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菅原明朗を知っていますか?

2月14日にオーケストラ・ニッポニカの演奏会があります。このオーケストラは、今まであまり振り返ってこられなかった第二次世界大戦前後を中心に活躍した日本人作曲家の作品を多く取り上げ録音もしている大変、貴重で奇特なオーケストラです。そんなニッポニカが今回作品を取り上げるのが菅原明朗(1897〜1988)とイルデブランド・ピツェッティ(1880〜1968)です。

菅原明朗という作曲家をご存知でしょうか?
私がこの名前を初めて知ったのは秋山邦晴が「日本の作曲家」(1983)の中でページを割いて、これほど日本の音楽史に影響を与えた作曲家が全く振り返られず、他国ならそれなりの敬意をもって国からも遇され演奏会も主催されるであろうことを嘆く文章を読んだことでした。へぇ、そんな作曲家がいるのかと思って調べようにも楽譜は出てない、録音は探してやっと崎元譲独奏の「ハーモニカ協奏曲」のレコードくらいしか見つからなかったのでした。そんな興味は持ちつつ、情報がほとんどない作曲家という感じだったのです。実際に作品に触れられるようになったのは、この10年ほどなんですけどね。。。

亡くなったのが1988年というとまだ四半世紀程度前ですが、91歳まで長生し、弟子が筆を持ったまま亡くなっているのを発見した時、その机上にはカンタータ「ヨハネの黙示録」のスケッチが残されていたという亡くなるまで旺盛な作曲活動を続けた作曲家です。生まれたのは1897年。日本の音楽史から見れば、山田耕筰、信時潔より10年程度後の生まれ、箕作秋吉と同世代(ですが、菅原氏に習いにきていた関係でもある)、この後に続く諸井三郎、橋本國彦、池内友次郎、松平頼則といった人々はみな20世紀生まれであることを思えば、日本の作曲の第一世代の作曲家ということができます。そして菅原明朗の大きな特徴は、山田耕筰、信時潔がドイツ音楽系だったのに対し、日本にフランス印象派の音楽の影響を受けた作風で作品を持ち込んだことです。戦前の代表作である「祭典物語」(1927)、「内燃機関」(1929)、「明石海峡」(1939)あたりまではその影響下にあり、戦後は急激にグレゴリオ聖歌、イタリア古典などの旋法的な新古典的作風になりレスピーギやピツェッティに私淑し、晩年までその作風が続き、全く前衛的な作風には縁がない作曲家でもあります(個人的には古典的作風を維持した日本人作曲家としては菅原明朗と原博が最も好きな作曲家です)。ある意味、氏にとっては作曲行為は宗教的信仰心とともに己を高める手段だったようです。戦後の代表作「交響楽ホ調」(1952)、チェロ協奏曲(1965)、「交響的幻影『イタリア』」(1968)、「ハーモニカ協奏曲」(1977)、「アコーディオン協奏曲」(1979)、「ファンタジア」(1981)などすべて新古典主義な色彩の作品です。

音楽家としてまず挙げられる功績は、1920年代に武井守成の「オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ」に参加して、マンドリンオーケストラの黎明期に作品、指揮などで大きな痕跡を残したことでしょう。作品にも多くのプレクトラム合奏のための作曲、編曲があり、亡くなるまで絶えることなく(晩年は編曲作品が多い(たとえば、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の編曲なんてのもあるし、バロックから近代まで幅広く編曲してます)ですが)プレクトラム合奏との付き合いはあったようです。

でも菅原明朗の作曲での最大の音楽史的偉業は、日本の創作オペラ、大衆オペラとしての嚆矢となる永井荷風台本によるオペラ「葛飾情話」でしょう。浅草オペラ館で1938年5月に10日間に渡って上演されたこのオペラは連日満席の成功を収めたことが荷風の日記「断腸亭日乗」
や当時の記録、様々な証言でわかります(そして荷風らしく、2ヶ月もオペラ館に入り浸って踊り子たちを連れ出してはご飯を食べにつれていくのに劇場側が苦言を呈する、といったエピソードも断腸亭日乗には出てきますw)。
この作品は長らく、楽譜が戦災で焼けたと思われてましたが、1998年に初演時に主役を歌った永井智子(作家永井路子の母であり、後に菅原明朗の後妻となる)の遺品から全曲ピアノスコアが見つかり、1999年に荒川区民交響楽団によって蘇演(オーケストラスコアは弟子による復元)されることになります。荷風の述懐によれば、人生で最も嬉しかったことは上田敏先生に会ったことと葛飾情話の上演だった、ということらしいので、よほどお気に入りだったのでしょう。

菅原明朗には著作にも大きな仕事がいくつかあります。戦前に翻訳(戦後改版)されたリムスキーコルサコフの「和声法要義」の翻訳や「管弦楽法」などありますが、最も大きな仕事は「楽器図説」を著したことでしょう。この本は1933年に出版されたものを、大幅に改定し1976年に出版したものです。今でもこの本ほど読んで面白く、いろんな示唆に富み、著者の楽器に対する意見が明確にされている楽器系の本はないのではないでしょうか。冒頭から、この本は

「楽器の専門書でなく」「楽器の通俗書でなく」「楽器の図録でなく」しかし、「(専門家から
愛好家まで)いみじくも音楽に親しむ全ての人が知っていなければならない楽器に対する知識である」

と宣言しちゃいます。この大著に書かれていることときたら、親しむ人みんな知ってなきゃいけないとしたら大変です!w
著者による、楽器とはどういう条件を兼ね備えたものかという定義であるとか、序盤から読みどころがいっぱいですし、各楽器の詳細な説明、すべて読みどころといってよいくらいです。この大著について詳しく説明するのは避けますが、結構、古楽器と現代楽器を対比したところがあり、たとえばこんなフレーズに私は惹かれてしまいます。

「ピアノは面の楽器、チェンバロは線の楽器、前者は表情の楽器、後者は姿態の楽器と考えるべきである」
「ピアノは飛び道具、チェンバロは刀剣」である。
「ショパン、リストにはDスカルラッティからの流れがあり、そのスカルラッティはフレスコバルディからの流れがある。作曲家が電気楽器のマチエールと一如となった音楽を作る日はいつか」
「バロックフルートで現代のフルート曲を吹奏するのは絶対に不可能である。ところが、現在のフルートでバロックの作品を演奏したとしたら、その表現力はバロックフルートの半分の仕事さえできない。
現代のギターでワイスの曲は弾けるが、バロックリュートで弾いたワイスの曲の醍醐味は絶対に出せない。そのバロックリュートは現代のギター曲を弾奏する能力を持っていないのである。
挙げればいくらでも挙げられるが、是等の例は何を我々に思考させるのか?現在の楽器は万能に向かって発達したのである。それも楽形の演奏の多様能力に向かって発達したのである。その結果は?大半の楽器は個性を失ったのである。」
「古楽器は大体に入門はやさしい。一つの例であるが、横笛は練習しないと音が出せないが、竪笛は誰が吹いても音が出る。ところが、練習を始めると、現在の技術習得とは別の演奏習得の大きな困難に直面する。それは現代の音楽が忘れたものである。聴く人も、演奏する人も、曲を作る人も、楽器を作る人もの常識から消えたものである。」
「現在の楽器の方が鮮やかで歯切れがよいが、バロック・トロンペットの風格は絶対に表現できない。(中略(バルブの説明のあと))機械装置は技術を助けるが、技術を高くはしない。」
「楽器の構造と性格、及びその性能を最も知っているのは演奏家と製作者であるが、最も偏見を持っているのも演奏家と製作者である」

なんてすばらしいんでしょ!
管弦楽法や楽器図鑑を見てもわかるように、恐ろしく高い見識を持つ碩学であったにも関わらず、戦争を経過して組織的な運動からは距離を置き、音楽界の政治には近づかず、さらにその作風ゆえもあってでしょうが、戦後はほとんど大きな舞台に立つことなくひたすら自分のために作曲をし続け、知られざる孤高の作曲家になっていった感があります(ご本人は全然それでよかったのでしょうが)。晩年のエッセイは、愛したイタリアのことや、これまた愛好した日本の古い美術(天平文化あたりの仏像、東大寺の宗教儀式)といったものが多くみられます。そういう美意識は確かに前衛的な芸術世界とは無縁だったことでしょう。。。

創作意欲が亡くなるまで衰えなかった菅原明朗は、1930年代と並んで、1970、80年代が最も作品数が多く、オーケストラ曲、協奏曲、そしてプロテスタントからカトリックへの改宗後、多く作品を残す宗教曲(ミサやレクイエム、聖書物語など)が目立ちます。個人的には晩年に残されているリコーダーやチェンバロをといった古楽器を使った室内楽作品に興味がある。特に1984年に作曲初演されている、リコーダーとギターのための「マドリガル」と、リコーダー、ヴァイオリンとギターのための「メディタツィオーネ」がどんな曲なのか知りたいのでした。

現在、菅原明朗の管弦楽作品が聞けるCDはオーケストラ・ニッポニカが録音した「菅原明朗とその周辺」があります。ほかにもハーモニカやピアノ、フルート作品が単体でアルバムに含まれていたりはします。
菅原明朗自身が語る戦前の音楽状況や葛飾情話作曲当時のことについては、秋山邦晴「昭和の作曲家たち−太平洋戦争と音楽」に章が割かれています。
本人の書いた文章をとしては、没後に生誕100年を期して編まれた「マエストロの肖像」があります。この本には19歳の時の評論文から晩年のものまでがセレクトされてます。

もし、時間があるなら、14日のコンサートも聞きにいってみようと思いませんか?日本にこんな作曲家がいたんだ、と新たな体験ができる貴重な機会ですよ。(それが貴重でないくらい録音や演奏がされるようになるともっといいんですけどね)

(了)

本文はここまでです。
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