#29 おみやげ渡しすぎる病
みなさまいかがお過ごしでしょうか。エノキです。
今日アルバイト先に先日の研修旅行のお土産を持っていきました。
すると上司から一言。
「もうお土産買ってこなくていいって言ったでしょ!!」
…はい。覚えてました。でも買ってきちゃいました。ごめんなさい。
というわけで、今回はおみやげ渡しすぎる病を発症している私のお話です。
1.おみやげ渡しすぎる病とは
この病名は私が勝手につけました。
とはいえ、これは病気ではなく性格の話です。
私はどこか行っちゃーおみやげを買ってきて渡すということをしています。
恐らく、他の人より頻度も量も多いと思います。
本当に、病的におみやげを渡しているんですよね。
「この前もおみやげあげたばかりだからいっか」とか「別に出かけるって言ってないからいっか」という考えが頭をよぎるっちゃーよぎるんですが、気づいたらレジでお金を支払っています。
外出の予定が重なったときにはおみやげ渡しラッシュが発生することもあります。はーあ。
2.最近の症状
バイト先や友達にはここ数年、地元に帰省した際に必ずおみやげを買っていきます。
さらに今回のように旅行した時も、バイト先や友人におみやげを買っています。
「遠出をしたらおみやげを購入しなくてはいけない」という義務感も特にないですし、「バイト先や友達にゴマすらなきゃ」みたいな気持ちも特になく、ただただ単純に「あ、おみやげ買っていこう」という思考になっているだけなのです。
このように私の脳内ではもう、遠出とおみやげは切っても切り離せない関係になってしまいました。
ちなみに今回なぜ上司に怒られたのかと言いますと、以前、帰省した際におみやげを持って行ったとき、「もう次から買ってこなくていいよ、余計なお金使わなくても」と言われたのに持っていったからですね。
完全に上司のお言葉を無視した形です。
帰省するたびに何かしら持っていくので(親から「お世話になっているんだからおみやげ持っていきなさい」と言われて持たされているというのが本当のところなんですが)、そこまで気を遣わなくてもいいよという意味で言ってくれたのでしょうが、やっぱり「買っていこう」という気持ちになってしまいました。
今回は特に自分のお金で買っていったので、「わざわざ大金使わなくても。お金は大事に使いなさい」と言われてしまいました。ごめんなさい。
3.兆候はあった
このおみやげ渡しすぎる病、別に最近発症したわけではないんですよね。
思い返せば過去に兆候がありました。
遡ること10年。当時小学校6年生。修学旅行にて。
私の学校では鎌倉やディズニーランドに行ったのですが、その先々で私はおみやげを購入しました。
家族で食べるお菓子、兄弟へのおもちゃ、祖父母たちに渡すお菓子、ピアノの先生に渡すグッズ…などなど買い漏れの無いように慎重に買い物を進めました。
修学旅行の思い出と大量のおみやげを持ち帰り意気揚々と自宅に戻った私。
荷物の片づけが一段落し、おみやげの仕分けを始めた私の元に母がやって来ました。
私は一つ一つ確認しながら、「これはうちの、これはばあちゃんちの、これはピアノの先生の…」などと母に説明しました。
普段おつかいもしないような子供だったので、ちゃんと買ってこれたよのアピールタイムです。
ひと通りおみやげの渡し先の説明を終えてホッと一息ついている私に向かって母が一言。
「で、自分へのおみやげはどれなの?」
そこで初めて気付いたんですね。
自分のおみやげを買っていなかったことに。
本当に何も自分で買わなかったのかというとそういうわけではないです。
かろうじてディズニーで友達と一緒に買ったピンのヘアアクセがありましたが、おみやげというか、ノリで買ったものだったのでおみやげとは言い難いものでした。
となると、やっぱり自分へのおみやげは買っていないという結果だったのですね。はぁ。
ここから、ちゃんと自分のお土産を買おうと意識するようになるのですが、 9.5:0.5 が 9:1 の割合になったくらいで、自分以外へのおみやげを大量購入しているのに変わりはありません。
4.なぜ私はおみやげ渡しすぎる病になったのか
改めて考えてみました。考えられる要因がこちら。
①おみやげを律儀に買う母を見て育った
②おみやげを選ぶのが楽しい
③おみやげを渡して喜んでくれるのが嬉しい
まず①について。私の母は家族で夏休みなどに遠出するたびに祖父母や職場へのおみやげを購入していました。その姿を見ていたので自然と「遠出をしたらおみやげを買う」という姿勢が身についたのかもしれません。
②はあるあるだと思います。おみやげ売り場って眺めているだけで楽しいですよね。あの人は何を買っていったら喜ぶかな、この前こういうの喜んでくれたから今回もこういうのにしようかな、など、渡す相手のことを考えながらおみやげを選ぶ瞬間って楽しいです。
ところが面白いことに、これが誕生日プレゼントとなるとめっぽうダメなんです。「プレゼントのセレクトを失敗してはいけない」という謎のプレッシャーに襲われてしまうので、必ず相手に何が欲しいか聞いてしまいます。
ですがおみやげはそもそも”失敗”という概念があまりないのに加え、おおむね食べ物を渡せば間違いないので、プレッシャーを気にせずのびのびと選べるという解放感も相まり、とても心が弾むのです。
最後に③。やっぱりこれに尽きるんですかね。おみやげを渡して喜んでもらえると嬉しいのです。若干自己満足に近いところもありますが。
私はよくちょっとしたお菓子を配ることもあるんですけど、それもやっぱり喜んでもらえるのが嬉しいという気持ちとちょっとの自己満足があるからです。
これを書きながら「これって偽善か?」とも思いましたが、やらない善よりやる偽善。そう思って受け止めてほしいです、私の喜んでもらいたい欲を。
これらの要因によって、いつの間にか「おみやげを買って渡す」行為が私の生きがいの一つであり、人生で楽しい瞬間にもなってしまったため、おみやげ渡しすぎる病になってしまったのでしょう。
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まぁ確かに、おみやげなんか買わないで自分のためにお金使えよとか、自分のおみやげを最優先に買えよっていう言い分も分かるんですけどね。
分かりますよ。とても。
分かるんですけど、でも、少しでも旅先の空気をおすそ分けしたくて買ってしまうのです。
ですから今後も私から何かを渡された方は気持ちよく受け取ってくださると助かります。
私の趣味にぜひともお付き合いいただけますと幸いです。では。