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すでに持っている富に氣づく
私たちがうまれたときから元々持っている富もあります。たとえば私たちが恩恵を受けている「日本」という国そのものの「富」です。
日本は、国自体が豊かです。道路が整備されていて、清潔で快適な家に住むことができて、エアコンもあって、みんなスマートフォンを持っている。食べ物がふんだんに手に入って、着るものにも困りません。世界的にみても非常に治安がよくて安全だし、少なくとも今の段階ではセーフティーネットが確立されています。
このコンセプトによる感覚は、本田健さんからもすでに活性化させていただいていた。
自分で稼いだお金で、自分ひとりのの力で、
セミナーやワークショップに参加している・・・
と思っていたのが、
例えば、
交通機関を作って、運行してくださっている人たちがいなければ、
そして時間通りに来なければ、
万一、天災が起こってしまってそれが止まったら、
参加することは可能にならない・・・、多くの人たちの力や多くの影響をうけながら、私は生きていると実感することができた。
「世界がもし100人の村だったら」からも刺激を受けた。
恵まれているから、少々の不満は我慢しよう、ということではなく、
そもそもそのことに氣づいていない、欠けていることばかりに目が行く、
となりの芝生が青く見える、状態では、
すでに持っている富に、氣づくことができない、味わうことができない。
そう、私は教師として仕事をし、30代になって初めて
やっと、実感できたのだった。
でも、その後も、”理解していて”、”分かっているつもり”になって、
忘れがちになっているようだ。
朝起きて、あっ、玄関にカギをかけてなかった!と氣づいても、
恐怖を感じることもなく、ちょっとしたミスという感覚でいられること、
新聞が朝、毎日届いていること、
ごみステーションのごみが、決まった日に、ちゃんと回収されていること、
電気が使えて、水道の水が飲めて、
冷蔵庫をあけるとチーズやコチュジャンがあったり、
スマホやテレビもインターネットにつながり、
そして今、この記事を書いていられる・・・文字を理解し、PC操作ができる、ブラインドタッチできる…etc.
これら多くのことのうち、
自分の力や努力などは、微々たるものであることがわかる。
そしてこのことを、『感覚でとらえる』ことの大切さを、
もっと理解したい、分かりたい、と頭が言っていることに氣づきつつ、
コツコツ実践し、実感していきたい。