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美術品を見る、という行為について(その1)

**美術品を見るって、美術館や展覧会の特権なんだろうか?または美術品を所有すること **

一昨日、
書籍「美術館の舞台裏」を紹介した記事
の最後の方で書きましたが、「美術館という展示形式は本当に好ましいのだろうか?」という私の疑問についてしばらく考えてみたいと思います。

これにはいくつかのファクターがあると思っていますが、これまた以前
「クリエイターは何人のファンを持てばよいのか」
で問題提起した一対一の関係であるかの幻想や一対多数によって希薄化される気持ちといった概念も関わっていると思います。とりあえず、この2つの軸で展開してこうかと思います。

まず、美術館または展覧会という形式は、作品が一か所に集められたところに、多数の人がやってきて、それ見るという当たり前のこと確認しておきましょう。つまり、作品(そしてその作り手)と鑑賞者の間には一対多数の関係になっているわけです。
その代わり、鑑賞者はその作品を所有しているわけではないし、見る時間も制限されるし、触ることもできないわけです。これが所有者という作品に対して一対一の立場であるなら、これらの制限がない(まぁ、貴重な作品であれば所有者であっても自由にはできないかもしれませんが)わけですね。
つまり、私たちは安いお金で貴重な美術品を見られる仕組みとして「美術館」や「展覧会」を享受してますが、じゃあ万全に美術品のすばらしさを享受できてるのかというと、そこんところは心許ないというか、そんなものかと思って忘れてしまっていることが多いんじゃないのか、、、そして、実はその欠落した部分に、芸術を享受するのに大事な部分が取り残されてるんじゃないか?ということです。

今回、私が提唱したいことは、美術館や展覧会を好きな人は

お気に入りの美術品を1つは手元に持って見て、美術品を見るとはどういうことかを家の中でも実践してみよう!

**ということです。 **

えーっ、そんなこといったって、美術品一点だって、有名な作品って、何千万円、何億円、果てにはオークションで100億円以上なんていう作品もある中で、そんなの美術館以外でなんて無理じゃん!!無理無理!!っていわれちゃうんでしょうけど。。。

さて、いつものように少し話が脱線します。
テレビなんかで、芸能人やセレブの豪邸訪問みたいなのって情報番組やバラエティ番組でやってたりするじゃないですか。で、家が立派なのは当然として、ブランド物服であったり、宝飾品だったり、いろいろすごいですねぇ、って感じでテレビで紹介しているのをみて、そういうセレブや芸能人の豪邸にすばらしい絵画や美術品が飾ってあって、っていうのをあまりみかけないように思いません?
もちろんカメラに写ってないだけかもしれませんけど。
まぁしかたないのでしょうけど、ブランド品を山ほどもってる、宝飾品を山ほどもってるっていうセレブのイメージには、貴重な美術品や絵画を持ってる、飾ってるってのは含まれないらしい。。。それって、まぁ俗っぽいかもしれないけれど、芸術はそれほど大衆的なものとして、わかりいいとは思われてないってことを示してもいるわけで。
つまり所有物としては別の世界のものと思われてるってことですよね。ここがまず大きな溝というか壁というか、最初に述べた美術品は美術館で見るもの、という固定観念ともつながる1つの大きな勘違いではないのか、というのを指摘したいのです。

ええっ、美術品を持つっていうの?という疑問を持つ人も多いとも思います。でも、じゃあブランド品のカバンや財布とどう違うの?と問い直すこともできます。

もちろん、カバンや財布は日常使用するものでしょ、と反論されるでしょうけど、では部屋に飾ってあるものは日常使用品とはいえないのでしょうか?
もしとっておきのブランドの持ち物を一点持っていたとして、それはたまにしか使わないとしたら、その使用頻度と、普段壁に一点お気に入りの絵を飾ってあるのと、どちらが使用頻度として高いといえるのか、楽しみとしてどちらが大きいのか、と考えてみることはできないでしょうか?

次に出てくる疑問は、それでも絵とか美術品って高いでしょう?という疑問です。それはきっと世間で何億円で取引されているニュースを見ているからで、美術品だって高いものから安いものまであるわけです。
ヴァイオリンだって何億円もするストラディヴァリウスから、数十万円十分実用に耐えるのがあるようのと同じです。

世界には有名な美術品コレクターと呼ばれる人々がいます、そういう人々はほとんどが富豪で、有名な作品を所有していたり、そして場合によっては所有作品を美術館に貸し出したり、寄贈したりしています。
そうでなくてもセレブと呼ばれる人々で美術が趣味でお気に入りの美術品を買い集めている人もいます。最近でもギタリストのエリック・クラプトン氏がゲルハルト・リヒター氏の作品を売り出したりもしてました(リヒターのコレクターとしては知られてましたしね)。そういえば、みなさんがコンピュータのウィルスソフトウェアでお世話になっているかもしれない、ノートンシリーズの最初の開発者だったピーター・ノートン氏は自分の事業を売り払った後は現代美術のパトロン、画商としても活動しており、ノートンコレクションといえば、現代美術のコレクションとして知られてましたし、彼の事業を継承したシマンテックの本社なんかにはノートン氏の現代美術コレクションの作品の現物が飾られたりもしてますしね。

そういう意味では日本はやはりコレクターずっと特殊に見えるかもしれません。それでも美術作家の村上隆氏は個人でも大量のコレクションを持ってらっしゃいますし、日本の現代美術においては精神科医の高橋龍太郎氏の高橋コレクションはまさにサブカルと現代美術が一緒になりはじめて以降の美術を概観できるようなコレクションです。ご本人に言わせると、安いときに作者から直接とか気に入ったものを買ったからこれだけあるけど有名になったら(高くて)全く手を出せないとおっしゃっていましたがwww

ここまでの話を読んでも、それって結局はそこそこお金がある人だからこそコレクションできるんじゃん!!一般人が買うなんて無理だよ!といわれちゃいそうですね。
でも、最後の高橋氏の発言にあるように、気に入ったものを安いときに買った、という言葉にあるように、自分の気に入ったものでもちろん予算に合う物を手元に持ってみる、というのがコレクションの基本であり、同時に、美術品をそうやって手元に持つことが、美術品を見るとはどういうことかを日常に持ち込むと同時に、じゃあ、美術館や展覧会ですばらしい美術品を見るとはどういうことかを考え直す機会でもあると思うのです。そしてそれをぜひ、美術や芸術を好む人にはやってもらいことでもあるのです。

つまりは、みなさんコレクターになりましょう、という話ではありません。
とりあえずは、好きなものを1つ(絵でも、写真でも、版画でも、彫刻でも、茶器でも、オブジェでも)持って次のようなことを確認してほしいわけです。

高い美術品だから持つ価値がある、というわけではない
気に入ったものを身近においてみる
・**毎日眺めてみる、触ってみる **

次回は、もっと美術品を見ることを掘り下げて、さらに西洋美術と日本美術の違いを含めて考えてみたいと思います。

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