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(感想)「難解な本を読む技術」

こんな本を読んでますました (第2回)

今更、本を読む技術もないだろうと思いつつ、「難解な本を読む技術」を読んだのですが、思ったよりずっと面白かった。この本に書いてあるような読書ノートをしっかりとりながら自分が読むようになるとは思わない(をいをい)けれど、それでも難解な本(この本では思想書をターゲットにしています)を読む時の今までの態度(とにかく早く一冊読まなきゃとか、なんかわかった気になって読み飛ばしちゃうとか)を反省し、ちゃんと理解できてないのに読んだことにしちゃった本もいっぱいあるなぁと過去を振り返ってしまったりもしたのでした。

この本では本の記述の流れを登山型(様々な概念が提示、説明され、それに積み上げるように別の概念が、という繰り返して山を登るようなタイプ)とハイキング型(様々な新しい概念が順番に出てきて、それぞれの周りの風景を見渡し理解し、また別の概念へと移るタイプ)にわけ、読み方を同化読み(著者の論理展開にできるだけ寄り添って読む)と批判読み(著者の論理展開の無理な点や飛躍を疑いつつ読む)にわけ、主に登山型の同化読みと批判読みにフォーカスして、どのように読むのが良いか、その時にどのように読書ノートを作ることが理解を捗らせるかという技術が語られます。

本の中心部分は読もうとする本をどのように読み、理解するかの技術説明なのですが、私個人がより惹かれたのは、その周りに書かれた本の選び方であり、また付録にある代表的難解本ガイドでした。(単に、読書ノートを取ってとか、このように読むって技術がやはりめんどくさく思えてきてしまうのは自分のズボラさのせいもあるわけで、その技術が悪いわけでも説明が悪いわけでもありません。みなさんはちゃんと読みましょう!w)

まず私が惹かれたのは、本の選び方や読まない技術の話でした。本の選び方では、人には薦められたというだけでそれは少しのつまらなさを産むという指摘があり、自分が渇望して見つけるにしくはない、というパンチが繰り出され、だからこそ選書が第一歩の技術とされます。そして本屋さんでの棚見の方法(この棚はすばらしい、とかわかるようになる)、ネットは補助的手段で書店に行くことをやめてはいけないこと、などなど。。。(それでも著者はネットからの購買量が実書店を上回ってしまってると自白してますがw)

でもここで確かになと思うのは、書店に足を運ぶ時間と比較するとネットは便利そうだけど、費やす時間はネットの方があっという間に増大するという指摘。逆にネットで時間をかけるならちゃんとかけないと有効な情報と絞り込みはできない、という指摘も真実をついてます。。。そして著者はこのように言います。

「頭にはできるだけ「ゴミを入れないようにする」ことが肝要なのであり、いったんゴミが入ってしまったら、それを排除するために多大な労力と時間が必要になってしまいます。「ダメな本なら読まないほうがいい」というのでは不十分で、「ダメな本を読むのは、百害あって一利なし」です。世の中には、ダメな本による=影響で、回復不可能なダメージを受けている人がたくさんいます。「本を選ぶのに選びすぎるということはない」というほうが圧倒的に正しいといえます。

「ダメな本を読むのは、百害あって一利なし」
なんでも濫読してきた自分には痛すぎる言葉です。どんだけ私の脳みそはゴミに汚染されてるんだ!って気分です。もう30キロ四方は避難区域ですよ、っていわれたも同然です。しかし、このスタンスは真摯に選ばれた本を時間をかけて読書ノートをとって読み理解する立場の人には切実なものでしょうし、これから優れた本を選び読む人には大文字で訴えてよい内容でしょう。

これに関連したことは後半の「さらに高度な本読み」でも語られ、効率よく情報収集するための真骨頂は「読まない技術」で、一冊の本の目次や見出しを眺めて、いかに不必要、害があるかを判断し読まないこと、となります。でもこれはわかりますね。本をいっぱい読んでれば、著者名、タイトル、見出しなどなどいろんな情報に鼻がきくようになるってのはある。もちろん未熟な読み手である私は妙な偏見で当たりを外している可能性も否めないわけですが。

本の読み方については興味がない人でも、もし思想書系にはまったことがある人には付録の「代表的難解本ガイド」の部分だけでも読んでみてはいかかでしょう。

デリダ、スピノザ、ウィトゲンシュタイン、ソシュール、フロイト、フーコー、ラカン、ドゥルーズ、ナンシー、ジジェクと、まぁあまりにも有名な、そしてちょっと思想書かじってみたいなと思った人はきっと手を取ってそうな、そして多くの人(私を含め)が挫折してそうな著者とその代表作の読み方を説明したパートです。付録といいながら、この本の4割を占めてますw

「有限責任会社」「エチカ」「青色本」「一般言語学講義」「エクリ」などなど、何が難しいか、どこに山場があるのかが著者の視点で説明され、物によって何を副読本にすれば良いか先に読めばいいかといったアドバイスもあるので、この付録を読むと、まだその熱意があるなら、再度トライしてもいいかな、という気持ちになること請け合いです。各哲学者と主要著書について10ページ前後で紹介しているのですが、ラカンだけは30ページも費やして「エクリ」などについて述べているところが白眉というか、すごい。個人的にはこれでやっぱり「エチカ」なんて読めるようには自分はなれんなぁ、と思いましたがw

著者の言によれば、スピノザとウィトゲンシュタインは「アマチュア好み」の哲学者で「哲学プロパー」には受けが悪いとありますが、そういうものなんですかね?w
あと、この付録を読んで今までの敬遠していたジジェクを読みたいとも思った。

(ジジェクの本に関して)「どれも同じ内容の繰り返し」と感じるのは、「ビバルディはどれも同じ」と感じるようなものだ

という表現には笑っちゃったけど。
そんなわけで、この本は思想書の読み方技術ガイドであると同時に、みんなが好きそうな代表的思想書に再トライを促してくれる本だとも思うのです。この本は思想書にターゲットを絞ってますが、別に人文書全般、さらに理工学書であっても活用できる技術なので、厄介な本を読むとしんどいし、わけわかんなくなりがちだと思っている人は手に取ってよいと思います。もちろん、単にその読もうとした本の出来が悪いだけということも多いとは思いますが(その点では上で述べたような、読まない技術だって必要なのですねw

ついでに、文芸書でプルーストやジョイスに再トライする気分にさせてくれる読み方の本ってのもないですかねぇ。。。w

(了)

本文はここまでです。
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