見出し画像

死の影から逃げる美の基準

嫌悪は、死への忌避感に由来します。
人間は、死に関連する老いや病の象徴として、美醜を見ています。
「一般基準で醜いとされる人は、皮膚の状態、顔立ちの出来、体臭などが老いや病を象徴している」などという飛躍した暴言は身もふたもないです。
待ってください。まだ結論ではありません。なら、断言するなという話ですが。最後にはちゃんと覆しますので。
 
「老い」への恐怖が生む「不健康な老体」に対する嫌悪感の例として、ここで、TiktokのCEOがアメリカ老人議会の公聴会に呼び出された映像ご覧ください。

言っていることは英語だし、5時間もあっちゃ内容なんか最初の一分も見ませんね。
飛ばし飛ばしで見て、たるんだ皮膚を揺らしてはち切れそうな白人方に囲まれてる若いアジア人男性が可哀想と思うくらいです。
これが切り抜かれては、正義はTiktokにありと思わせるのも簡単です。
 
どうしてこんな風に感じちゃうんだろう?を考えるに
崇高と美の物差しを使ってみましょう。
かのエドマンド・バークは「崇高と美の観念の起原」で、「美しい」と「崇高さ」の違いを決めておいてくれました。
バークいわく、美しいものは以下の条件があると
・小さい
・滑らかさ
・調和がとれた緩やかな曲線
・繊細で壊れやすい弱さ
・やわらかい色彩
バークは美を「快楽」と結びつけ、調和、滑らかさ、柔らかさなどの特質が美を形成すると論じました。
日本のキャラクターは基本が丸なのです。日本人の赤ちゃん美的感覚にとても合致しております。
人間の美に適用すると、細かい顔の作りに、白くて透明感のある肌、滑らかな曲線の体と、日本的美人の出来上がりです。
これらは、人間に愛情を抱かせ、親切心をかき立てる力を持つということです。
そして、これらは老いの兆候に反するものです。
 
一方で、恐怖や危険が美的な感情を生むことがあるとも言っています。
危険を感じるような対象に出くわしても、その恐怖が自分の身の安全が確保されてる距離から感じられる場合に、恐怖や畏怖が交じり合った魅力に変わる
それが「崇高さ」です。
崇高なものは次のような特徴を持つと
・恐怖の感情を引き起こす圧倒する力
・巨大、広大
・人間を圧倒する強大な力
・想像力を刺激する曖昧さ
・危険性
例えば、グランド・キャニオンとか廃墟、嵐の海などです。人間の美に適用すれば、アンジェリーナ・ジョリーとかニコール・キッドマンといったところでしょうか。
日本人が好きなオードリー・ヘップバーンとかではないのです。日本の女優でパッと思いつくのは小雪でしょうか。
 
こちらのサイトにて、欧米の「崇高」が評価される土台や、日本の「崇高の美」についての遅れ、幼稚な美が好きな美意識の幅の狭さについて語られておりました。
前述の「崇高と美の観念の起原」を説明するにあたっては、ほぼこちらを真似させていただきました。
http://www.aynrand2001japan.com/akira/akira20020214.html
 
「美しさ」と「崇高さ」はどちらも人を魅了する力があります。やはり、最初のわたしの主張は短絡的に断言しすぎました。
赤ちゃんはグランドキャニオンに泣いちゃうけど、大人は感動しますよね。
動物でも魅力を感じられるのが「美しい」で、
動物的には死を感じるものを、悦びに昇華させられれば「崇高さ」を感じられるということです。
日本人的には「美しい」は「かわいい」の方が言葉の感覚が近いですね。
 
本来は嫌悪すべき死を、文明レベルが高すぎて高揚感に興奮してしまうのです。人間様は。
発達した文明社会特有の感覚です。変態です。
ジェットコースターって罪深いとは思いませんか。
疑似的な死を遊びで体験したがるのに、事故が起こったら怒るなんて人間の傲慢ここに極まれりです。
 
年の瀬が迫るこの頃、日本アニメの人種いかんで騒がしいですね。
言ってやりましょう。アメコミキャラでシコッてるお前たちは変態だと。
我々のようなレベルの低い幼稚な美の方が魅力的でしょって。吉永小百合きゃわきゃわでしょってね。

いいなと思ったら応援しよう!