見れども見えず、聞けども聞こえず
昨日の記事 「感覚」を扱う、を書いてから
夜布団に入って、改めてシンクロマネー・アカデミーの詳細解説動画
を聞いていたら、
のっけから『感覚』という言葉が繰り返し使われていたことに
自分でも狐につままれたかのような『感覚』に捉われた。
今朝起きて、文字でまとめられた紹介ページをみても
お金にまつわる『感覚』を変化させていくことについて
詳細に説明されているではないか!!!
解説動画の中で、その『感覚』がずれていると、
話が通じない、理解してもらえない、
知識を得ても、それを使ったり活かすことができない、と
語られていたのを思い出し、
まさに私も、『感覚』の文言をまるで『思考』に置き換えて
聞いていたのかもしれない、と考えた。定かではないが。
かつて私が、「どんな感じがしますか?」と聞かれるたび、
「う~ん、と考えていたように・・・」、
感じること(感覚)が、考えること(思考)にすり替わっていたのかもしれない。
有名なブルース・リーのセリフが聞こえてきそうだ。
そして、何となくこれまで
「アレクサンダー・テクニーク」のことを聞かれ説明しても、
今一つ通じなかった人たちのことを思い出した。
ある人などは、体験レッスンに来られ、
1時間半経ったあとに、
で、結局、何の役にたつ、どのようなものなんですか?と聞かれ、
徒労感と無力感を感じたことを覚えている・・・。
『感覚』が違うと分かり合えない、理解してもらえない、とは
そういうことだったなぁ、と改めて実感した。
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