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(本の紹介)「モーツァルト最後の4年」

モーツァルト観の変化
「モーツァルト最後の4年」を中心に。

私はモーツァルトの素晴らしさがイマイチわかっていない人間である。正確にいえば、好きな曲もあるけれど、だからといってモーツァルトの曲はどれも天上の音楽であるかのようなありがたがり方や、なんか歴史上最高の作曲家のように崇拝するのは違うよねって程度だけど。それに世間のモーツァルトのありがたがり方の一部は作品だけでなく、夭折の天才だったという点も強いだろう。

従来のモーツァルトの人物像と一生といえば、神童で幼少の時から交響曲も書いちゃって、その後も天才的な創造力で名作をたくさん残し、作曲も書き直しせずすべてそのまま使えるほどだったけど、金使いが荒くて最期は極貧の中、若くして死んじゃって、有名なレクイエムが最後に残ってた、ってな感じでしょうか。そこにイメージを加えたのがシェーファーの戯曲「アマデウス」で、映画版の「アマデウス」が大ヒットしたおかげで、上記のようなイメージにプラスして、品がなくて女好きで、KYで権力者には嫌われてまともなポストには就けず、貧乏でも浪費を止めず、一方で才能に嫉妬したサリエリには殺されちゃった、みたいな、余計めちゃくちゃな人間像が世間に広まり刷り込まれる結果になったに違いない。

さらに最近は、テレビのネタとして、下ネタ好きで書簡には「うんこ」を連発し、「ケツを舐めろ」って歌詞の曲も作った、というますます天才だけどアレな感じにされてるような。。。

きっとモーツァルトの音楽をちゃんと聞いたことがない人でも薄幸とか下ネタ好きといったのは記憶しやすいところだし、きっと曲名は知らなくてもこのイメージだけはあるって人もけっこういそう。

この1、2年、モーツァルトを様々な視点から見直す書籍が翻訳出版されている。代表的なもので「ギャンブラー・モーツァルト」モーツァルトと女性たち」「モーツァルト最後の4年」といったものがあり。それぞれ金、女、作品に焦点を当てた書籍ということができる。

簡単に紹介しておけば、「ギャンブラー・モーツァルト」では貧乏と思われていたモーツァルトの、細かな収入を作品、レッスン、賭博などから明らかにし、当時のヨーロッパでの賭博事情、ブームもからめて、金の出入りは激しかったとはいえ、毎年、十分すぎるほどの収入(日本円で2、3千万円以上)を亡くなる前数年間も得ていたことを明らかにする(借金をする手紙ばかり取り上げられて貧乏さを強調されすぎてるということね)。
「モーツァルトと女性たち」では、女好きだったのは事実として、モーツァルトが創作の糧というか、どういう女性を好み、その女性たちのためにオペラを書き、役をイメージしていたのではないか、ということを明らかにしていく。
そして今回とりあげる「モーツァルト最後の4年」は、上の2冊とも時期的に重なる、1787年以降のオペラ、収入、そして作品もからめて、モーツァルトは衰えつつ死に向かっていたのではなく、まさに充実した青年期を送り作品も新たなフェーズへと進もうとしていたことを残された資料によって明らかにする。

この「モーツァルト最後の4年」の著者クリスチャン・ヴォルフ氏といえば、なんといってもバッハ・アルヒーフ・ライプツィッヒの所長を10年以上務め、バッハ研究の第一人者として書籍もいくつか著し、超有名な学者といえるが、同時にモーツァルト研究においても、モーツァルテウムの幹部として活動していることはあまり知られてないかもしれない。そんなヴォルフ氏が大量の資料をもとにモーツァルトの晩年の創作を新たな視点で見せてくれる本と言える。

この本が取り上げる最後の4年というのは、モーツァルトが1787年にグルックの没後、ウィーン宮廷の貴賓室内作曲家に任命された後を指す。ヴォルフ氏の要点は、モーツァルトはポストに恵まれず作曲の発表の場も少なく金銭的にも恵まれなかったのではなく、まさにこのポストに就くことでさらに心機一転次のステップへと勇躍しようとしていた、というものだ。実際、このポスト自体、名誉あるものとして重要なものだが、報酬の年額800フローリン(日本円で800〜1000万円程度)というのは前任のサリエリのほぼ倍額(ただ、サリエリはこのポストから宮廷楽長になることで、436→850→1200フローリンと1年以内に俸給アップしてるが)であること、そしてサリエリは宮廷楽長でモーツァルトは宮廷作曲家という配置は、年功序列というより、サリエリの管理職としての才能を重視し、モーツァルトは雑用なく作曲に専念させる、という考えられた配置であったと主張する。

この名誉あるポジションへの就任の翌年以降、宮廷は戦争などで何億フローリンという出費がかさみ、オペラ上演が予定通りできない不幸はあったにせよ、モーツァルトは1788年に三大交響曲と、室内楽で新たなジャンルといえる弦楽三重奏、ピアノ三重奏といった分野、さらに弦楽五重奏などの作品を固めて残し出している、まさに創作の次のステップへ移ったというのだ。
それが魔笛やコジ・ファン・トゥッテというオペラ創作へもつながり、レクイエムとアヴェ・ヴェルム・コルプスという宗教音楽の成果へもつながる。ヴォルフ氏はレクイエムと共にアヴェ・ヴェルム・コルプスを重視し、あのシンプルさがさらに新しい境地へつながるはずのものであり、この後の作曲家たちに伝わらなかったものともいう。たしかにそうかもしれない。あのようなシンプルな静謐さはたしかに古典派末期からロマン派にはないものだなぁ、といわれて気づく(シューベルトとかとも違うよね)。

私は全く知らなかったけれど、モーツァルトが亡くなった時に残っていた作曲断片が100曲相当くらいあるなんてね。ほとんどはわずかな断片で、いくらかは他の作品に吸収されたり捨てられたものではあっても、旋律線や対位法的な受け渡しが書かれた数十小節以上規模の作品がけっこう残っている。その主なものについての解説も大変面白い。そしてその残っている量と種類の多さからいっても、モーツァルトが弱って作曲量が減っていたなんてことが全くないこともわかる。だから急激な病で亡くなったにせよ、まさに青年期の活発な創作活動真っ只中だったわけだ。。。
今回、この本を読むのに合わせて後期の、弦楽三重奏(K.563)、ピアノ三重奏(K.542, 548, 564)、弦楽五重奏(K.593,614)あたりを固めて聞いて、けっこういいなぁと思った(そういう意味では聞かず嫌いに近かったことを認める)。そして弦楽五重奏は演奏機会がそこそこあるにせよ、弦楽三重奏やピアノ三重奏がそれほど演奏されてないのがすごく残念に感じたし、久しぶりにモーツァルト見直しちゃったという気持ちにもなったのだった。

この本の素晴らしいところは、最小限ながらモーツァルトの残した断片楽譜のファクシミリが掲載されていること、そして、Webでそのカラー版や室内楽断片の演奏もフォローされていること。これを聞いてもモーツァルトがより多様な書法を試みようとした作品を残したことがわかる。勝手に人々はモーツァルトの30歳代の作品を晩年の作品と思っているが、まだ青年のこれからの時期に過ぎないということがわかる(というか、勝手に誤解してただけだが)。

こういった本が何冊出版されても、きっとモーツァルトの夭折の天才で貧乏で変な奴で、という世間のイメージは変わらないだろうし、同時に作風がどう変化しそうだったにせよ、残された作品は愛され続けるのも間違いないわけで。もし残念だと思うなら、まさに生み出されずに終わった作品が大量に断片だけ残していること、そしてその先にどのような作風の変化が待ち、それがどのような影響を与えたかはわからないことでしょうね。

ちなみに上記の3冊をいいとこ取りした本が存在します、礒山雅氏の「モーツァルト」です。貧乏でなかったこと、成長型の女性が好きだったこと、バッハの音楽に影響を受けて最後期の作品に変化がみられること、などすべて出てきます。。。
なので、コンパクトに済ませたい人はこの本でもいいかもしれません(冒頭に挙げた3冊がすべて原著として揃った頃に書かれた本ですし、このクリストフ・ヴォルフ本の翻訳者でもありますし、、、)。

余談ですが、モーツァルトの後期オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」で共同製作した台本作家のダ・ポンテは長生して、なんとアメリカに渡り、60歳を前にコロンビア大学のイタリア文学の初代教授になり、1825年モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」のアメリカ初演に立ち会っている(さらに、アメリカ初のオペラハウス設立に奔走する、、、さすがオペラ台本作者、、、)。
それを思えば、モーツァルトが長生きしていれば、世界的規模活躍と人気を望めたかもしれない、と空想するのは悪くない。

(了)

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