キリスト教の「原罪」とは何か

今回はキリスト教神学の基礎の1つ「原罪」について解説していこうと思います。
この概念ですが、キリスト教における人間をどのように定義しているのか、のベースになる非常に重要な語句ですので、知っておいて損がないと捉えております。


1・原罪とは?

英語では"Original Sin"と言います。因みに、英語には罪の単語が2つありますが、Sinは宗教上の戒律などを破る、という意味合いが強く、Guiltyは法律上の違反や違法などの法律上に罪、というように聖俗で別れております。
さて、意訳すると「罪の根源」などと訳せそうですが、一体何の罪の大元なのでしょうか。

2・原罪の経緯

この言葉が出てくるのは、キリスト教内においては旧約聖書の序盤、創世記の物語になります。もの凄くざっくり書くと以下の物語になります。

① 神様が粘土から男性のアダムを、その肋骨から女性のイブを作った
② 2人は当初、神様と一緒に楽園で暮らしていた
③ 2人は神様から、知恵の実を食べてはいけないと言われていた
④ そこに、2人をそそのかそうと、悪魔がやってきた
⑤ 誘惑に勝てない2人、知恵の実を食べちゃった!
⑥ それを知った神様は激おこぷんぷん丸!2人を下界に追放しちゃった!
⑦ ついでに悪魔から手足を奪って地を這う罰を与えた。後の蛇となる。

…というような内容になっております。
つまり原罪というのは「神様の言いつけを守らなかった、人類の始祖アダムとイブの悪行・罪」の事だと解釈できると思われます。
さて、当時のキリスト教神学者たちは、このお話から、どう理解し、教義へと昇華させたのでしょうか。

3・原罪の意義

それは「天国へ行ける者」と「地獄に落ちる者」とを区別するための根拠であると解釈したのです。
キリスト教神学というのは、キリスト教への信仰を前提にしたキリスト教に対する論理的な思考をメインにする学問です。
考えてみれば、キリスト教徒の最終目標というのは、イエスキリストへの信仰を通じて、天国に行くことだと思われますが、天国へ行ける条件、つまりは何をもって天国行きか地獄行きかを分ける基準が必要になります。
原罪というのは「人間は生まれた瞬間から、先祖のアダムとイブの罪を背負っている罪人・悪人である」という一見ネガティブな概念ですが、「罪人・悪人であるからこそ、罪を償い、救済されなければならない」という一歩踏み込んだ解釈を基準に、神=天国に選ばれるものか否かを決めているのです。
原罪というのは、キリスト教徒やキリスト教神学における信仰のベースなのです。

4・感想

個人的には面白いストーリーだと思いますし、当時の知識人たちが人類はどのようにして生まれたのか、という疑問を考えた結果として失楽園が誕生したと考えるなら、その物語性に感動を覚えます。
因みに「喉ぼとけ」は英語で"Adam's apple"と言います。アダムのリンゴ_彼が知恵の実を食べたことに由来しています。如何に英語圏にキリスト教の原罪の概念が根付いているか、よく分かりますね。
また、イスラム教の聖典コーランにも失楽園に似た話が出てくるのですが、2人をそそのかしたのはよく分からない影?というかなり曖昧な存在なためか、中東系の神話には蛇の邪神などは出てこないんですよね。この辺りの比較宗教論なども結構面白そうだなと思いました。


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