ミケランジェロの「ダヴィデ」の右手はどうしてごついのか
ひさしぶりにnoteを再開しようかなと思い立ちました。続くかどうかはわからないけれど(というか、続けられる気はしないけれど)。
で、ちょっとリハビリ的に美術か音楽ネタで何か書いてみようかなと思い、きっと美術をやっている人にはいまさらというか常識であろう、ミケランジェロの「ダヴィデ」の右手はどうしてごついのか、について簡単に書いてみようかなと。。。(あまり調べなくても書けそうだからw
▶ミケランジェロの「ダヴィデ」って?
もちろんミケランジェロの「ダヴィデ」はご存知ですね?
こちらの像になります。
全裸で左方向を直視しつつ左手に投石機と石を握っている筋骨逞しい青年像です。そして何年か前に島根でレプリカが突然建てられて、全裸なので恥ずかしいからパンツを穿かせろといった情けない話題を世界にも振りまいた元ネタの像です(そして2018年の中国地方の自身で足首から倒壊してあっけなく展示されなくなっちゃいましたが、今でも所有者がちゃんと保存してらっしゃるんでしょうかね?)。
オリジナルはいまでもフィレンツェのアカデミア美術館に展示されており、市内にはほかに2ヶ所でレプリカが設置されているというほど、有名かつ人気のある作品です。
ミケランジェロは1501年、26歳のときに、いろいろ紆余曲折していたこの像の制作依頼を引き受けて、3年後に完成させます。写真だとあまり実感しにくいけれど、5メートル超える巨像であることを含めて、ルネサンス期を代表する人物彫像の一つです。
▶そもそも「ダヴィデ」って?
ダヴィデについて一般的によく知られていることは次の3つといってよいでしょう。
・ペリシテ人との戦いで戦士巨人ゴリアテを石で倒したこと
・後にイスラエルの王となり長く統治したこと(跡継ぎがソロモン)
・伝承として旧約聖書の詩篇の作者に擬せられていること
これでとりあえず十分でしょう。
そして、多くの人々によって、このペリシテ人ゴリアテを倒したところを描き、彫られています。
このシーンは旧約聖書のサムエル記上の17章に書かれていますので、興味ある人はリンク先で読んでみてください。
ざっくりいえば、羊飼いで末子の少年ダヴィデが、巨人ゴリアテに石を投げつけたら、頭にあたって相手は倒れた!すっごーい!!ばんざーい!!!って話です(ちょっと違うかな)
日本人的には、牛若丸と弁慶的や、酒呑童子退治的に、ごつい相手に、それほど大きくない相手が勝っちゃう(舞の海が小錦に勝っちゃうでもいいけど)というそれなりにシンパシーを持つところに救国までついてきているお話です。(やっぱり日本人は好きそう)
▶フィレンツェとダヴィデ
さて、メディチ家の統治と芸術保護によって多くの美術作品、建造物を残しているフィレンツェですが、都市国家としては軍事的にそれほど強国ではなく、まさに外交と経済力によって世渡りし、繁栄したといえるでしょう。(その行き着く先が、サヴォナローラ登場によるメディチ家追放を経て、メディチ家復興後にマキャベリという政治思想家を生むわけですが)
つまり、自分たちがフランスやローマなどに挟まれる小国であっても矜持ある態度でいる象徴の一つが、巨人を倒した少年ダヴィデを自分たちに模し、これを好んだ理由です。
さて、そのような少年ダヴィデといえば、なんといっても、ドナテッロの「ダヴィデ」でしょう。
こちらになります。
現在の感覚からみれば、帽子と見紛う兜と巻き巻きロン毛から少女かもとさえ思わせかねない、戦靴以外全裸な美少年なダヴィデが、その雰囲気を裏切るように右手の長刀を支えに、切り取られたゴリアテの首を踏んでいるという像です。この像は1.6メートルほどなのでほぼ人のサイズそのままです。
まぁ、この美少年感とギャップと、なぜか春めいた雰囲気が小国なフィレンツェにぴったりでしょうし、見てくれにまどわされんなよ!フィレンツェをよぉ!!ってところでもあるのでしょう。
それに比べて、ミケランジェロの「ダヴィデ」はどうでしょう??
▶ごついダヴィデ、そして、ごつい右手
ドナテッロの等身大の「ダヴィデ」を見てから、ミケランジェロの作品をみると、あまりに違いすぎる、と感じます。5メートルもあるし、美少年じゃなくて、筋骨むきむきの青年で、ゴリアテを倒したあとでなく、戦う前のため血管浮き上がりまくり、目も怖い、、、(それなのに瞳はハート型に彫られているのですが)
この著しい対照はなにを意味するのでしょうか?
長年、他国からの脅威にさらされたフィレンツェが、メディチ家当主ロレンツォ・イル・マニーフィコの死後、サヴォナローラとフランス軍によって一時的とはいえメディチ家が追放された歴史を経験したうえでの、より強国としてのフィレンツェ、そして民の士気を高めるには、以前のような美少年路線ではダメってことの現れなのかもしれません。(もしくは、ドナテッロとミケランジェロの男性の趣味の違いかもしれません(JUNEと薔薇族みたいな(けっこうはずれてないかも、、、
さて、やっと最後に本題です。
このミケランジェロの作品を写真でみると、上半身がややでかいことに気づきます。少しプロポーションが悪い感じ。
そして投石機を持つ左手に比べ、右手が血管が浮き出て異様にごつい感じがします。
ほんとにごつい。。。
上半身が大きく作られている理由は、現在では、この作品は台座の上に置かれて、下から見上げる形になるため、その視点でバランス良く見えるためといわれています。これは絵画作品などでも見られる方法で、飾られる位置を意識して、ある意味だまし絵的に少し崩すことで適切に見えるしたわけですね。
でも、右手がごついのはこれではちょっと説明がつきません。
▶「ダヴィデ」ってどういう意味?
そもそも「ダヴィデ」って何語やねん、日本語か?というツッコミはおいといて、「דוד Dāwīḏ (ダーウィズ)」ってのは、ヘブライ語で「愛されしもの」という意味です。つまり神に愛されていたと考えれば、聖書の物語、救国の戦士でイスラエルの王の名前としてはふさわしいですね。
しかし、、、、なんと、キリスト教の伝統では間違った由来が伝わっていました。「強い手」です。
この間違った由来のもとは、聖ヒエロニムスが最も古く、少しあとには聖アウグスティヌスもそのように書いているそうです。こんな偉い人がそう注釈しちゃったら、もうそれ信じちゃいますよね。きっと、聖ヒエロニムスや聖アウグスティヌスにとっては、神に愛されし者、ってことよりも、手で投げた石で相手を倒したってことのほうが印象的で、ダヴィデ=強い手!!ってことになっちゃったのかもしれません。ちょっと面白いですね。
ミケランジェロは、どうやらこれをサヴォナローラの説教で知ったのではないかといわれています。サヴォナローラはダヴィデの詩篇に関する説教などにおいて、"David id est fortis manu.(ダヴィデ、それは強い手)" "David vuol dire pulcher aspectu et fortis manu.(ダヴィデとは魅力的な姿と強い手のこと)"とか言っているそうです。後者にいたっては、「強い手」だけでなく、「魅力的な姿」までつけて、盛りすぎじゃないかって気はしますが。
つまり、ダヴィデの右手がごついのは、この間違った由来のおかげなのです。ちなみに、キリスト教としては右が正義の方向になります。英語でもrightですしね。考えてみたらイスラムでも左は不浄ですし。なんでも、身体特異性仮説ってのがあって、ヒトは利き腕側を良いと感じるという説があるそうです。でも、日本はどっちかというと左のほうが位が高かったりするので、まぁ、どの程度、文化、意味付けがつながっているかはわかりませんが。
とりあえず、ミケランジェロの「ダヴィデ」の右手がごついのは、そういうことなのです。
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