見出し画像

MBTIじゃない、俺を見ろ

 MBTI。気づくと4文字のアルファベットの組み合わせが世を席巻していた。特に同世代の間では常識のようになっているらしい。組み合わせごとの相性なんかもあるとかで、SNSのプロフィールに生まれた年や出身と一緒に並ぶほどの覇権を握っているようだ。一方、信ぴょう性がないとか本来のものとは別物が流行っているとかそういう話も聞く。

 カテゴライズされると己の性質に分かりやすく理由がつくから安心できるのではないか、と思う。それに、同じように他人もわかりやすくカテゴライズされることでジャッジしやすくなる。人との関わりがシンプルになるのがメリットなのかなと、横目で見ながら考える。

 知ったことか。何がMBTIだ。おれをみろ。そんなアルファベット10なん種類に、全人類がカテゴライズされてたまるかよ。

 自分は論理より感情優先だなとか、アドバイスより共感がほしいんだなとか、小さな出来事や経験の中から自分のかけらを拾い集めて解像度を上げていくことは、人生のタスクであり楽しみであるような気がする。その理由の大半を、MBTIだの性格診断だのにもっていかれるなんて興が覚める。
 「わたしはINFPだからこうなんだよね」じゃなくて、「わたし小さい頃こういう経験があって〜」とか「昔付き合ってた恋人がこうでね」とか、そういうミクロな体験をもとに話をしよう。あなたやわたしの性質が、どれだけ一般化できるかなんて気にせず、唯一無二の特別なこととして、あなたの人生や心や頭の中の話がしたい。シンプルなんかじゃなくていい、おもいきり時間をかけて、泥臭く、時に遠回りもしながら、たくさん考えて話をしよう。ドラマティックでもなんでもない自分の人生を、せめて自分だけは凡化せずに読み尽くして味わい尽くしていこう。その過程自体が、わたしにとってはわかり合うという結末よりもずっとずっと魅力的だ。
 わたしは、あなたの話が聞きたいよ。