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書けない理由とこれからの決意〜いしかわゆきさんの#書く習慣より〜
先日いしかわゆきさん(ゆぴさん)の『この春こそはじめたい!「書く習慣」が身につく1週間プログラム』を視聴した。
Twitterでの投稿頻度が増えたこと、先日個人2作目となるnoteを投稿したことで、もっとライティングを頑張ってみたいと思ったのが、今回の参加のきっかけだった。
このイベントを経て、感じたこと、考えたことをここに記しておきたいと思う。
書くこととは。
そして続かない理由とは。
私は書くのが好きだ。
小学・中学生の頃、国語の授業で日記や作文を書く機会が多かったけれど、どれも楽しんで取り組んでいた。
だけど、何作も続けて書くことができないタイプでもあった。書き始めちゃえばなんてことはなく、すらすら書けてしまう。けれどその書き始めにはどうも億劫になってしまうのだ。
今回動画を視聴させていただいて、その理由が明確になった。
私の書くという行動を制限していたのは、
①ネタがない
②完璧主義
の2つだった。
書けなかった理由①ネタがない
日常にはいろんなことが溢れている。
自分にとっては当たり前なことが溢れている。
だから
これって誰かに伝えるほどのことかな?
伝えたところで何になるのかな?
という気持ちになってしまう。
私が当たり前に感じていることを文章にしたところで、一体誰が読んでくれるのか。
でも、ネタなんてきっとなんでもいいんだと思った。
例えば今日天気がよかった。それだけでも十分な気がしてきた。そこから、天気いいから散歩してみたいって思った、散歩するならこういうところ行きたいな、みたいに広げていけたら、それはもう立派な文章として成り立つのだろう。
そして、その思考の広がりはそれぞれ違う。個性と言えるかもしれない。
ひとつのことからどんどん掘り下げていく。
note、ひいては文章を書く上で、この行為は重要なのだと思った。
書けなかった理由②完璧主義
上記①にて、
これって誰かに伝えるほどのことかな?
伝えたところで何になるのかな?
一体誰が読んでくれるのか。
と私は書いた。
私は基本的に誰かに伝える、読んでもらうという前提で文章を書いていた。
そもそも私の性格として、他人の視線を意識することが多い。嫌われることを極端に避けたがる。誰かからの評価が自分の全てだと思い込んでしまう。
だから伝える文章に完璧を求めてしまう。
誰かにとっての完璧を。
嫌われないための、あるいは好かれるための完璧を。
でも、完璧ってなんだろう?
その問いが私に深く突き刺さった。
確かに、完璧ってなんだ?
あれ、私が思い描く完璧な文章とはなんだ?
完璧な文章を問われたとき、その解はなにひとつ思い浮かばなかった。
どんな偉人の言葉も、どんなに有名な著書でも、全ての人から完璧と言われた文章があっただろうか?
読むのは人間だ。自分にとって合う合わない、好みがある。それは当たり前。そこに完璧を求めるなんて烏滸がましい。
だから、私は私のために書く。
他人にどう思われるかを気にせずに書く。
そう決めた。
己のエゴのために書くのだ。
ただし、もし万が一にも読んでくれる人がいたのなら最大の感謝を心から届けたいとは思う。
最後に
先の2つが書き続けられない大きな理由だとは思う。けれど、他にもきっと要因はあるのだ。
だから、私はこれからも書くことに向き合っていこうと思う。
了
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