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 かつて地方の小都市の病院に勤務していた。

 もう隠す必要もないから書くが、赤穂市だ。

 忠臣蔵で有名、と言っても最近はやらなくなってきたようだが、赤穂事件で有名な赤穂藩があったところだ。

 討ち入りの日、12月14日には赤穂義士祭がひらかれる。街にとっては最重要と言っても過言ではない大きなイベントだ。

 中村雅俊さんが大石内蔵助良雄を演じたことでも話題となった。

 5万石という石高にしては立派な赤穂城があったところだ。立派にしすぎたために、天守閣が作られなかったという。

赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ,慶安元年(1648)より13年以上に亘る歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成したものです。

城郭の規模は、10の隅櫓、12の諸門があり、曲輪の延長は2,847mに及んでいます。塁石、防壁、諸門、本丸御殿などが整えられ、居城としての威容が示されましたが、天守台のみ築かれて天守は構築されませんでした。

http://www.ako-hyg.ed.jp/bunkazai/akojo/shirohistory.html

 その赤穂城趾にはかつて兵庫県立赤穂高校があった。

 既に移転して久しいのだが、赤穂市内の子どもたちが通う地元の高校という感じだ。

 私が勤めていた病院には、赤穂高校出身者が多数いた。

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