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ピアニスト小倉末子について補遺(ある小説について)

一昨日、noteでピアニスト小倉末子氏のことを書いたけれど、小倉末子氏の事績をまとめた本は展覧会カタログくらいしかないこともそこに書いた。
でも、小倉末子、久野久子をモデルとした小説は「落日の奏鳴楽 二人のピアニストとその祖国の物語」ってのがあったりする。
これは小倉末子をモデルとしたピアニスト小西時子の手記という形式で、東京音楽学校から海外経験と帰朝、久野久子をモデルとしたピアニスト神原道子との人間、芸術表現に関する葛藤などが描かれる。
基本的な時間の流れは小倉末子の生涯をなぞってはいるけれど、内容はフィクションが大半なので、音楽の業績や演奏会、プログラムなどについては実際とは微妙に異なるので参考になるものではない。

小説としての出来をどうこうはあまりいえないのだけれど(でも力作というか、大正から昭和の時代世相を地道に描こうとしている)、山田耕筰のような当時ヨーロッパ留学していた人物やヨーロッパでのローザ・ルクセンブルクの社会主義運動、まだ画家志望のアドルフ・ヒトラー、日本の武者小路実篤、郡虎彦といった白樺派初期の活動、柳宗悦、兼子夫妻といった人々をモデルとした人々が色をそえていて、それなりに芸が細かい、、、、

著者によると、トーマス・マンの「ファウスト博士」に想を得たオマージュだという辞がついているのだけれど、欧州留学の話の途中で、ピアノの師などの言葉として西洋音楽史の概略、和声によっていかに音楽が発展しそれによって素晴らしいものが表現でき、音楽家はそれに仕えて表現する立場にある、というのにたいして、社会運動に身を投じようとする人がそんな高尚なものは理解できないし、階級主義的なものは不要だと主張するシーンがあったり、神原道子の単に狂熱的で技術も何もないと海外留学から帰ってきた小西時子には感じられるピアノに、日本の大衆は熱狂するところに、芸術とはそんなものだろうかと疑問を強く感じつつ、自分は何か日本で理解されない負けた存在だという思いに苛まれる様子とか、単純だけど面白い。

最終的にその芸術の深みを理解せず単に情感的な部分に熱狂する日本大衆の感性が太平洋戦争後の泥沼にも突き進む結果になる、、、という展開になるんだけれど。

評伝小説ではないけれど、少なくともあまり知られてこなかった日本の初期のピアニスト、小倉末子、久野久子をモデルにした小説があるってことだけでも貴重かも。。。

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