落語「死神」榎田信衛門2011年版
原作・初代 三遊亭圓朝
潤色・初代 丼々亭鰻丼こと榎田信衛門
※これは2011年9月4日に熊本市で開催された『榎田信衛門放送業界デビュー30周年記念ミニパーティ』での台本です。当時のFMCスタッフをいじる構成になっておりますが、この部分を適宜変えることでいろいろアレンジが可能です。尚、「下げ」については様々なバリエーションがあります。
○枕
世の中には、いろんな神様がおられまして‥
こと我が国では、八百万の神様と申しまして、
そこかしこ、
ほら、そこの○○○、○○○などに神様が居られるんだそうで、あたら粗末には出来ないことになっております。
ま、大抵の神様にはそれこそ御利益というものがあるようでして、何かしら有難い存在と申しましょうか、総じてとてつもなくプラス思考な存在ということになっております。
ところが、中には思いっきりマイナス思考な神様も居られるようでございます。
例えば『貧乏神』‥。この神様に見込まれてしまうといけません。何をやってもうまくいかない。当然お金はどんどん逃げていくわけでございまして、
かく云う私も、この貧乏神のお世話になっておりまして、そろそろお引き取りをお願いしたいところなんですが‥。
え?、ん?、ほうほう‥。
今、貧乏神様からの耳打ちが‥。
え?‥この会場に来ている誰かに?
ほう。引っ越してもよいぞ。
‥と、仰ってます。
はい?榎田お前が選べ‥。
んー、どうしようかなー。どの人がいいかなぁ?
じゃ、あの人!
‥と云うのは、ま、冗談で‥、と云うか、半ば本気だったりするわけでありますが‥。
そして、もうお一人、これ以上は無いと云うマイナス思考のチャンピオンみたいな神様が居られるようで‥。
○本題
女房「あーいや、ほんとにいや。ここ何日か金属製のお金しか入ってない。しかもどちらかと云うと茶色のとか穴の開いたのばっかり‥。紙で出来たお金が見たいわぁ。」
亭主「いいじやないか。金属製の方が丈夫に出来てる。」
女房「そういうこと云ってんじゃないの!」
亭主「じゃ、なんだよ~。」
女房「貧乏にも程が有るって云ってるの!」
亭主「仕方ないじゃないか。リストラされちゃったんだもの。その上この就職難だ。もうちょい我慢してくれよ。」
女房「先の見える我慢なら私だって出来るわよ。でも何なのよあんたは! お隣りの成田さんみたいにポリテクセンターで職業訓練受けるくらいのことしたらどうなのよ。成田さん、昔は荒れてたって云うじゃない。酔って何台もの車を壊したとか、それで鑑別所送りになったって噂だし‥。でも更生してるじゃない。時々飲んで淋しいポエムを書いたりしてるけど。でも頑張ってるじゃない成田さん。」
亭主「今でも酒癖は悪いらしいぞ。」
女房「でも働く意欲があるわ。あんたはどうなのよ。毎日ぶらぶらぶらぶら。」
亭主「ぶらぶらなんかしてないよ。こうやって横になってじっとしてるだけだい。」
女房「それをぶらぶらしてるって云うの!」
亭主「違う違う。省エネって云っとくれ。」
女房「もう頭にきた!あんたの顔なんか二度と見たくない。出てって頂戴!出てけっ!」
亭主「黙って聞いてりゃ色んなこと云いやがって!分かったよ。出てってやらぁ!気楽なホームレスを1回やってみたかったんだ俺は!出てくよ!出て行っちゃいますよ。行くけど‥。‥馬鹿ぁ!」
○橋の上
そう捨て台詞を吐いて家を飛び出しましたこの男。飛び出したのはいいんですが、元々お金が無い上に
頼るべき親戚友人の類が全然おりません。小1時間その辺りをぶらぶらしましたが、特に訪ねる当てもなし。まさしく八方塞りというのはこのことで‥。
亭主「あー、こんなところまで歩いちゃった。またお誂(あつら)え向きに橋の真ん中だよここは‥。まるで須崎パラダイス赤信号のワンシーンだねこりゃ‥。しかし、橋の上からぼんやり川を見下ろす姿ってのは何だねぇ、侘しいもんだねぇ。これが、脇に綺麗なお姉ちゃんでもハベらせてればさ、ちょっとしたデートの最中の句読点ってな寸法なんだがなぁ。あ、生活の句読点って云ってた番組があったなぁ。えーと何だっけ‥。確かぁ『100万円クイズハンター』だったかな。柳生博が司会してたな。すだれ頭の‥。ああ、柳生博の顔を思い出したら何だか死にたくなって来ちゃった。・・・そうだ。死のう。死ぬことにする。死ぬんだ俺は。死にますよ。死にますとも‥。よし!決めた!ここから川にドボンだ!」
(身を乗り出す)
亭主「うわっ、よく見たら高いね。ここからかい?・・水も少ないじゃないか。おいおい、シャレになんないよ。俺はねぇ、俺は水に溺れて死にたいの。水死よ水死。ああ、或いは溺死。ま、どっちでもいいけどこりゃ駄目だ。墜落死は駄目だって占いに書いてあった。・・・しかし、どうしたもんかねぇ。うーん、電車にでも飛び込むか?でもなぁ、あれって身体がバラバラになっちゃうそうじゃないか。嫌だよ切り身は。間違って煮付けにでもされたら浮かばれない。んー、困った。んー、どうやったら誰にも迷惑をかけずに楽に死ねるかねぇ。」
死神「教えてやろーか。」
亭主「うおっ!びっくりした。だ、誰だよあんた。いつからそこに?」
死神「ずーっとお前さんをここで見てたぜ。」
亭主「薄気味悪い爺さんだなぁ‥。俺は今ねぇ、取り込み中なんですよ。」
死神「死にたいんだろ。楽に死ねる方法を知りたいんたろ。」
亭主「何だいあんた。だ、誰なんだ?」
死神「へへへ、俺かい?・・・へへ、俺は、死神さ‥。」
亭主「死神?・・・普通だったらこんな出会いを信じるわけがないんだけれど、いや、思い当たる伏しがある。それに落語だし。ここで相手を認識してやら無いと先に進めない‥。」
死神「思い当たる伏しって、何だい?」
亭主「どんな貧乏暮らしになろうとも、カミさんから追い出されたとしてもだ。絶対に落ち込んだりしない超プラス思考なのがこの私。こんな橋の袂で死のうなんて考えること事態とってもおかしい。変!。有り得ない。・・ということは、あんただな。死神さんよ。あんたが俺に近付いたもんだから死にたくなったんだ‥。そうだろ!おい!死神!」
死神「へへへ、お前さん、案外バカじゃないらしい。‥そうだよ。俺が近付くと大抵の人間は死にたくなるんだ。」
亭主「お前さんの妙な術なんかで死にたかぁないね。どっか他のところに行ってくれ。」
死神「へへへ、ま、そう邪険にしなさんな。別にお前さんを取り殺そうなんて気は、さらさらねぇんだ。第一、お前さんの寿命はまだ尽きちゃいねぇ。」
亭主「あ、そうなの。」
死神「寿命の残った奴の命を取ろうなんて、死神の面子にかけて、出来ねぇこった。」
亭主「んなら、何しに俺の前に現われたのさ?」
死神「へへへ、人助けさ人助け。・・・知ってるよ。死神は何でもお見通しさ。お前さん、えらく金に困っているんだなぁ。」
亭主「単刀直入に来たね。そりゃまぁ貧乏であることは間違いないが‥。」
死神「カミさんこぼしてたぜ。ゲゲゲの女房の前半の貧乏暮らし編を観ながら『うちよりリッチだ』って‥。」
亭主「わ、わるかったな。」
死神「同業者の貧乏神も『俺が何かする前に自主的に貧乏になっていた』って驚いてたぜ。」
亭主「え?貧乏神がノータッチでこの貧乏?」
死神「なかなかやるなぁお前。」
亭主「誉められた気がしない。」
死神「まぁ聞きな。今からお前さんを助けてやる。死神様の人助けだ。」
亭主「なんだいそりゃ?」
死神「お前さんの8代前のご先祖様ってのが中々の変わり者で、自分の屋敷の中に死神を祀った祠を作った。死神界ではちょっとしたトピックスになったもんだ。その時の徳ってやつを、今、返してやろうってな寸法さ。」
亭主「でも、なんで俺なの?」
死神「末裔の中でもズバぬけて落ちぶれたのがお前さんさ。そいつを助けてやろうってんだ。意外と義理堅いんだぜ死神ってのは‥。」
亭主「一番落ちぶれてるのか俺は。そうか、そうだなぁ。でも、死神さん、どうやって助けてくれるんだい?・・・俺は何かしなくちゃいけないのかい?でも金はないしなぁ。」
死神「元手はいらねぇ。」
亭主「じゃ、どうするんだ?」
死神「簡単さ。これからお前さん、霊能者を名乗んな。」
亭主「霊能者だって?・・・あの細木なんとかとか江原なんとかみたいなやつ?・・あんなの出来ないよ。俺は元々正直者だもん。口から出任せは‥。」
死神「なーに、見たままの事を言ってりゃいいんだよ。それとなぁ、お前さんに、いいまじないを教えてやる。それを使うんだ。」
亭主「まじない?」
死神「いいか?これからお前さんは霊能者の看板を上げるんだ。するとお前さんとこにお客がやってくる。みんな死に掛けの病人を抱えて困っている連中だ」
亭主「そんな。簡単にお客が来る?」
死神「安心しな。ちゃんと術をかけてある。放っといても客の方からやってくる。」
亭主「なんだい。至れり尽くせりだな。」
死神「ホスピタリティが行き届いてるんだ最近の死神は‥。」
亭主「で、俺は病人を見に行くわけだな。」
死神「そう。その病人を前にしたら、足元と枕元をよーく見るんだ。どちらかに死神が座ってるはずだ。」
亭主「足元か枕元‥ですか。」
死神「死神が枕元に座っていたら、そのまま何もせず『手遅れです』と言って帰っちまいな。こいつはもうどうしようもないんだ。完全に寿命が尽きている。・・・だがな、もし足元に座っていたら、これは治せる見込みがある。」
亭主「俺が治せるんですか?」
死神「足元の死神に向ってこのまじないを唱える。いいかい?1回しか言わないぞ。覚えろよ。『アジャラカモクレン・シーベルト・10万ベクレル!』・・・そう言って、手をパンパンと2回叩く‥。分かったか?・・・これをやられると死神はこの病人を諦めることになっている。死神が離れちまえばすぐに治る。医者も見離したような大病人でもな‥。それを治したとなりゃ、お前さんには分厚い謝礼が転がり込むって寸法さ。」
亭主「でも、俺に死神なんか見えるかねぇ。」
死神「もう見えてるじゃねぇか。」
亭主「あぁ、そうか。あんたか‥。」
死神「ま、心配すんな。もうお前さんには俺の術がかけてある。駄目で元々。騙されたと思ってやってみな。それから言っておくが、いいかい?お前さんが助けられる病人は8人までだ。あんまり沢山助けられちゃ、俺達の商売上がったりだからな。」
亭主「なんで8人まで?」
死神「昔から言うじゃないか。《死にが八》ってさ‥。」
亭主「駄洒落としてはレベル低いと思うけど。ま、確かに駄目元だ‥。えー、なんだって?まじないねぇ。『アジャラカモクレン・シーベルト・10万ベクレル!』(手をパンパン)・・・あれ?・・・死神・・・死神さん?・・居なくなっちゃったよ。不思議だねぇ。あ、俺がおまじないを唱えちゃったからか。へへへ、こりゃ案外いけるかもしれないなぁ‥。よーし、看板作って霊能者を始めるか!」
この男、元々超がつくくらいのプラス思考の持ち主。深いところは何も考えておりません。一旦ヤル気になっちゃえばどんどん進んでいくわけでして‥。 帰り道、ビルの工事現場で拾ったベニヤ板のハギレと、近くのお店で図々しく借りてきた油性ペンで看板を作ってしまいます。・・・家に帰ればカミさんが『もう帰ってきた!このろくでなし!』と悪態をつきますが、そんな事はどうでもいいわけで‥。
○安アパートの一室
客A「こんにちは~。こちらで宜しいしょうか?霊能力をお持ちの先生のお宅は‥。」
亭主「あ、はいはい。もうお客がきちゃったね。早いねぇ。やるねぇ死神は。はいはい。私が霊能者でございますが、何かお困りかな?」
客A「(名刺を差出す)わたくし、こういう者でございます。」
亭主「ほう。マスコミの方‥。報道ですか。あのぅ取材はお断りしておりますが‥。」
客A「いえ、取材ではございません。実はわたくしの同僚が日頃のストレスでしょうか?倒れてしまいまして‥。」
亭主「ほほう、ストレスで‥。」
客A「日頃の不摂生もあったと思いますが、元々は公害問題などを熱心に取材する熱血記者だったのですが‥。今は意識が戻りません。」
亭主「で、お医者は何と?」
客A「はい。何人もの有名な医者に見て貰ったのですが、原因不明とのことで‥。」
亭主「それはご心配でしょう。」
客A「藁をも掴むつもりでいろいろ調べておりましたら、偶然先生のことを知りまして‥。」
亭主「分かりました。とりあえずご本人を霊視してみましょう。はい、今からその病室に参りましょう。」
○病室
病室に参りますと、その病人は静かに眠っております。
じっと目を凝らして見ておりますと、病人の足元、なるほど確かに死神が無言で座っております。
亭主「うぉっ!ラッキー」
客A「先生、今ラッキーって仰いませんでした?」
亭主「はい、申しました。いやぁ良かったですね!こちらさん、すぐに治りますよ。」
客A「す、すぐにてすか?・・・先生、気休めをおっしゃらなくて結構でございます。 この半年間、全国の名の有る御医者様に見ていただきましたが、一向によくなりませんでした。病名すら分からない程です。もうどうにも仕様が無い、こうなったら『祈祷』や『霊能者』のにでも頼ってみようと‥。とにかく困り果てまして先生におすがりしたような次第でございます。」
亭主「いや、俄かに信じられないのはよく分かります。しかしね、ここは私にお任せ下さい。兎に角、私の霊験あらたかな秘儀をこちら様に施すことに致しますので。つきましては、ここは一つお人払いをお願い致します。なーに、妙なものを口に入れたり触ったりは致しませんからご心配なく。」
客A「分かりました。ここは先生にお任せ致します。では、私は廊下でお待ちしております。」
亭主「終わりましたらお呼びします。・・・さてと、それじゃあ死神さん、覚悟して頂戴な。・・行くよぉ!『アジャラカモクレン・シーベルト・10万ベクレル!』(パンパン!)」
まじないをした途端。足元にいる死神が一瞬恨めしそうな表情を浮かべたと思ったら、スゥーっと姿が薄くなり、、溶ける様に消えてしまいました。すると、それまで青白い顔で意識を失っていた病人が突然大きなあくびをして『あー、よく寝た~。腹減った~。』なんて言い出したもんですから大変です。
客A「どうしました?あああ!起き上がってる!すごい!先生これはどういうことですか?凄いじゃないですか。本当にありがとうございます。」
亭主「いえいえ、これも世のため人のため。はははは!」
○安アパートの一室
見事に治してしまったということで、礼金がたんまり出るわけですございます。近年見たことがない厚みのある封筒‥勿論中身は札束ということになりますが、こいつを懐に入れまして意気揚々と引き上げて参りました。
そうなりますと、亭主にあれほど悪態をついていたカミさんも、まるで掌を返したように態度がコロッと変ります。
女房「(紙幣を数えながら)あなた。あなたなら出来ると思っていたわ。信じて良かった。付いて来て良かった。でも、やっぱりいいわねぇ金属製じゃないお金の触り心地‥。そしてこのインクの匂い。」
亭主「よく言うよ。ったく。」
○成功
さてさて、なんと申しましてもマスコミの力と云うものは大変なものでございまして、あの!有名な放送記者の命を救った大変な霊能力者ということで、あっと言う間に噂が広がります。
しかも、渡した礼金が数十万だ、やれ百万だったと噂が一人歩きしはじめますと、もう止まりません。
金に糸目をつけないリッチなセレブたちが次々に相談しに参ります。
古来、『断じて行えば鬼神も之を避(さ)く』と申しまして、ひとたびやるぞと決心してそれを貫けば必ず道は開けるとの例えの通り、霊能者然として出かけてみれば、何故か死神が足元に座っております。
いつものように人払いをして、まじない一発、たちどころに病人は全快。『有難うございます。あなたは名医だ南方仁だ』と持て囃されて、しかもドンと礼金が転がり込むという寸法。
ところが、たまに死神が枕元に座ってたりすることもあるわけですが、そんな時は‥。
亭主「うーむ。誠に残念ではありますが、こちらの方は治りません。」
客B「そ、そ、そんなぁ。先生。先生は医者が見離した病人を一発で治したって評判の御方ではありませんか。お願いです。なんとか!謝礼はもう幾らでも!」
亭主「いやいや、どうか落ち着いて聞いて下さい。こちらの方の寿命はもう尽きておられます。私がどんなに力を与えてもそれを伸ばすことなど出来ません。誠に残念ですが、私はこれで失礼させて頂きます。」
そう言って部屋を出た途端、病人がガクッと息を引き取る。そのタイミングが絶妙だったということもあり、なるほどあの人の霊能力は本物だと、今度はその名声まで一気に高まって参ります。
まさにイケイケドンドン!放っておいても金と名誉が転がり込むという状態。
しかし、こういう調子で男がまとまった金を握ってしまいますと、すぐに悪い虫が騒ぎ出します。
夜な夜な煌びやかなネオン街に繰り出しまして、1本何十万円という高級なお酒なんかを気前よく明けちゃいまして、いわゆる夜の蝶を群がらせる始末。
しまいには古女房と子倅にまとまった金を握らせて叩き出し、代わりに若いネエちゃんをとっかえひっかえ家に引っ張り込んで酒色に溺れる毎日。
○転落
しかしまぁ、金と言うものは貯めるよりも使うほうが時間がかかりません。あっと云う間に元のすっからかん状態。そうなりますと《金の切れ目は縁の切れ目》ということで女達も居なくなってしまいます。
亭主「金なくなっちまったなぁ。でもまぁいいや。また霊能力者をやりゃあいいんだもんな。死にが八のうち6人まではやっちゃったけど、あと2人残ってるし、大丈夫大丈夫。」
再び看板を付け直してみたものの、どうやらツキが離れてしまったらしく、お客はさっぱりという状態。
たまにお客が現われて病人の元に出向いてみますが、どういうわけか死神は枕元に座っていて手出しができません。
ある日のこと、この街でも一、二を争う外食産業グループ鶴田実業の秘書課長の甲斐匠平が飛び込んで参りました。
匠平「せ、先生。お願いです。わが社の社長の命を、命を救って下さい!」
亭主「鶴田実業と言えば、あの超高級バーとして有名なバーコロン、そして高級ソープランド・マスタードクラブなんかを経営しているあの鶴田実業ですか?」
匠平「よくご存知でございます。その鶴田実業でございます。」
亭主「行きましょう。すぐに参りましょう。」
○鶴田実業
鶴田実業の秘書課長・甲斐匠平の案内で、社長の大豪邸に参ります。
亭主「大変な豪邸ですな。敷地も大きい。どれだけあるんですか?」
匠平「はい。僅かなものですが、東京ドーム8個分くらいの狭さと聞いております。」
亭主「我が家はエポック社の野球盤10個分の広さですよ。ははは。はぁ‥。ところで社長さんはなんで倒れられたのですか?」
匠平「一言で言って飲み過ぎです。散々飲んでもまだ飲みます。とにかく飲み過ぎです。」
亭主「その後、腹減ったとか言ってラーメン裕とかヒライでどっかりくるものを食べたりしてるでしょ。」
匠平「せ、先生。よくお見通しで。さすが名高い霊能力者様でございます。しかしそのような生活をずーっと続けてきたツケが一気に廻って来たようでございます。」
亭主「お医者はどのような見立てを‥。」
匠平「バカにつける薬はないと‥。」
大豪邸の奥の院。30畳はあろうかという寝室。ふかふかの布団の中で横たわっておりますのが、かつてはナイトレジャーの帝王とまで呼ばれた飲食業界の風雲児マスタード☆鶴田その人でありました。
亭主「あ、枕元にいやがる。またかよ。折角のチャンスだと思ったんだけどなぁ。あ、秘書課長さん。残念です。私にはこの御方を治すことはできません。」
匠平「そんな。な、なんとかなりませんでしょうか?」
亭主「私も出来る事ならなんとかしたい。何とかしたいけれども、枕元に‥。駄目なんです。どうしようもないんです。諦めて下さい。」
匠平「先生。今、社長に亡くなられますと、経営が立ち行かなくなってしまいます。」
亭主「社員の皆様で力を合わせればなんとかなるでしょう。」
匠平「それが無理なんです。我々は、あんなには飲めません。先生!どうでしょう。二百万。二百万円謝礼をご用意しております。これでお願い出来ませんでしょうか?」
亭主「に、二百万円!・・うーん、でも、無理なものは無理なんです。諦めて下さい。」
匠平「三百万!どうです?」
亭主「いくら額を増やされても、無理なんです。社長の寿命はもう切れ掛かっているんですから。」
匠平「分かりました。半年、いや3ヶ月だけで結構です。社長の命を繋いで頂けたら。その間に我々で会社の体制を立て直します。とりあえず前金として五百万出しましょう。成功した暁には残り五百万。」
亭主「合わせて一千万!・・・すみません。ちょっと動悸がしてきました。ちょっとだけ休憩させて下さい。」
○閃き
そう言って予め用意してあった控えの間に通されます。一人になっていろいろ考えを巡らしますが、結論には至りません。
亭主「空気変えよう。ちょ、テレビでも見るか。(リモコンでピっ)」
亭主「CSかな?スカパー?・・・お、懐かしいねぇサンダーバードかぁ。1号いいねぇ。ロケットだねぇ。お、2号出動だ。行けバージル。そうそう滑り台。何故か頭から落ちていくんだ。そこで一旦止まって、クルリとターン・・・。クルリとターン・・・。やったよ国際救助隊。あんたら本物だ!」
控えの間から飛び出しまして、廊下で沈んでいる秘書課長の肩を揺らしながら・・
亭主「ひょっとしたら社長さんの命を救えるかもしれません。いや、確証は無い。けれどもやってみる価値はある。」
プラス思考という点では誰にも負けないこの男。押しの一手で秘書課長を説得してしまいます。
亭主「若いスタッフを4人集めて下さい。出来るだけ力が強いのがいい。」
○対決
社内から選りすぐった体育会系の若いスタッフが集まりました。
亭主「いいですか。力自慢の皆さん。4人其々布団の四隅に座って下さい。いつになるかはまだ分かりませんが、私が合図を送ります。そうだな。膝をポンと叩きましょう。そうしたら布団の四隅を持って前後をひっくり返す。つまり頭が足、足が頭の位置に来るという寸法です。何時間後になるかは分からないけれど、頑張って下さいよ。」
さあここからが死神との直接対決と相成ります。
相変わらず死神は、マスタード☆鶴田の枕元に座っております。
そろそろ虫の息となってきたマスタード☆鶴田。もう一息と死神も踏ん張っております。
しかし、なかなかしぶといマスタード☆鶴田。余程この世に未練があるのでしょうか。
こうやって何日もの間、死神は、それこそ不眠不休でマスタード☆鶴田を睨みつけていたわけですが、さすがに疲れが出てきたようです。そのうちコックリコックリと居眠りをしはじめます。そしてその眠りがトンと深いものになった瞬間。
亭主「今だ!」
ポンと膝を叩きます。その直後、待ってましたとばかり布団をひっくり返す4人の力持ち。
死神、ハタと気がつきますが、目の前にあるのはマスタード☆鶴田の足元。
亭主「・・・『アジャラカモクレン・シーベルト・10万ベクレル!』パンパン!」
死神、びっくり致します。全く理解不能な超常現象。
枕元に座っていたはずなのにいつの間にか足元に。そしたらいきなりまじないをかけられてしまった。異議を唱えることも出来ず問答無用で死神はスゥーっとどこかへ消え去ってしまいました。
すると、いきなり立ち上がるマスタード☆鶴田。
マス鶴「ビールと餃子、あとジョニ黒も持ってきて。」
その立ち姿を見て感涙にむせぶ鶴田実業の社員一同。
匠平「先生。有難うございます。これで会社は救われました。こちらはお約束の一千万円でございます。この御恩は一生忘れません。」
○因果
こうして再びリッチな懐具合に戻ったのはいいのですが、帰り道のこと。
亭主「へへへ。あの時の死神のびっくりした顔の最高だったこと。へへ、目ん玉ひん剥いて飛び上がってたもんなぁ。」
死神「驚いて悪かったな。」
亭主「あ、あの時の死神さんじゃないの。久しぶり。いやぁすっかり世話になっちゃって、ほんと助かってま~す‥。ん?あれれ?さっの死神ってまさか、あんた。」
死神「俺だよ。よくもオイラの顔に泥を塗ってくれたなぁ。」
亭主「え?そ、そんなわけじゃ。決して‥。でも、あー、御免なさい。」
死神「恩を仇で返されちまったよ。」
亭主「いや、あ、あんただと分かっていたら、あんな真似はしてなかった。」
死神「後の祭りさ。やっちまったことは取り返しがつかねぇ。覆水盆に帰らずってやつだ。俺は恥をかかされちまった。仲間内でもすっかり笑い者だ。さぁ、落とし前つけてもらうぜ。」
亭主「どうしようって言うんだ。そうだ。礼金、半分あげる。それで許しておくれよ。」
死神「うるせぇ、さぁこっちに来るんだ。」
死神に手を掴まれるとすぅーっと引っ張られるまま自然に足がそっちに向いてしまいます。これも死神の恐ろしい魔術によるもの。
しばらく引っ張られて行きますと、見たことも無い洞穴の前に出てしまいました。
○洞窟
死神「さぁ、この洞穴の中に入るんだ。」
亭主「暗くて何も見えない。死神さん、もっとゆっくり。転んじゃうよ。」
死神「おいら、さっきはひっくり返りそうになったぜ。」
亭主「だから申し訳なかったって謝ってるじゃないかぁ。 しかし、随分奥まで続いてるんだなぁ。ん?なんだ?この先、妙に明るいなぁ。」
死神「蝋燭の明かりさ。」
亭主「うわっ、なんだ。この蝋燭の数は。」
死神「これはな。只の蝋燭じゃねぇ。人間一人一人の命の蝋燭さ。」
亭主「命の蝋燭?」
死神「寿命のインジケーターみたいなもんだ。ほら、そこに半分くらいの長さでガンガン燃え盛ってるのがあるだろ。」
亭主「あ、これ?・・なんだか勢いがある燃え方だねぇ。」
死神「それはお前が追い出したカミさんの寿命だ。」
亭主「なんか元気そうで腹が立つ。」
死神「その横の長い奴。それはお前の倅のだ。長生きするぜこいつは。」
亭主「その横の消えかかってる短いやつ。これは誰だい?」
死神「へへへ。」
亭主「ま、まさか。」
死神「へへへ、そのまさかさ。・・・・教えてやろう。その横にある3分の2くらい残ってるやつ。それが元々お前の寿命さ。それをお前・・ぷっ、へへへへへ。バカだなぁ自分でとっ替えてやがる。ひひひっ。」
亭主「俺、そんなシステムだったなんて聞いてないもん。」
死神「俺を出し抜いて頭と足をひっくり返したりするからだ。お蔭でマスタード☆鶴田の寿命は延びたぜ。あと50年は飲み続けるぞ。どれだけ自家消費をさせるつもりだ?」
亭主「なんとか、許して頂けませんか?頼むよ死神さん!」
死神「お前、楽に死ねる方法を知りたがっていたじゃねぇか。楽だぜ。痛くもなんともねぇ。すっと死ねる。さぁ、その蝋燭を《ふっ》とやってみな。ほらやんな。」
亭主「許して下さい。お願いします。・・あ、そうだ。あんた8人まで助けられるって言ってた。そうだ言った。間違いない。俺が助けたのは7人だ。じゃ最後の1人・・・俺を助けてくれ。」
死神「ちぇ、妙な理屈を思いつきやがったな。お前にゃもうカミさんはいねぇ、子どももいねぇ、金もねぇんだ。これから先、何も楽しいことはねぇんだぞ。それでも生きていたいのか?」
亭主「死にたくない。」
死神「じゃあ仕方がねぇ、ここに半分燃えさしの蝋燭がある。これをお前に呉れてやる。」
亭主「こ、これをどうしろと‥。」
死神「お前の消えかかっている蝋燭の火をこの燃えさしに移すんだ。もし、うまいこと火を移すことができたら、お前の寿命はその分延びる。しくじったらそれで終わり。ジ・エンドだ。」
亭主「わ、分かった。やってみる。うん。」
死神「へへへ、手が震えてるぜ。火が消えたら終わりだぞ。へへへ。死ぬぞ~。」
亭主「黙ってて呉れないか。こ、こっちは命がけなんだ。」
死神「なぁ、命ってのはそれくらい重いんだぜ。へへへ。」
亭主「う、よし。よし。やった!点いた!火が点いたよ。助かった~。」
死神「ほう。つまらねぇけどよくやった。」
亭主「これで帰れる。」
死神「ああ、せいぜい長生きするこった。」
亭主「世話になったな。さいなら。でも俺には一千万がある。ふふふ。」
死神「行っちまったか。ろくでもない奴だが、憎めねぇ奴だったなぁ。・・・あ、間違えた。さっきの、普通の仏壇蝋燭だ。寿命の奴はこっちだった。あ、消えた。」
2011.8.11初号完成。榎田信衛門