なんで今ツイス島&シャウ島?

あんまり衝動のままに文章を書くことに、良かった試しが無いのでツアー初回とアルバムの振り返りを今更しておきたい

なんとなくアルバム作っているんだなと察しだしたユニコーンのファンクラブ生配信で、ワクワクした反面、この時期にユニコーンという大御所ロックバンドの新譜は、どんなものなのか少し「今やる意味」という上からの目線でユニコーンの新譜を待っていた。

オリンピックの開閉式のプロデューサー問題とコロナ禍でのライブ問題で揺れた初夏
好きだったアーティストの過去の発言や作品が取り沙汰されて、国の問題として好きなアーティストが一斉に非難されたことがあった
インターネットの人たちやメディアたちはアーティストが今までやってきた作品と、経歴やアーティストの社会性の同列で見るようになり、この国でアーティストとしてお金を稼いでいくことやアーティストが国の行事に携わること、アーティストの立場が一段と厳しい状況になっていってるように見えた7月にユニコーンの新アルバム「ツイス島&シャウ島」というアルバムからの新曲「ミレー」が公開された。

ABEDONのにっこりから始まる50年代のロックンロールとリズム&ブルースの押し売りと、明るさや元気づけようと無理矢理しないカラッとした気持ちよさ    ユニコーンが勝手に楽しく素晴らしい楽曲を提供することの信頼性の強度を目の当たりにして、いい意味の責任の放棄と、ユニコーンの絶対的にブレない軸に安心したのを覚えた

私は、コロナ禍でのアーティストの主張や立場とオリンピックでみたアーティストの消費の仕方を見た時に、私の好きなものが崩されて他人に乱されてしまったと感じていたが、
ミレーと次に出されたスペースカーボーイズ、またSNSで続々と投稿される5人たちのユニコーンとしての姿は私にとってすごく大きな光に見ていた

奥田民生、ユニコーンのノンポリな発言や、思想というのは日本ロックンロール史の中で、どちらにも向かずまさにクリーンであり無である姿である。

ベストヒットUSAでレノン&マッカートニー特集で、後年のジョンレノンがオノヨーコの政治的な主張を伴う楽曲の解説をしていた小林氏との会話で、

「僕は主張が無いので」というような発言があり、またアーティストと思想については内田裕也からの歴史があるので、また勉強したいと思っているが、

このコロナ禍での奥田民生の活動はyoutubeの使いこなしてギターの紹介や好きなアーティストを呼んで奥田民生ならではの企画プロデュースをやってきた。

現在の情勢で自分のスタイルを崩さずに音楽をやっていくことは難しく、アーティストが自分の姿勢を主張する意見と伴った曲の2つ。
人間性が素晴らしいアーティストが素晴らしいアーティストとされている。
今の情勢の中でユニコーンの曲げないの姿の方が難しくある意味でのロックンロール的姿なのかもしれない  

現在ロックンロールは誰も聞かない、衰退していく文化20代で大学に所属して、いろんな文化に触れていく私にとっては、ロックンロールが好きな私とオートチューンがかかっているようなhiphopが好きな私とで分離していて、純真なロックバンドなんていないし、友達に勧めてもらうロックバンドはあってもそれはJ-popだろと思ってあるところがある。

その中で、自分のスタイルを貫きロックンロールで13曲ロックンロールの音づくりにこだわった曲作りされた、明るく楽しくて踊りたくなるような勝手に無責任な音楽は、ずっと彼らが突き通してきたカタチで責任を負わないと言う、ある意味で新しいアーティストが取る流れを逆流していると言うロックンロールスタイルと言えるかもしれない

まぁ全曲を聞いた後はそんなこと何もかも忘れてしまうし、一気に60年台の彼らの世界に引き摺り込まれてしまうので楽しかったことしか覚えていないアルバムで、 何にも考えずに聴いてします。そんな剛腕さを持っている楽曲たちは、どれも可愛くて誰もツッコミどころを持っていながらたまに泣かせられてしまう。      

一曲ずつ解説などロックンロール史に詳しくない私には難しいので、彼らの通すべき筋と突き抜けるほど明るいと言うことは伝えていきたい

ライブのことはまた今度書きたいと思いますが、楽しかったことしかあんまり覚えていないので、

次はABEDONのスタッフを食わせて行くことバンド興行についてもっと考えたいなぁ





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