となった今でも、人々の嗜好性には変わりがない。食を通じて文化を知るのである。
例によって人がほぼいない生鮮食品コーナーを見て回ったが、さっそくおもしろい。バナナ・マンゴスチン・ライチ・ランブータンが山をなして我々を待っているではないか。
フィリピンがバナナの一大生産地である事実は人口に膾炙しているが、この農業がどのようにフィリピンで発展してきたかまでを知る人は少ない。知れば知るほどバナナに感謝である。大学でフィリピンバナナ農園の歴史を勉強したことがあるだけに、尚更その事実に感謝してしまった。
5分ほど鮮魚コーナーを回った後、我々はカット済みのポメロ、ブドウ、スイカ、マンゴーの詰め合わせパックを買った。ついでにビール350㎖缶(アサヒブラック・サンミゲル等)7本、スナック菓子など、ここでしか買えない製品も購入し、いったんホテルまで戻ることにした。
ホテルに帰宅し、諸々の食材を冷蔵庫に詰めたころにはまだ11:00。早く動き始めた分、時間には余裕がある。この時間帯はややお腹が空き始めるかという頃合いではあるが、昼までには余裕がある微妙な時間帯であることは確かだ。ということで、我々はかねてより決めていた「現地の人しか行かない市場」みたいな場所に行くことにした。
ここはセブ港にほど近い場所に栄える市場である。平日の昼間だというのに多くの人でにぎわっている。フィリピンでは昼間なのに成人男性が多く街を歩いている。彼らの職業は何なのか、滞在期間中ずっと気になっていたが結局わからずじまいだった。
追記)書いている時は気づかなかったが、さっきも同じことを書いているようだ。それだけ印象的だったのだろう。友人も口を揃えて「あの人たちはどうやって生きてるんだろう」と言っていた。セブ島に行く機会がある人は是非、そこにも注目してほしい。
市場についてまず最初に感じたことは「臭すぎる」ということだった。これはマジの臭さである。タクシーのドアを開けた瞬間匂う刺激臭。なんの匂いかは分からないが、とにかく柑橘系と食肉がまざったような異様な匂いがした。東南アジアでよく匂うあの匂いである。
そんな洗礼をあびながらも少しずつ市場の中央部に進んでいく。周りに旅行客らしき人物は見当たらない。周りからは「奇異な外国人がやってきた」というような表情が浮かんでいる。終始じろじろ見られていて、何だか居心地が悪かった。極め付けに、彼らの中には上半身裸+刺青をいれたような人も多く、隙あらば襲ってやるというような目までしている。1日前まで魚籃坂の小ぎれいな犬を見ていた矢先に、この環境である。居心地は悪かったが、東京では絶対に体感できない雰囲気に興奮していたのもまた事実であった。
数枚の記念写真を撮り、特に買い物をするでもなく、我々は帰路についた。さすがにお腹が空いてきた時間だったので、我々は午前中に訪れたショッピングモールを再度訪れ、2,000円ほど払ってシーフードを食べた。昼から一杯いってもいいだろうという気分だったので、ビールもついでに1瓶頼み、次々にエビを口に放り込んでいった。店員も洗練された所作で注文を聞くので、非常に気分がよかった。飯もうまかった。
高級リゾートで豪遊
昼飯を食べ終わった後は、とくに何もしなかった。滞在1日目で疲れていたし、友人2人がホテルで昼寝を始めてしまっては、できることもできなかった。なので夜飯はセブンのカップラーメンと果物なんかを食べたと思う。
翌朝起きると、我々はすぐに準備を始めた。今日も快晴である。乾季に旅行していたということもあり、スコールが降ることもなく毎日心地よい快晴。これぞ南国と言わんばかりの風が吹いていた。
途中、海で遊ぶためのおもちゃを買いにショッピングモールに寄るなどしたが、その後、1時間ほどかけて郊外の高級リゾート地まで移動した。
このエリアは海も澄んでおり、ビーチ一帯に高級ホテルが立ち並ぶ、まさにセブを代表するリゾートエリアだ。ホテルそれぞれが敷地に沿ってプライベートビーチを保有しているため、日本で言う海水浴場のようなものはセブでは一般的でない。公営ビーチもあるにはあるらしいが、今回はプライベートビーチで遊ぶことにした。
ホテルでチェックインを済ませ、早速ビーチに向かった。敷地がとにかく広いので、ビーチにたどり着くまでに赤外線での荷物検査・レストランエリア・プールエリアを通る必要があった。
5つ星ホテルということもあり、日本ではまあ再現できないであろう施設の規模感であった。言うなれば、エリアそのものが南国の楽園と化しているのである。ビーチでぬれたタオルを回収するために常に清掃員が袖で待機しており、トロピカルドリンクを頼もうと彼らと目を合わせれば、御用聞きにやってくる。実にプロフェッショナルな仕事ぶりにただただ感心した。
そんなことに一々心を奪われつつも、奇麗に刈られた芝生沿いの小道を進み、ビーチエリアを目指して歩いた。
海は泳いでいる魚が見えるほど透き通っていた。小アジほどの小さな魚もいれば、50cmはあろうかという大きな魚まで、様々泳いでいる。私はここで、人生最大の自由を感じたかもしれない。それほど開放的で素晴らしい空間だった。
1時間ほど海で遊んだ後、昼食をとることにした。レストランは合計3つほどあったが、プールサイドに近い開放的なレストランを選んだ。
メニューを開くと、ハンバーガーやサンドイッチといったようなアメリカンな料理が並んでいた。値段は一番安いもので1,800円程度であったと記憶している。私はピリ辛のシーフードサンドイッチを頼んだ。ビールも1瓶注文した。
食事は程なくして届いた。ビールが10分ほど前に届いたせいで若干生ぬるくなり始めていたのが気になったが、フィリピンでビールを頼むといつもこのタイミングで来るようなので、これも文化なのだろう。
味はとくに絶品というほどでもなかったが、日本で展開されているハンバーガーチェーンでは味わえないものではあった。30℃の炎天下で、とくに水を飲むでもなく1時間も遊んでいたので、余計に味がしっかりしているように思えた。
そういえばこのホテルには世界各国から旅行客が集まっているようである。
ホテルの宿泊客は欧米人がメインであるようだが、若干の中国人と、ごく少数の日本人もいるようだ。彼らはいかにもお金を持っているというような風貌で、当時大学2年だった我々は若干場違いであった。友人が派手な髪とファッショナブルな服を好んで着るので「お金持ちの子ども」といったようなキャラ付けはできていたと思うが、やはり大人の余裕には到底叶わなかった。子どもながらに、将来はこういう場所でバカンスをしたいな、などと考えながら、飯を口に入れていた。20歳の我々にとっては、何もかもが刺激的で良い思い出になった。
昼食を済ませた後は、先ほど行ったビーチの隣にあるもう一つのビーチで、マリンスポーツをしようという話になった。マリンスポーツといっても、サーフィンができるような波もないので(波があっても乗れる能力がないのだが。)、予め持ってきた格安のスイカボールを使い、1on1のビーチバレーをすることにした。
1対1のビーチバレーなので、当然決着はすぐにつく。2ラリーで終了だ。サーブを返して、それを端っこに打ち返し、ギリギリ相手が拾ったところを、余裕をもって叩き返す。追いつけるはずがない。
とくに得点を数えることもなく、15分くらいやっておしまいにした。パラソルの下でchillしてた欧米人からしたら、騒がしいbadなJapaneseがやってきて大迷惑だっただろう。5つ星ホテルでは、ビーチバレーをやる文化はないのかもしれない。そんなことをしている人は誰もいなかった。あのリゾートホテルにいたのは、若くても30代以降の子連れ、しかもこの層も少数なので、運動を楽しむような世代はあの場にいなかったのかもしれないが。
この場所に来てから動きっぱなしだったから流石に疲れた。少しパラソルの下に戻って休憩する。もしかしたら荷物とかを盗まれてるかもしれないなと思ったが、そんなことはなかった。お金持ちが盗みたくなるようなものなんて何もないということだろう。
それにしてもいい天気だ。今日撮った写真や動画を確認する。ここにいると時間が過ぎるのが早い。飯もうまかったし海もきれいだったけど、折角なら全ての施設を楽しみたい。次はプールエリアに入ることにしよう。
パラソルをプールエリアの目の前にとっていたので、歩いて20秒でプールに入れる。水は少し冷たい。ビーチエリアとは反対に、ここは少し家族連れが多いようだ。親としても目の届く範囲に子どもがいた方が安心するのだろう。ここなら波もないし、ライフセーバーも多い。
最初の数十分はプールサイドにあるバスケゴールを使って、水球バスケをしていたが、そのうち思いっきり遊びたくなってきた。友人の”たい(ニックネーム)”は高校までの水泳経験で鍛えた広背筋を存分に生かし、バタフライをしていた。この時の様子を「5つ星ホテルでバタフライする奴」みたいな名前でYouTubeにshortsを投稿したことがあったが、500再生とかいうカスみたいな数字しか取れなかった。友人からは面白がられて気分が良かった。
おそらく1時間ほどはプールで遊んでいたと思うが、そのうちに日が暮れてきた。
セブは夕方ごろに最も道が混雑する。早めにここを出てホテルに帰らないとその渋滞に巻き込まれて数時間も車中で過ごすことになる。せっかくの旅行だ、それは避けたい。
ということで17:00ごろにここを出た。ホテルのスタッフは最後まで洗練された動きで私たちをもてなしてくれた。また大人になったら、今度こそ一人の大人としてここに宿泊したいと思えた。
初日の市場、2日目の高級リゾートと続き、明日は3日目だ。朝の2:00から始まるツアーに備えるために今すぐに寝なくてはならない。起床は1:00。大学生でなければこなせないスケジュールだったが、少しでも体力を回復させるためにしばし寝ることにした。
ジンベエザメと遭遇。尾びれで一撃を喰らう。
目覚ましが鳴って目が覚める。ほとんど寝ていなかった割には目ざまが良い。疲れすぎていて、逆に睡眠の質が上がったパターンだ。部活をやっていた高校時代、何度か同じ体験をしたことがある。友人を叩き起こし、朝の身支度をする。くどいようだが、今の時刻は1:00。日にちが変わって1時間しかたっていない。
外を見ると、まだ人が歩いているような時間だ(セブは何時でも人が歩いている。夜更かししたとかではなく、さも当たり前のように彼らは深夜に起きて生活をしている。彼らは何をしているのか、本当に不思議な街だ)。
予定通り朝の2:00にホテルのフロントに行くと、1台のホンダが止まっていた。運転手と合流して、早速出発する。
今回のツアーはダイビングを含む、1日コース。早朝に出発し、17:00ごろ解散する。今日、最初のスケジュールはダイビングだ。水深が深い海で魚を観察する。ここは有名なジンベエザメ出没スポットで、この時期はほぼ確実にジンベエザメに遭遇できるらしい(ツアー会社も、遭遇できなかったら返金すると言うほど強気だった)。
その場所まで車で3時間のドライブ。運転手さんが山道時速80㎞での一車線追い越しをするので、終始命の危険を感じ続けた。正面からぶつかれば確実に死んでいただろう。
そんなこんなで中々リラックスできない中、明け方5時ごろにダイビングスポットに到着した。ダイビングは当日予約制なので、ガイドさんの指示に従って列に並ぶ。
案内開始まであと1時間ある。その時間までは朝食をとってよいという話ではあったが、睡眠不足で体調が悪くなりそうだったので、車に戻ってしばし仮眠をとることにした。
結局ほぼ寝ることができなかったが、1時間後にガイドさんが起こしに来た。服をここで脱げと言われたので、あらかじめ着てきた水着に着替えて外に出た。意外と寒い気温だった。海はもっと冷たいんだろうか。
車を出たタイミングで、他のツアー客と合流した。
今回のツアーメンバーは全員日本人。そして全員我々と同じ大学生のようである。しかも彼らは全員東京の私立大学からやってきたようだった。まあそれもそのはず、世間はまだ2月。今の時期にのんきに旅行できるのは大学生くらいだろう。日本から遠く離れたこの小さな港で、すぐ近くの大学に通う大学生が一堂に会する光景は、なんだか不思議なものだった。
10分ほどの「環境を守るためのビデオ」を鑑賞した後、いよいよ沖に出るための船に乗った。この海域は、少し沖に出るだけでいっきに水深が深くなる構造をしているようだ。手漕ぎボートに乗りながら、ツアー会社から拝借したGoProを片手に海に出る。海面が反射していまいち透明度が分からないが、どうやらかなりいい状態に海が仕上がってるらしい。期待が高まる。
すると突然、船頭が「海に入れ!」という。何事かと思って船の脇を見ると、いたのだ!ジンベエザメが大きな口をあけて海面の餌を吸い込んでいる。
訳も分からず、半ば背中を押されるように海に入ったが、海の世界は多様な生き物に溢れていた。
水深は20m以上はあろうかという深さで、一度物を落としたら二度と取り戻せないような深さだ。そんな海底近くに見えたのは、この広大な海をゆったりと泳ぐ海ガメだった。カメは単独で泳いでいたが、この姿を見たとき、改めて南国にやってきたんだという実感がわいた。
思い出したように体を45°回転させ、船左方に目を向けると、やはりまだジンベエザメが泳いでいた。最初に見たときは気づかなかったが、我々は複数のジンベエザメに囲まれていたらしい。他のダイバーがそこら中で歓声をあげている。
少しするとジンベエザメもどこかへ行ってしまったので、改めて海を見てみた。大小さまざまな魚がいる。カツオほどの大きな魚も何匹も泳いでいた。先ほどのカメはどこかへ行ってしまったが、代わりに小魚の大群が近くまでやってきていた。
その後もジンベエザメは何度も我々に接近し、最後には私の横をすり抜けた。彼らに接触することは固く禁じられていたため、手を伸ばすことはなかったが、通り抜けざまに尾びれで肩を叩かれた。一生の思い出だ。回想しながらもう一度行きたいとさえ思う。
船にあがり、陸に戻った。簡易的なシャワーが備えられていたので、そこでシャワーをあびた。ガイドさんによると、これから我々はもう一つの船着き場に向かうらしい。そこから、今度はエンジン付きの船に乗り、離島に出発する。そこでもう一つのダイビングスポットを目指すという算段だ。
ジンベエザメの余韻に浸ることなく、どんどん次の目的地に向かうよう急かされたが、むしろそちらの方がわくわくが止まらないから楽しかった。
この離島に関しては、海が奇麗すぎたということ以外はとくに書くことがないので割愛する。そこで発見した風景や写真は下にあげておくので、是非みていってほしい。
我々は船に戻り、元の船着き場に戻った。
大滝へジャンプ!!
このツアーは本当に移動が過酷だった。時刻はまだ朝の10:00ではあったが、日付が変わってから5時間は車で移動している。そして今度もまた、2時間の移動をすることになるそうだ。
次に向かう場所は、セブ最大級の滝である「カワサン滝」だと言う。ツアー予約時に一日の流れはなんとなくわかっていたものの、それほど下調べを入念にしないでここまで来てしまった。そのため我々3人を含め、他のツアー客も「その滝がどれほどデカくて、どの高さから我々は飛び込むのか」ということまでは、誰も理解していなかった。
もしとんでもない高さから飛び込むことになったら辞退しようと心に決め、車に乗り込んだ。そして気絶するように眠った。
・・・
到着したらしい。窓の外を見たが、もう何時間も前からここから見える風景が変わることはない。たまに見える透き通る海と、それと山。犬・鶏。それだけだ。
車から降りて、レストランへと案内される。そこでは鶏肉から南国のフルーツに至るまで、実に豪勢な昼食が並んでいた。私は8年の東南アジア滞在歴があるので、好き嫌いなくそこにあるものを食べていった。他の客はというと、日本と違う味付けに戸惑いながら、少し遠慮がちに食べていた。スイカだけが人気だった。
しかしここにいる全員、昼と言えど起床から12時間はぶっ通しで移動やダイビングを続けているので、お腹はペコペコである。好き嫌い言わずに色んなものを食べてみようとする人も何人かおり、昼食はそれなりに盛り上がった。
昼食を食べ終わると、何やら契約書を手渡された。これから滝へのダイブで〇んだとしても、大丈夫ですね?という内容だった。これはマジなやつだ。きっと何メートルもある高さから落とされるんだろう。
と思っていたら、さらに冷汗が出るようなことを他の人が言い始めた。
「ここから滝まで2時間歩くらしい」
うん、〇んだ。ただでさえ、疲れているのにここから先2時間も歩くのか。しかもジャングルの中を。もう帰りたい。辞退してエアコンの効いたこのレストランでスイカでも食べてようかな、と思っていたら
「こっから20分歩クネ。ヘルメットしてください」
とガイドさんが言うのが聞こえた。よかった。ひとまず安心。20歳だというのになんて冒険心がないんだと、若干自分にあきれてしまった。
30分ほどの食事休憩をはさんだのち、ついに我々は動き始めた。ペプシの瓶が大量に積まれた路地を抜け、川沿いを歩いていく。この川の先に、滝があるらしい。
10分ほど歩いていたら、メンバー交代した別のガイド(飛び込み指示専用)が川に入り始めた。最初の飛び込みスポットに着いたようだ。
ここでは、5mくらいの高さから飛び込むよう指示される。5mというと大したことなさそうだが、岩の上に立つと結構高い。川もどこまで深いのか目視だと分からず、それなりに流れもあるので余計に怖い。
でも跳んだ。川はかなり冷たかった。気温によらず川が冷たいのは日本もフィリピンも同じなんだなと、妙に冷静に考えつつも、なんとか最初の関門を突破できたことに安堵した。
2つ目の飛び込みスポットはかなり高かった。7~8mあるかという場所から飛び降りる。今度は岩ではなく、崖だ。崖に上るために、命綱なしでたった一本のロープを使い、ぬるぬるになった岩肌を登っていく。もちろん直角だ。ここが一番怖かった。手が滑って落ちたら、下であらわになってる岩に叩き落されるからね。
一瞬まじで落ちそうになった(ほんとに人生で一番焦ったかもしれない)が、野生の瞬発力を発揮し、木の枝に足をかけることができた。そして飛び込むための崖に立ち、その高さに足がすくんだが、なんとか飛び込めた。ツアー客の中で一番地味なジャンプだったと自負しているが、それでも精一杯のジャンプだった。
そして最後の飛び込みスポット、カワサン滝に到着した。下の写真にある、滝の開始地点からダイブする。20mはありそうだ。
というのは嘘で、普通に滝下で遊ぶだけだった。水の流れは速く、何度も流されそうになった。最後に今日一日を一緒に行動したツアー客とも記念写真も撮り、このツアーを締めくくった。
ツアーを終えホテルに帰宅してからは、「初日に行ったアヤラセンター(ショッピングモール)で晩飯を食べよう」という話になった。レストランとして選んだ先はフィリピン最大のハンバーガーチェーン「jolibee」にした。マックよりも値段が安く、なかなかうまいポテトを使用していた。
ご飯を食べ終わって帰宅する頃には夜の8時くらいになっていた。それぞれ順番でお風呂に入り、そして談笑したのちに眠りについた。
爆買いショッピング
昨日の疲れは9時間の睡眠で吹き飛んだ。ここに来てからフルーツばかり食べているせいか、肌の調子もいいし、疲れがたまりにくくなっている気がする。やっぱり果物って抗酸化作用が強いんだなって身をもって体感した。
今日はセブで一日まるごと使える最後の日だ。ここに来た時からなんだかんだ買い物をする時間が取れていなかったので、日本へのお土産なんかも今日調達したいと思う。
早速準備をして、行ったことのないショッピングモールへ向かう。タクシーを呼んで移動をしてもよかったが、せっかくなので、散策しながら向かうことにした。
ここに来てから数日たっていたので、もうセブのことはだいぶ理解できていると思っていたが、そんなことはなかった。車の移動では見れない景色が何度も見れたし、拡大を続ける道を実際に歩くことで、この街が今まさに発展途上なのだということ実感した。
なかでも興味深かったのは、ショッピングモール付近の川に集まった人だかりだった。なにやら楽しげに子供たちが見物をしている。中をのぞくと、大人数人が川のごみを拾い、袋にいれているらしかった。
これはきっと、クリーン活動の一環とかではないだろう。金目の物を川から拾い、それで生計を立てる。平日の昼間からここに集まる子どもたちは、きっと学校に行っておらず、自営業を手伝うなどして日々を過ごしているのだと思う(実際、すぐ近くに現地の小学校があったが、そこの子どもたちは制服を着て学校で遊んでいた。この子たちは制服も着ず、サンダルを履いてゴミ拾いを眺めている)。
そんな光景に色々考えさせられながらも、ショッピングモールに入るのだった。東南アジア特有のガンガンに冷えたエアコンを入口で浴び、少しのあいだ涼んでいた。
ショッピングモールではフルーツやお土産を買い、昼食を楽しんだ。
例によってモールの中には多くの日系レストランがあったが、ここまで来てそこで昼食を済まそうという気にはなれなかった。我々は結局フィリピンローカル料理の食べれる店に入り、焼きそばみたいな料理と1瓶のサンミゲルを注文し、昼食を楽しんだ。出された料理はとんでもない量だったが、値段は600円前後だったことから、改めてセブの物価の安さに驚く次第であった。
ITセンターの夜市
ショッピングモールを出た後、買ってきたフルーツを冷やすためにホテルへ戻った。なんだかんだで今日は帰国前日。1分の時間も無駄にしたくないのですぐに部屋を出て次なる目的地に行くことにした。時刻はもう夕方である。
我々が向かった先は「ITセンター」と呼ばれるエリアにある。なんでITセンターと呼ばれるようになったかは分かりかねるが、恐らくIT外資のオフィスが集まってその一帯を構成していることからそんな名前が付いたんだろう。そのエリアで屋台が出ているというのでそれを見に行く。
会場は思ったほど混んでいなかった。観光客よりもバイクタクシーの運転手や軽い飲み会を開いている現地の人が多かった。
そこで我々はコーラと豚肉のそぎ落としを食べることにした。この豚肉がなかなかにおいしく、日本でもこの味が食べれたら何度でも通い詰めるだろうというほど感動した。
豚肉を食べ終わった我々はホテルまでタクシーで移動し、翌朝のフライトに備えて荷造りを始めた。これで長い5日間の旅も終わるのかと思うと、少し寂しかった。
帰国
翌朝、ホテルでのチェックアウトを済ませ空港に向かった。
今、私は帰国して半年たった後、改めて当時の記憶を呼び起こし、この文章をしたためている。書けば書くほど良い旅だったという気持ちが湧いてきた。またいつか、今度は旅中に行けなかったボホール島に行ってメガネザルでも見れればいいな。