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西洋絵画みたいなリアルな絵の方が上手いし、浮世絵とか中世の絵って下手じゃない?
これに対して、絵画表現において「上手い」「下手」を単純に決めつけるのは早計で~それぞれの文化や時代背景で「絵画が何を表現すべきか」という基準は異なって~それに応じた多様な方法があるんだから~
下手とか上手いとかじゃないの~そもそもさ~となっているのは、
既に、多くの先生たちの面白い解説がありましたので、以下をご覧ください。
それはそうと、そもそも皆が想像してるであろう線遠近法を使って描かれた絵画はリアルなんでしょうか。
という所から話を始めるのも楽しいかもと思った次第です。
線遠近法ってなに?をざっくり過ぎるくらいに言うと、写真で撮った像のことです。
つまりですね、結構な人々が、人間の視覚が「写真のような視点」と等しいものだと誤解しているから
線遠近法による立体感をリアルだと思っているんじゃないかなと。
人間の視覚の特性
人間の視覚は、単一の静止視点によるものではなく、
多視点からの情報を統合することによって三次元空間を認識しています。
眼球は球体であり、一点に視点を固定した場合、鮮明に見える範囲は限られています。
この狭い視野を補うため、人は眼球を動かし、さまざまな角度からの像を集めて、
それを脳みそ使って一つの像に再構成します。
その組み立ての際には、視覚情報だけでなく、過去の経験や触覚、匂いといった他の感覚情報も加わることで、脳内で三次元の空間が形になります。
このように、人間の視覚は常に動的であり、脳が補完して再構成する多視点的な認識に基づいています。
線遠近法の限界
線遠近法は脳の中の3次元を幾何学的に当てはめ、単一の視点に変換して再現する方法ですが、この視点の固定化は人間の本来の視覚認識とは異なるものです。
実際に人の目で、一点を見つめて視線を動かさないでいると、写真のようには見えず細部がぼやけて、そのうちに、遠近感を失い違和感が生じてくると思います。
線遠近法に即した像というのは、写真か絵でしか存在しない物なんですね。
こう考えるとむしろ、
多視点による表現の方が人間本来の見方に基づいてるとも言えるのではないでしょうか。
日本美術の独自性と多様性
日本の美術においても、
西洋の線遠近法が取り入れられ浮絵というジャンルが出来たりもしましたが、
西洋から取り入れた遠近法や立体表現を絶対唯一とはしないで、合わせて俯瞰法や輪郭を強調する表現など、様々な方法を組み合わせた独自スタイルを発展させました。
これに関しては、一神教と多神教的アミニズムがどうたらみたいな話もあるみたいで面白そうです。
そんな中、日本の至宝・画狂老人卍の「神奈川沖浪裏」は視点を移動して描く多視点を陰影を取り除くことで表現し、一点透視図法と俯瞰法を用いた構図で描かれており、
こんな西洋文化に衝撃を与えた浮世絵なんかも生まれているのです。
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こういったことからすると、かつては線遠近法をあくまで方法論の一つとして捉えていたんでしょうね。裾がひろい。
現代における誤解と線遠近法の影響
なら何故、
「なぜ昔の日本の絵とかは、西洋のような見たままのリアルな絵じゃないんだろう」
という疑問が現代で生まれているのでしょうか。生まれてないかもしれませんが、都合上、勝手に生んどきました。
これは、先に述べた人間の視覚の能力の影響ではないでしょうか。
人間は多視点で見た像を再構成し脳で三次元空間を認識する。
→その再構成の際に、今までの経験を情報として加える。
→現代人の私たちは、線遠近法に忠実な写真の像を多く見て記憶に蓄積されている。
→線遠近法によって見える画像が概念として人間の脳に記憶され、線遠近法を用いた絵は人間見たままに最も近いと判断している。
つまり写真技術の発展によってもたらされた疑問だったのです!!散弾論法!ドーン👉ドンドンドーナッツ🍩ドーンと行きましょう!
もしかしたら、私たちは昔の人と世界の見え方が変わっているのかもしれません。
光の見事な自然の中で、風に吹かれて景色を眺めてる時に、『この風景、新海誠みた~い』と思うようになってしまったの嫌ですよね。
おわり