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説明責任は誰にあるのか

 先日、研究者が国からの予算に依存しつつ、コスモポリタニズムになることの矛盾についてあれこれ書いた。

 なんとか研究者、この場合は基礎科学研究者などには、人々の思いを汲み取って、市井の人たちから研究という行為を「託されている」と思ってほしいなと思う。

 しかしこういうこういうことを書いても、一部の研究者には届かないのだろうなと思ってはいる。

 なぜなら…

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