本名もハンドルネームも恥ずかしい
自意識過剰な話だけど、SNSのアカウント名をコロコロ変えてしまう。自意識過剰な上に飽きっぽいので、どんな名前にしてもすぐ居心地が悪くなるのだ。
本名でもハンドルネームでもそうだから困る。自分のツイートを見返した時、アカウント名を呼ばれた時、「Twitter教えて」と言われた時、恥ずかしさに泣きたくなる。
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本名は、単純に好きじゃない。漢字・ひらがな・カタカナのどれで書いても間が抜けている。だからといって「太ももぽっちゃり」「毒蝮四太夫」とかやっつけで考えると3日で冷める。
さっきまで使っていた「匿名のアノニマス」はめずらしく気に入っていた。だけど、無意識にiPhoneの画面に自分のTwitterタイムラインが表示された瞬間、やっぱり変えることにした。
ハンドルネームだと言いたいこと言えるけど、実名だとつい本音を隠してしまう。これは1月まで仕事で使っていた本名のアカウント。
このアカウントで1つのツイートをする時、私は毎回30分以上かけてうーんうーんと悩みながら投稿していた。いっぱい悩んで推敲して投稿しているのに、出社して「昨日のツイッター見たんだけどさあ」なんて言われると「消しまーす!!」と大声で叫びたくなるほど恥ずかしくなるのだ。なんてコストパフォーマンスの悪い・・・
でも、本名でやるメリットもある。信頼性が担保されるのでリアルでのコミュニケーションに繋がりやすく、”どんな人だろう? 探り合いタイム!”をパスしてスムーズに関係構築できる。
一方ハンドルネームは「こんな私になりたい!」を後押ししてくれる可能性を秘めている。ハンドルネームに理想のキャラを詰め込めば「自分ではない私」の人生を送れるかもしれない。
私も人格への鬱憤がまあまあ溜まっている方なので、違う人になりたいとハンドルネームを使っていたことがあった。でも、SNS上に新たな人格を創りだすのは意外としんどい。西加奈子さんと川上未映子さんの小説の登場人物から名前を借りて「エンキリコ」と名乗っていたんだけど、「お前誰や…」という感覚がいつまでたっても抜けなかった。「自分じゃない私」のキャラを確立させる大変さは、リアルで同じことをするのと大差ないんだなと思った。
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ああ、SNSの名前について1時間半も悩んでしまった……。
とりいそぎ「強いていえばいちばん抵抗がない苗字(ひらがな)」に変えてみました。
さよなら、匿名のアノニマス。