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漫画に手書きセリフを入れるべきか問題

最近Xで某手書き日記が流れてくるようになって、活字じゃない手書き文字の効果を考えたりしています。

『手書きの文字には力が宿る』と誰かが言ったような言わないような曖昧な記憶を辿りつつ、noteのトップ画像は手描きにしたりしているわけです。が、どうなんでしょうね。紙に絵を描く延長で字も書いたというのは流れとしてよくわかりますが、タブレットで描いた絵には素直に活字を置けばいいじゃんって気にもなります。

これまで描いた漫画では、たまに手書き文字も入れてました。でも、最近は書き文字でなければダメと思える場面以外は、活字を使うことが多いです。そもそも私の字がそんな上手くないという理由もあるんですが、海外の方が翻訳アプリで読んでくれてるっぽいというのもあります。手書きだと訳せないので、細部まで読んでもらうために活字を使う。実にロジカル。

ただ、漫画の中の手書き文字って私はかなり好きなんですよね。単純に作者の字を読めるのが嬉しいし。冨樫義博が意外とキッチリした明朝体みたいな字だったり、高橋しんが解読不能なくらい悪筆だったりという発見だけでもけっこう面白い。
また演出としての効果を言うなら、フキダシからこぼれたサブのセリフ(あるいは脚注代わり)という意味合いが付与され、さらに発話の時系列からある程度解放されます。

このへんは、アニメでは不可能な漫画としての魅力のひとつだと思います。
今回のトップ絵でいうと、女の子(ヒフミ)のセリフは手書きで書いていて、これは(いい子……)というモノローグをメインにし、実際の発声は補助的に、BGM的にしたかった意図があります。

手書き文字の例

上で書いた『発話の時系列からある程度解放』というのはこういうことで、「わー、ありがとうございますー」というセリフをフキダシに入れてしまうと、(いい子……)→「わー…」という順番でモノローグとセリフが『等価値に』提示されることになり、時系列が明確になってしまいます。
私はセリフのほうを補助的にしたかったので、フキダシは使わず、手書きにすることで存在感を薄め、(いい子……)というこのコマで最も重視したいモノローグが目立つようにしました。その上で、「わー…」のセリフが『同時に』発せられている形になったと思います。
この女の子は普段から問題児と一緒に行動していて、また、社交辞令もそつなくこなすタイプなので、(いい子)と「わー」のリアクションは同時にしたかったわけです。

商業漫画での好例として、ダンジョン飯を出しておきます。

『ダンジョン飯』6巻

4コマ目のシュローの(食中毒とかで…)はストーリーに不要なモノローグですが、手書きにすることで存在感を薄め、発言の流れを堰き止めずにユーモアを差し込んでいます。
アニメではカットされてしまいましたが、演出的にはそれで大正解です。現実に時間が流れながら会話が進むアニメでこのモノローグを入れたら、冗長もいいところなので。これも、漫画だからできる演出ですね。

これが、手書きではなくて活字にした場合、フキダシに入れた活字と手書き文字の中間くらいの存在感になるかと思います。許斐剛あたりがやっているやつです。

活字でフキダシからこぼす場合

上の例は活字でセリフを追加した場合です。「うどんあるから」は直前の発言を補う形なので、手書きでなくても違和感は少ないです。
このへんはセンスというか、なんとなくで判断される領域になってきそうです。

SNSで流れてくる漫画を読んでいても、手書き文字はふつうによく見るので、あまり意図して減らす必要もないかもしれません。


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