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医師と二重の「頭脳流出」

 イブリースさんが東大と医学部比較の記事を出されていた。

 東大(理学部)卒業後医学部(神戸大学)に入りなおして医師になった私としては、こうした記事を読むたびに、20代のうちに転身することができた自分の幸運をひしひしと感じる。

 もしあのとき、無理矢理にでも職業研究者の道を選んでいたとしたら、いったいどのような人生が待っていたのだろう。結構悲惨な人生が待っていたのではないか。

 人生にもしはないが、なんとか博士号を取得してポスドクになったとしても、有期雇用を繰り返し、雇い止めになっていたのかもしれない。

 私が研究者雇い止め問題に深くコミットしているのは、あったかもしれないパラレルワールドの自分だと思っているからなのだ。

 ただ、複雑な思いも抱く。

 確かに私はこうして生きていけているし、非常に充実した日々を過ごしている。とくにフリーランス病理医になってからは、充実度は爆上がりだ。

 上であげてくださった様々なことはすでにやっており、自分の選択に満足している。

 医師の仕事を「保険」にしたジャーナリスト活動もそこそこ順調であり、もうすぐ新しい本が出る。

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 とはいえ、こうした人生の満足度上昇と反比例するように、医療という、いわば国富の増加にあまり寄与しない職業に従事することが正解という社会の在り方でいいのか、という思いも抱くのだ。

 人材が医学部に吸い寄せられる「医学部ブラックホール」とさえ言われる韓国の状況をみると、医療界に人材が吸い寄せられることは、国の衰退に関わる事態ではないかと思える。

 しかし、たとえいろいろなことにチャレンジしても、失敗したら詰むし報われない、結局実家の強さと既得権益に取り入って「公金チューチュー」するのが勝ちだと言われる世の中に、自分に有利な進路を選ぶのは、個人としては当然ではある。

 個人の処世術と政策的問題は混ぜるな危険の話でもあるのだ。使命感などの「精神論」だけでは解決できない問題だ。

 結局、医学部に進学し医師になるということは、「逃散」「立ち去り型サボタージュ」という形の、日本の社会への「抗議活動」であり、日本の社会からの「頭脳流出」でもあるのだ。

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