「令和」からのRestart ①
こんばんは
モナです。
平成もあと1時間半ほどで終わりますね。
平成に置き去りにしたい思い出
私は平成生まれの平成育ちの人間です。
なので私の今までの人生は平成のものなわけで。ちょっと振り返ってみようかなと。
思い返せば私は正直平成に置き去りにしたい思い出がたくさんある。厄落としという意味でも書かせてください。
幼稚園編
物心ついたころから頃から俗に言う「いじめられっ子」だった。子育て支援センターでは男の子2人兄弟にいつもちょっかいかけられ、幼稚園では入園式の日に男子から突き飛ばされ大泣きし。その男子からは名札引っ張って服破かれたり蹴飛ばされたりと毎日のようにいじめられ。
(ちなみにこの男子は高校までずっと同じになるので便宜上適当にAとでもしておきますね)
幼稚園での思い出は私が大泣きしている横で先生がAに説教している図しかない。
あと、「幼稚園行きたくない!!」って家で泣き叫んだのは覚えてる。
この頃から母は私に帰ってくると「今日はやな事なかったかい?」と聞くようになった。毎日嫌なことあった前提かい。(ちなみに高校を卒業するまで続いた)
小学校編
小学校に入学し、私は家が隣の男子Rと、割りと家の近いAと毎日登校していた(というか集団登校でせざるを得なかった)ただ、低学年の頃は意外と関係も平和になり、私も女の子の友達が増え楽しくやっていた。(1年の5月くらいから眼鏡をかけ始め、メガネ女ー!ってクラスの男子からからかわれ続けたのが嫌だったくらい。そいつも数年後にはメガネになってた。)
中でも1番家の近かった女の子のNとは毎日のように遊んでいて母親同士も仲が良くなった。しかし2年の終わりにNは転校してしまう。子供心ながら、心に穴が空いたような寂しさがあった。
その後、凹んでいる私と一緒にいてくれたがMである。同じ習い事を始めたということもあり、Mとは急速に仲良くなった。
4年になった頃。Aの弟やRの妹などが入学し、彼らも一緒に登校するようになった。
その登校時にAやRが妹弟に私を攻撃するように命令し始めた。「タックルしろ」だのなんだのかんだの。さらに暴言も酷くなった。「声がキモい」「デブ」「黙れブタ」「うるせぇ死ね」は当たり前のように言われていた。もはや挨拶。
正直、結構痛かった。逃げようと思っても数には勝てない。
これがどうやって解決したのかはあまり覚えていないが、どんどんエスカレートしていき、先生が家に来て親たちと話していたのは覚えている。
この頃からAとの関係は酷くなっていた。蹴る、ランドセルを振り回す、暴言などが当たり前だった。それに対抗して私も口がどんどん悪くなっていった。
男子との関係は悪かったが、女子との関係は良好で、Mを含む女子6人くらいと仲良く遊んでいた。それが私の心の支えだった。
しかしこの時期に夜中に突然泡を吹いて意識を失い、(覚えてない。両親から聞いた話)てんかんが見つかった。この頃から度々頭痛に悩まされることになる。
多分、ここが私の人生のターニングポイントだった。
小5の時。それまで少人数だったため1クラスだったのが転校生が増えたため2クラスになった。
そこで私はM含む仲の良い友達全員とクラスが離れてしまう。
私のぼっちライフの始まりだった。
友達もすでにグループが出来てて馴染めない。最初は隣のクラスに行ったりもしていたが次第に隣のクラスの子達のみの関係ができており昼休みにすることがない。なんとなくぼんやりと本を読んで過ごしていた。
さらに、Mとは習い事などを通じて仲良くやっていたが、12月ごろに彼女も遠方へ(電車5時間レベル)転校してしまう。「なんで仲良い子はみんないなくなるの!!!」と自暴自棄になった。
そしてこの頃密かに片思いをしていた男子がいたが、男子多人数の前でその相手から「お前なんか女子じゃねーよwww」と言われそこからかなり傷つくことになる…もともと暴言吐かれることが多かったがこれは結構凹んだ。未だに私って女子らしくないんだろうなって思う。
小6になっても私はぼっちだった。
修学旅行の部屋割りも「余った人」グループで決まった。もはや私は人間関係に冷めていた。
それまで放課後は友達と遊んでいたけど、遊ぶことがほとんどなくなり家にいるか習い事に行くようになった。
その後Aとももう1揉めし、先生とAとの3者面談になり冷戦状態になるがなんやかんやでどうにか卒業する。(あんま覚えてないです)
長くなってきたので②に続く。
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