ヒンドゥー教の聖者 ラーマクリシュナの簡単な解説

今回はヒンドゥー教の宗教家を解説していきます。


1・ラーマクリシュナと時代背景

ラーマクリシュナ・パラマハンサ(1836~1886)とは、18世紀はインドのベンガル、カルカッタの宗教改革者・思想家です。
17~18世紀というのは、インドにとっては重要な期間でして、イギリス帝国による植民地支配が発生しておりました。そんな社会的混乱の最中、インド国内におけるヒンドゥー教の宗教改革も盛んに行われた時期でした。
ですのでこの期間は、対イギリスとの闘争の歴史だけでなく、ヒンドゥー教における宗教史も濃密なものになっております。
当時の宗教改革者は、社会混乱を解決するために、従来の教義を近代化したり、逆に廃止運動をすることで、インドの近代化を促しました。
そんな中、ヒンドゥー教において非常に重要な思想を残したのが、ラーマクリシュナという人物になります。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/69/Ramakrishna_1883_image.jpg


2・生い立ち

彼はバラモンなどの高貴な生まれとは違い、貧困により英語もサンスクリット語もまともに話せませんでした。生まれは西ベンガルなため、ベンガル地方の方言を主に使っていたそうです。
そのため、父が亡くなったのもあり、カルカッタ郊外の兄のもとに身を寄せ、都会の喧騒や社会問題から離れた場所で、様々な神秘体験と修行にひたすら励んでいました。この辺は前回のラムモホン・ライとは対照的で、従来のヒンドゥー教の教義によって精神性を培った人物になります。また、彼は一つの宗教にのみとどまらず、イスラム教やキリスト教の修行にも励んでいました。

3・思想

さて、そんな彼は、どのような思想を手に入れたのでしょうか。
彼のこの言葉が非常に分かりやすいかと思います。

どの道を通っても神様のところへ行ける。どの宗教だって真実だよ。屋根に上がることが問題なんだ。それには石の階段でも上がれる。木の階段でも上がれる。竹バシゴでも上がれる。それから網をよじのぼっても上がれるし、竹竿を使って高跳びしても上がれるわけだ。
ほかの宗教には間違いや迷信があるというのかね。そりゃそうさ、どの宗教にだって間違いはあるよ。誰もが自分の時計だけ正しいと思っているんだよ。神様に恋い焦がれる気持ちがあれば、それでいいんだ。あの御方が大好きになって求める気持ちがあれば、それでいいんだ。あの御方はね、内なる案内者なんだよ。
あの御方は、人の心のなかのことは何もかも御承知でね、願いごとや、憧れていることをすべてお見通しだ。一人の父親に大ぜい子供がいるとしよう。年長の子供たちは、お父さんとか、パパとか、はっきり発音して呼ぶ。けれど、小さい子や赤ん坊は、せいぜい“ター”とか、”パー”とか発音するだけで呼んでいる。このッター”だの、ッパー”だのしか言えない子供らのことを、父親は怒るかね?
父親は、かれらも自分を呼んでいるのであって、ただうまく発音できないだけだ、ということがわかってるのだ。父親にとってはどの子も同じさ。

『大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉(コタムリト) 第一巻』p188

インドの聖典である『バガヴァッド・ギーター』には神と人との一体感について、よく「すべての川は一つの海に繋がる」という表現が出てきます。
ラーマクリシュナはそこから更に、様々な宗教の神自体も、最終的には一つの神である、という結論を出しました。つまるところ、宗教界全体の融和的な思想なのです。


4感想

私が初めて彼の著作を読んだとき、物凄く感動したことを今でも覚えております。彼は他宗教を批判したり、自分の信仰が最も素晴らしい、という考え方をしなかった非常に稀有な人物ではないでしょうか。何よりたとえ話が非常に読んでて楽しいです。
私が他の宗教に対して友好的な教義_敵意を増やさないための教義作りのきっかけになった方ですので、今後もラーマクリシュナ氏の思想を学んでいきたいと思いました。
因みに彼に関する著作は割と多く、日本にもラーマクリシュナ研究をしている日本ヴェーダーンタ協会があるので、機会があれば足を運んでみたいです。


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