見出し画像

なぜ画面の中で裸だった女が、強いライオンを目指すのか

これは、わたしの物語です。

なぜ、ちょっと変わり者ではあるけれど普通の女の子だったわたしが、AV女優になり、そしてその後ラスタとして生きることを決めたのか。
そんなことをここに記しておきます。


20歳のとき、わたしは風俗嬢として夜の世界に足を踏み入れました。
特に問題のない恵まれた環境で育ってきたわたしは、DVや貧困に苦しむ人たち、居場所のない子どもたちと出会い、日本にもこんな人たちがいたのかと驚きました。それまでの能天気な自分を恥じました。

陽の当たらない世界で生きる人々と関わることで、わたしはこの世界に漂っている痛みや切なさ、その中にある小さな喜びや優しさ、儚さや美しさを、もっと知らなければならないと感じました。

そのうち、わたしは社会に対して何かできるのではないか、何かしたいと感じるようになりました。

そんなわたしに希望を与えたのがソーシャルビジネスです。

元々わたしは、地球をキレイに!海をキレイに!と環境問題に関心のある小学生でした。
汚れた海の写真をクラスで発表したりして、いつかこのゴミを全部片付けたいなどと大きな夢を抱いていました。

そして中学生になると、どこかの国の子どもたちが売春させられていることを知りました。
自分よりも小さな子が、そんな扱いを受けていることが居た堪れなくて、自分自身が売春して稼いだお金を寄付するなんてことをしました。

そんなふうにして、大きな問題に対して、小さな自分でなんとかしようとして、自分の小ささに嫌気がさしてすぐに諦めてしまう、そんな子どもでした。

でもこの時は、日本という身近な場所に、たくさんの課題があるのだと知ったこと、ソーシャルビジネスで大きく社会に貢献している人たちのことを知ったことで、今ならわたしにも何かできるのではないかと感じていたのです。

ソーシャルビジネスを学び、社会のために、他人のために働くことは尊いことだという想いを強めていたわたしですが、やがて気づくことになります。

自分の中にある承認欲求に。
きっと今のままだと「社会のために働く自分、素敵でしょ?」と振る舞う醜い大人になってしまうだろう、ということに。

そんな未来を恐れて、わたしは一歩違った道を選びました。
それがAV女優になるという選択でした。
一旦、承認欲求を完全に満たしてしまおう、それまでは自分のことだけを考えようという考えでした。

しかし、それはわたしにとって、大きな試練の始まりでした。
AV女優としての活動が始まると、事務所や世間からのプレッシャーにより、強迫観念的にエステに通うようになりました。
風俗嬢として貯めた貯金はあっという間に底をつき、気づけば借金地獄へと追い込まれていました。

風俗嬢時代から悩まされていた自律神経失調症と過食嘔吐はさらに悪化し、その結果、借金はさらに膨れ上がっていくのでした。

そんな中、わたしはコーチングを行っているコーチと出会い、彼のおかげで過食嘔吐をほぼ止めることができました。
言葉だけで、自分ではどうしようもなかった衝動が、こんなにも簡単に消えるのかと驚いた私は、コーチングを学び始めることにしました。

そして、愛に溢れるご夫妻との出会いがあり、彼らの元で美容の仕事を始めました。
徐々に健康を土台としたコンセプトにシフトし、栄養学や生理学を学ぶことで、それまで「なんとかコントロールしよう」としていた身体が、実は完璧に自分のために働いてくれていたのだと理解できました。

毎月の支払いに追われ、自転車操業のような生活が続く中、私はお金のために風俗の仕事を続けるしかありませんでした。
大学時代には楽しんでいた風俗の仕事も、小さなトラウマが積み重なって、いつしか苦痛になっていました。

せめて触られたり、脱がなくていい仕事がないかと模索する中で、わたしが見つけたのは性感開発の方向でした。
実は、コーチングでの学びと身体についての学びのお陰で、性感がどのように認知や身体全体と結びついているのかということが、解像度高く見えるようになっていたのです。


オーガズムやエクスタシーについての探求は、私の中でワクワクするものになりました。
その探求の成果で、お客様に喜んでもらえることも、とても嬉しく感じていました。

やがて私は健康事業で独立し、体質改善サロンを立ち上げました。
しかし、そんな時にある大きなスピリチュアルな体験をします。
その体験のあとは、それまでできていたはずの無理が効かなくなり、サロンを閉める決断をしました。
結婚してわずか3ヶ月の旦那とも離婚し、地元の兵庫に戻ることにしました。
それが、魂の導く方向だったのです。

関西に戻った直後、コロナ禍が始まりました。
私にとって、自分をリセットする絶好の機会でした。

そして、関西に戻って一年後、ラスタマンの師匠と出会いました。
彼からオーガニックや毒出しの教えを受け、私はこれまでの人生の苦悩や探求の全ての答えがオーガニックにあることに気づきました。

なぜ、ギャラのいいはずのAV女優になった途端に借金地獄に陥ったのか。
なぜ、不運の後には不運が続くのか。
なぜ、わたしには望んでいたキラキラのミラクルが訪れなかったのか。
なぜ、楽しく生きているのに辛いのか。
なぜ、わたしはここにいるのか。
なぜ、この人生が与えられたのか。

オーガニックと毒出しのお陰で、自分自身の中から答えが与えられました。

そして、長くワクワクして取り組んでいたオーガズムやエクスタシーに関する探求も、ここで完了しました。
オーガニックに全て答えがあったからです。
もうこれ以上、オーガズムやエクスタシーに関して区別して探求するべきことはなくなりました。

また、地球のために、社会のために、平和のために、何ができるのだろうと探し続けていた小さな自分への答えもここにありました。

一人ひとりがオーガニックに生きることが、地球を守り、人々が愛を分かち合える平和で創造的な社会を導くのだと、オーガニックを深めるうちに深く理解できるようになったのです。

それから3年と少し、師匠のもとでラスタの観点を学び、自らもラスタマンとして生きる決意をしました。

ラスタファリズムは、レゲエの根底にある思想であり、ジャマイカの黒人から生まれたものです。

ジャマイカで差別され虐げられていた黒人たちが、自らの権利のために立ち上がった運動です。

彼らは、過酷な状況下でも、その苦しみや悲しみを受け止め、明るく強く生き、人々を導いてきました。

日本は、ジャマイカの黒人と状況は違いますが、別のやり方でめちゃくちゃされています。

そんな中、明るく強く、平和な未来を創るためのリーダーになるというコミットから、ラスタとして生きると決めたのです。

その決意として、2024年7月23日からドレッドロックスを育てています。

そして今は、師匠の元で麻炭空間を作る左官職人として働いています。

わたしはオーガニックや毒出しを伝えてもらってから、人生が180°いえ、540°変わりました。
本当に軽やかに、楽に、幸せに、豊かに生きられるようになったのです。

だからこそ、わたしもオーガニックや毒出しを多くの人に伝えていく活動をしています。

ひとりでも多くの人が、本当の自分と繋がって幸せに生きていけるために、そして未来の子どもたちが幸せに生きていける地球を守るために、これからも活動を続けていきます

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?