宗教は性善説と性悪説、どっちなんだろうか問題_後編

今回は後編をやっていこうと思います。
まずは、こちらを先に読むのをオススメ致します。


1・おさらい

前回は、宗教=性悪説がベースの概念である、という記事を書きました。
そこでは、キリスト教と仏教の教義を例に取り上げましたが、〇〇教ではなく、「宗教」という広い領域での解釈をしてみようと思います。


2・今回使用する理論

それには今回、ビッグ・ゴッド仮説でもって考察していきます。
この仮説はブリティッシュコロンビア大学で心理学教授を務めているアラ・ノレンザヤン先生の『ビッグ・ゴッド:変容する宗教と協力・対立の心理学』にて詳細が書かれております。
アラ先生曰く、狩猟採集社会から農耕社会への変遷が上手くいった要因に、宗教が大きく関係しているのでは?とのことです。
順を追って説明していきます。


3・神様の類型化

アラ先生の研究によると、狩猟採集社会における神様と、その後の農耕社会における神様にはある違いがあると指摘しています。
それは神様自体の道徳心の有無です。
狩猟採集社会における神様というのは、道徳に関しては無関心で、ある種恐怖の対象であったためか、供物や生贄の為の祭壇が用意されているケースが非常に多いです。

狩猟採集社会における精霊や神々についての驚くべき事実は、それら精霊や神々のほとんどが、幅広い道徳的関心を有していないという点である。 (中略) 文化人類学者によると、人類の祖先に近い形の小集団では、神々は供儀や儀礼で宥められる存在であり (中略) 窃盗や横取りといった道徳的違反には、無関心なのが典型的である。多くの神々や精霊は、道徳的行動をうまく監視できるほどの全知すら有していない。それらは、村の境界内の出来事は認識するが、それを超え出ることはなく、人間に騙されたり、他の競合する神に操られたりすることもある。起源的形態の宗教は、幅広い道徳的視野は有していなかったのである。

『ビッグ・ゴッド:変容する宗教と協力・対立の心理学』  p9

では、なぜ狩猟採集社会の神様は道徳的関心を有していないのでしょうか。

親密で透明性の高い集団においては親族に遭遇することがしばしばあり、評判は監視されうるもので、社会的違反は隠すことが困難だということを知れば、理解できるだろう。おそらくこのことが、こうした集団における精霊や神々が、典型的には人々の道徳的生活に関わってこない理由なのである。

同書  p10

つまり、当時、単に神に道徳性が必要なかった社会構成だったようです。

4・ビッグ・ゴッド仮説とは

本書に登場する、kummerli氏によるスイスでの研究では、遺伝的に近い人々が住む州よりも、遺伝的に遠い人々が住んでいる州の方が、警察への依存が強く、またその様な州ほど、他人同士の連携を強制するように警察組織が形成されている、というデータがあるようです。
狩猟採集社会から農耕社会への発展というのには、人口増加と社会の複雑化を招きます。
それに伴って神様の形式も変化をしていき、道徳性のない神様から道徳性を有する神様の需要が必然的になります。それが向社会的宗教のビッグ・ゴッドの発生理由になります。
※向社会(こうしゃかい):他者に恩恵を与えるような行動。反社の逆。

気を付けたいのが、ビッグゴッドが誕生したから農耕社会へと変遷を遂げたのではなく、その逆であり、狩猟採集社会から農耕社会へ移行するにあたり、社会秩序の維持をするためにビッグゴッドが誕生した、という点です。
つまり、高度な政治形態や国家がまだ存在していない時代における、社会の秩序の維持は、宗教が行っていたと考えられます。
神様というのは、人智を超えた至高の存在であり、人間があれこれ出来る相手ではないと思われますが、少なくともこの仮説においては、終始神様が人間の都合で誕生したり人格形成されたりと、結構可哀そうに思います。

因みに、ビッグ・ゴッドには8つの原則があり、これらのタイトルを見れば、ますます実践的で現実的な概念だなぁと感じると思います。

  • 第1原則  監視された人々は良い人々である

  • 第2原則 宗教は人よりも状況のなかにある

  • 第3原則 地獄は天国より強力である

  • 第4原則 神を信じる者を信頼せよ

  • 第5原則 宗教的な行動は言葉よりもものを言う

  • 第6原則 崇拝されない神は無力な神である

  • 第7原則 ビッグ・ゴッドは大集団のためにある

  • 第8原則 宗教集団は競争するために協力する

これらを統合すると、ビッグ・ゴッドの存在は、人間が生まれながらに悪で、他者にとって狼のようなものでなければ、誕生しなかった感じがします。

5・ビッグ・ゴッド仮説の欠点

筆者が読んでいて違和感を覚えるのは、このビッグ・ゴッド仮説というのは、あくまでも一神教であるアブラハムの宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)を中心に取り扱っているので、仏教やヒンドゥー教、古代ギリシャ社会のような多神教のケース、向社会的な神様以外にも破壊神や邪神が混在している状態では、この仮説を適応できるのかについての意見がはっきりしていなかったため、アジア地域の狩猟採集社会から農耕社会への遷移への影響が不鮮明だと思いました。要は全ての宗教に当てはまる理論ではない可能性があります。
日本の場合、日本古来の社会では狩猟採集社会ではありましたが、渡来人による中国などの大陸文化の流入により稲作が発生しておりますので、理論としては説得力がありますが日本人的にはビッグ・ゴッド仮説はあまりピンとは来ないかなと感じます。
タイトルは忘れてしまったのですが、昔読んだ日本の宗教に関する本では、古来日本における日本新道において、蛇を信仰する文化がありました。蛇を山の神として崇めてたため、例えば注連縄(しめなわ)は蛇の交尾している姿がモチーフになっております。しかし、農耕文化へと変化してからは、蛇は邪神として忌み嫌われていきます。理由としては、水田によって水を敷いたため、アオダイショウなどの毒蛇が増え、農民を毒殺するケースが増えたためです。そのため、後の日本神話にはヤマタノオロチという蛇の化け物を討伐する物語があります。因みに、スサノオノミコトがこの大蛇の討伐依頼を受けるのですが、依頼者は娘が生贄になるのを悲しんだ老夫婦であり、その娘の名前は櫛稲田姫(くしいなだひめ)という名前になります。稲田姫…結構露骨なネーミングですよね(笑)
このケースで言えば、向社会的性質を持つ神による監視が日本における農耕文化と人口増加にどれほど寄与したのかが、よく分からないと思います。
少なくとも、日本新道は性善説がベースの宗教である可能性は、比較的高い、或いはその要素は多いと感じました。


6・感想

しかしながら、少なくともアブラハムの宗教が性悪説である可能性は俄然高くなりました。この本に関しては、何回か通読して理解を深めたいなと感じました。
話を表題に戻しまして、本記事は宗教が性悪説か否かの判断材料にはなるかと思います。
例えば、人口比率での統計で測るなら、アブラハムの宗教の信者数は世界の約6割にも上るため、宗教は性悪説がベースです、と言えなくもないでしょう。
宗教それ自体の数で判断する場合も、性悪説がベースの宗教の方が組織数が多い可能性が高いでしょう。
あるいは性悪説がベースの宗教が支配してた地域や国の数で競ってもいいでしょう。結構暴論ですが…
今後とも、このテーマについて研究していきたいなと思っております。




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