「令和」からのRestart 後日談
色々書きそびれた後日談や補足を追加
O先輩や同輩に対してのF先輩
実はF先輩は私にだけ怒っていたわけではない。私が1年の時はO先輩に怒ることもあった。O先輩はあまり自己主張するタイプではなく控えめな性格だったし、中学から吹奏楽経験のあるF 先輩よりも弱い立場にいたため…ということもあったのだろうか。私と同じように怒られ期間があった。その時は私もO先輩とは話せなかった。
しかし3年になってからは最後だからか?O先輩にいうことはほとんどなかった。9割私がターゲットであった。
が、怒られ期間じゃなくてもO先輩はF先輩からいじられることが多く、それも割ときつめだった。しかしO先輩はいつもニコニコしていたので、内心どう思っていたのかはいまだにわからない。
O先輩の中で、F先輩は絶対的存在だったのかな、とも思う。
ちなみに同輩はほとんど怒られず、怒られても1日2日で終わっていた。
途中までは同情的であったが、2年になった頃は後輩もかなりF先輩に洗脳され、私を攻めるようになった。
F先輩とのその後
最後に爆弾発言をしていったF先輩。
一応コンクールまではそれなりに和やかに過ごした。
引退の時の手紙には「なんで私が悪者だったのかが分からない。あなたの為を思って言っていたのに」と書かれていた。人って怖い。よく「あなたのため」という言葉を言われていたが、私のためになったことなくね?と思う。
さらに、今は教育学系に進んでるというのを風の噂で聞いた。
将来教育者になったとしたら本当に怖すぎる。
後輩とのその後
自分が味わった苦しみだけは絶対味わせたくない、後輩とは楽しくやりたい、「怒らなきゃ後輩は育たない」なんて間違っている。
という精神のもと、後輩とはできる限り仲良くしようと努力した。
一緒にマンツーマンで朝練や基礎練やったり、部活後にアイスやマック食べにいったり。もちろん練習においていうべきこととかはきちんといったが、怒るという手法は使わなかった。
その結果、後輩とはめちゃくちゃ仲良くなった。私も後輩も技術が上がった。さらに良かったのは、後輩が次に入ってきた後輩にちゃんと優しくして、仲良くなってくれたことだ。
先輩は後輩にできる限り愛情を注いであげて、先輩と後輩が仲良くなる、そしてそれを次の代に…という風潮を少しでも作り出せたのではないかな、と思う。
今でも後輩は慕ってくれており、度々連絡が来たり荷物が届いたりして、帰省した時はご飯を奢ったりもしている。さらに嬉しかったのは卒業時に後輩のお母様からも感謝のメッセージをいただいたことだ。本当に、後輩とはうまくやっていけて良かったな、と思う。
辛い思い出も後輩と過ごした1年で楽しく塗り替えられた。
後輩には本当に感謝している。
Aとのこと
部活が濃すぎてかくの忘れていたA。中学は3年間違うクラスで一時期は廊下ですれ違っても顔を背ける冷戦状態だったが、同じ高校になったことで多少回復したように見られた…が。
高校に入ってからはLINEで私に対する批判を度々送ってくるようになった。
高1は違うクラスだったのだが、なぜかこっちのクラスの学校祭の打ち上げについて文句をいってきたり。(私は3年間学級委員をやっておりそういうのを全部担当させられていた)
高2のクラス替えで同じクラスになり、今までのことを水に流して仲良くしよう、ということになったが今度は修学旅行中に超長文の批判LINEが来た。しかも内容は全部Aの勘違いからくるもので、最後には「お前のためを思って(ry」というお決まりワードまで。いくらスクロールしても終わらないレベルの長文で批判かくのどんだけ暇だったんだろう。
この後も数回似たようなことがあり、しかも彼は絶対に謝らなかった。高3でついに私が切れた。一度謝るチャンスをあげたが、ヘラヘラして「いや〜ごめんってwwww」といって来ただけだった。15年間散々言われまくってもう限界だった。
「もう一生私に関わるな。」
とだけ言い放った。まあいわゆる絶縁宣言ですね
その後卒業まで半年間まじで話さなかったし、ツイッターLINEはブロックしたしそもそもアカウントを変えたのでもう連絡手段はない。
卒業後にLINEで謝りに来たらしく、送った内容をなぜか共通の知人にスクショして送っていたので見せてもらったが、要約すると
「昔の友達に今どんな関係なのか聞かれて答えられないから仲直りしよう」
「あと、俺が仲直りしたいんだ」
という内容だった。どんだけお花畑なのか。
仲直りするか否は私が決めるわ!!!!!!!そもそも仲直り云々の前にお前はもう赤の他人じゃ!!!!!!!
はい。
後日談や補足はこんなところでしょうか?
まあこの辺は全て平成において来たということにして令和は楽しく生きようと思います
それでは!
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