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地味な人生っていいよね

私が一番したいことは、暮らすことなんだって気がついた日曜日。

朝、まだ薄暗いうちに起きて、日課のヨガをして、余力があれば筋トレをする。簡単に朝ごはんを食べて、お昼のおにぎりを作って、メールをチェックして、支度をして、仕事に行く。終わったらお昼を食べて、図書館で閉館まで通信大学の勉強をする。創作も毎日決まった分量だけやる。3日に1回はジムで泳ぐ。お風呂だけ入りに行く日があってもいい。帰ったら魚を焼いて、適当に青菜を茹でて、昨日のご飯と味噌汁を温めて食べる。たまには桃や梨も食べる。お皿を洗ったら、ワインを飲みながら好きな本や映画を見る。お気に入りの曲を一曲かけて、ぐっすり眠る。

そんな暮らしが一番楽しいに決まってる。日曜日にちゃんと羽を伸ばしたりしながら。5月の初めはこれに近い状態で最高だった。今だって、ほんの少し調整すればこんなふうに暮らせるのに。くだらない仕事を引き受けたり、あまり惹かれない誘いに乗ったり、ケチるべきでないところをケチったり、衝動的に出かけたり買い物したりで、どんどん理想から遠のいてしまっている。

信じられない話だけど、午前3時間だけで十分稼げる仕事を見つけて、自分にすごく合っていて、すごく気に入っている。最高。でも仕事がない月もあるから、別の仕事もしなくちゃならない。今は全部で3つ、業務委託の形で仕事をしている。それを適量こなすだけならまだしも、むくむくと欲が出てきて、6、7月と必要以上に働いてしまった。無計画に働いた分、無計画に使ってしまい、結局収支は元に戻ってしまった。あーあ。無駄なことしたなあ。

お金を服や本や靴に使う割に、家賃が安すぎる家に住んでいる。だから毎日虫が出る。ムカデやナメクジは我が物顔で部屋を歩いているし、Gを見なくなったと思ったら赤ちゃんが定期的に現れるようになった。赤ちゃんなんていう可愛いものではない。家の前にも必ずなんかがいて、セミが脱皮した直後の抜け殻と並んでじっとしていたり、10cmもあるオニヤンマが死んでいたりする。びっくりする。普通に生きててそんなでかいトンボ見ることまずないじゃん。最悪なのはシロアリで、ある日羽がたくさん落ちてると思ったら柱が食われてて、業者に頼んで消毒してもらった。しばらくして消えたと思ったら引っ越しただけだったみたいで、本棚を本ごと食べられていることに昨日気づいた。まだ住んで半年なのに、床があっちこっちボコボコしてきている。いつかスコーンと抜けるんじゃないかと思って慎重に歩いてしまう。安らぎを許してはくれない家。

そのくせ浪費はやめられなくて、気がついたらレシートが山のように増えている。本はもともと溢れているから、少しくらい増えてもわからなくてどんどん買ってしまう。服も大好きで、洋服を定価で買うことはないけれど、メルカリやセカストで元値いいもの探しをするのが楽しすぎて、必要以上に買ってしまう。最近は、デパートの化粧品売り場で色々試させてもらうのにハマってしまって、仕事柄化粧をしない場面の方が多いのに、なんやかんや揃えたくなってしまう。香水なんていつ付けるんだと思いなから、チャンスの瓶にときめいて買ってしまった。食べ物も酷くて、好きでもないのに、どんな味がするんだろうと思って、絶対美味しくないであろうものをあえて買ってしまうみたいなことが多すぎる。意味がわからない。本当は、薄味のおでんとか、塩サバとか、味噌汁とか、そういう質素なものが大好きなのに。なんていうか、自分の地味さに飽きちゃうんだろうね。

ADHD全開のミスにお金を払うこともしばしばで、しょっちゅうタクシーに乗らざるを得なくなったり、買うものを間違えたり、忘れ物を着払いで送ってもらったりしている。ミスに関しては具体的なことがあんまり思い出せないんだけど、虚しすぎて記憶から消してしまっている部分がある。だって、自分のミスを補填するために働くなんて馬鹿みたいじゃん。やめようと思ってやめられるもんでもないし。

本当に本当に数字が苦手だから、家計簿から逃げ続けて、ずっとどんぶり勘定で生きてきてて、逃げている場合じゃないところまで来てしまった。お金に関する不安があると、自己肯定感まで消えていくの、あれなんなんだろうね。ちょっとまずいと思って、お金の使い道を見直してみた。趣味や服に使うお金もケチりすぎず、まあまあしっかり計画を立ててみたところ、ちゃんと使えば年間60万くらいは貯められそう。そんな貯められるポテンシャルあるんだ、、、いろんな節約チャンネルを見たけど、みんなすごすぎてすごかった。とてもとてもすごい。

0か100かの人間、いい加減気合をいれて、ストイックに貯金・節約していこうと思います。貯金なんてできるわけがないと思っていたから、実質、貯金をしようと本気で思っているのは初めてかもしれない。楽しくなってきたかもしれん。数ヶ月は働かなくてもいいくらいには貯めて、心の余裕を手に入れたい。旅行や、美味しいもの、高級品よりも、結局は心の余裕が一番自分を幸せにしてくれるっぽいね。

お金や生き方に関して見つめ直していくにあたって、じゃあ私は何がしたいんだろう、なんのために生きるんだろうって考えてみた。私は、でっかい会社を建てるとか、キャリアを築くとか、困っている人を助けるとか、人を喜ばせるとか、何か大きなことを成し遂げたり、直接的に誰かの役に立つようなことにはあんまり興味がないなと思った。

昔から変に大人びていて、どちらかといえば目立つタイプで、自分でも、なんか自分は大きなことをする人間なのかもしれないと思っていたし(そう思いたかっただけかもしれないけど)なんにせよ大きなことを成し遂げたかった。あまりにも普通と違うから、何か特別な才能で輝ける機会がないと割に合わないと思っていたし。だけど、実際はすごい地味な人間みたい。

人間でいることはすごく嬉しくて、すごく悲しくて、とてもとても切なくて、とてもすごくて、ありふれたことで、とても退屈で、たった100年しかなくて、かけがえがなくて、やっぱりすごい。とてつもない矛盾を抱えながら、ぎりぎりの奇跡でなんとか成り立っているように見えて、どこかすっごく頑丈な、産まれて、育って、死ぬまで生きるというシステム。

そういうなんていうか、人生とか命とか大きなテーマって、デカすぎてうまく考えることができない。でもそういうのはやりたい人とか、できる人がやればいいことだと思うの。私には哲学とか、心理学とか、ちょっと重すぎて扱うことができないみたい。

私が扱うのはたぶんもっと小さなことで、息を吸ったり吐いたりすることとか、足のむくみとか、揺れている犬のお尻とか、ろうそくが消える時のにおいとか、洗い立てのタオルケットとか、そういう生活のディティールみたいなもの。小さくてどうでもよくて、あまりにもありふれたそれらこそが、命の尊さや儚さの作り出す輝きなんじゃないかなと思う。

あんまり都会すぎない土地で、あんまり広くない部屋で、自分のお気に入りのものに囲まれて暮らしたい。友だちや、今までに付き合った人の数も少ない方がいい。毎日、地味だけど満ち足りた生活を送って、たまに映画や小説でいろんな世界へ旅をする。自分で書いたりするのもいい。日常の小さなことに喜びや楽しみを見つけられる感性って、ある意味では才能だから、どんどん活かしていきたい。つまんないこともたくさんあるけど、そういう小さな世界を大事にしながら、暮らすってことを本気でやって、たまには大きな世界のことも考えて、何かものづくりや、芸術に類する活動ができたらいいなと思う。文字を書いて、それを売って暮らしていけるものなのかというのはよくわからないけど、そうなれたらラッキーかな、くらいに考えてる。

人の役に立ちなさいって言われるけど、ドヤ顔でされる親切っぽい行為って気持ち悪いじゃん。すごい大変そうな人に心配されたり、気を使わせたりするのも嫌だし。そういうので助けられる人もいるのかもしれないけど。私は嫌。だから、自分のためにやっていることが、そのまま誰かの役に立っている、みたいな状態を作りたい。自分の好きに暮らしてたら、なんか人のためになっちゃってたみたいな。もちろん意識的な部分はなきゃいけないけど。本当に自然に誰かの役に立つためには、やっぱり自分を満たさなくちゃいけない。自分を満たすことは、世界を満たすこととすごく近いように感じる。

原点に立ち返ってみて、自分はちょっと、心地よい暮らしから離れてきてしまったなと反省した。多分そういう人がこの世界をダメにしていくんだ。慎ましく、心豊かに暮らしていけるように、精一杯がんばりたいと思います。

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