箱根駅伝
私は前まで駅伝とかマラソンは自分が見てて辛くなるので見れなかった。
旦那の家族が早稲田を応援しているので
行った年は必ず見ているのを気持ち悪くなるのを感じながら横目で見ていた。今思えば…
旦那家族はお母さんを筆頭に大卒…私とお父さんだけが高卒。だからお母さんからは黙ってなさいと私に言う。数年前までは絶対勉強することなんてこの先ないだろうと思ってた。
それが、5年前のある日職場の先輩のミスで大怪我をおって入院した。1ヶ月半…。
退院しても障害が残って元の職場に行くのは怖かった。同じ部署で働くのも。先輩は非を認めず謝らなかった。
腐りそうになる私を、私はもうこんな人たち信じるか!と思った人達が支えた。
支えてくれた人は職場の人では無かった。なんの利害もない、頑張ったって何の役にも立たないと思っていいそんな人達が、腐っちゃいけないよと支えてくれた。
退院して6ヶ月のリハビリしても動かなくて痛みで気が変になるケガとの戦いで医師に言われた
再入院、再手術。でもやったからといって、治るかは分からないし、動くか分からないと言われた。ただ、神経を圧迫してるものを取り除けるから痛みは楽になるかもしれないと。
最低1ヶ月位はまた入院になる。
子供2人…旦那は単身赴任…。息子生まれた日からずっと単身赴任。事故で、入院してる間職場に無理言ってこっちに居たけど、本当は会社は損失が凄いし、それでも子供は遅くまで2人で過ごす日が多くなる。それでもこの痛みを我慢もできないし、人参ひとつ切れないままでは…。
事故の少し前、私は転職して調理師を目指そうとしてた。料理人になりたかった。
でも退職願を出すと決めた日事故は起きた。帰宅して退職願書いてと決めた日の朝。
イライラした先輩が、大きな刃物の着いた機材を後ろ見ずにほおり投げた。閉まってればタダの箱…出していれば刃物。逃げきれなかった左手の人差し指をほぼ、切り落としてた…。たかが、人差し指1本のハズだった。
痛みで意識を失いかけた私を支えたのはあざ笑う先輩の声だった。
受け取り損ねたの?ダサいわね。馬鹿じゃないの?切ったの?傷から毒はいるわよ。手でも洗ったら?と
私は右手で左手の人差し指を抑えたまま、顔を上げて言った。
指が動かないので救急車を呼んでください
と。
嘲笑い罵倒する先輩に普段ならヘラヘラ笑ってそうですねと言ってた私が面と向かって
早く呼んで貰えませんか?動かないんです。動かなくなると困るのでと言った。
でも動かない傷口見せてみろという。
多分この手を離したら血が吹きでますよと言ったけど見せろと聞かないので見せてやった。
指の先はありえない方向にぶら下がり骨やらなにやら見えていた。
先輩はその場に腰を着いて何事か叫んでた。
上から申し訳ないが見下してしまった。
こんな弱い人だったのかと。
指を抑えたまま動き出した私に四つん這いになりながらよんでくると言って走り出した先輩が見えた。
目で追いつつ2階の上司たちに嘘を言われないように気をしっかりしなくてはと思った。
何人もが降りてきた。
事故の詳細を伝えたが救急車が来るまで1時間近くかかった。
救急車で病院に運ばれる間も救急隊にかわるといわれても手を離さなかった。
1度目の手術が始まるまで私は指が元のように動くと信じてた。
後で知った私が自分で抑えてしっかりしてたから
医師は腱や神経血管がまさか全部切れてると思わなかったと。せいぜい1本程度だろうと…。
局部麻酔で手術が始まったのは切ってから6時間近くたった頃だった…。
手術が始まっても冗談を言う私に顔しかめた医師団が最初2人だったのが最後は4人
麻酔も通常入れられる量を超えていた。その声を聞いてから麻酔が切れたことも言えなくなった。
痛そうにしてる姿をみて切れてると言って追加していく腱も神経も血管も縮んで見つからなくなっていた。
やっとのことで手術が終わったのは始まってから6時間近く経っていた。それが一度目だった。
手術中1度だけ私は泣いた。それは医師に跡縫合したら手術は終わりです。と言われた時になにか聞きたいこととかある?と聞かれ
私の指は前のように動くようになるでしょうか?と聞いた私に
下を向いてから目を私に戻して
動くと言ってあげたいですが、動くよう出来るうる限りの努力をしましたとしか言えません。動くかどうかは今後の…その言葉だけで先生はまた下を向いてしまいました。
きっとこの時先生は無理だと思ったのかもしれません。
でも嘘でも動くと言ってしまえば良いのにな真面目だなと思う反面
動かないのかと思って自分の事を哀れんでいました。
でも、少しだけ
指は繋いでは下さったんですよね?と泣きながら聞きました。
先生もまた目を見てはい…と答えてくれました。
その時良かった。と
子供に夏も手袋してる母親ではなく居られると。思いました。
話は脱線しましたが、
2度の手術と、リハビリが終わり、前の職場に戻った時足が震えました。
先輩は私が戻る3ヶ月くらい前に1ヶ月の無断欠勤の後、旦那さんが退職願を持ってきて辞めたそうでした。
数日頑張りましたが仕事を変えようと思いました。その時図書館のバイトに入ってここで正規の職員として仕事をしたいと思いました。
でも、司書は最低短大卒だったんです。
そこから私の大学生活が始まりました。それが2年前。短大卒と、司書の資格は今年3月でとれるはずです。
こんな風に勉強をすると思ってなかった私は頑張るということ苦しいことも努力するというその先にあるものを見るという頑張る彼らを見るということを苦しく感じなくさせたのかもしれません。
そして、この後またさらに勉強をしたいと思えるようになりました。
怪我も怪我をさせた先輩も好きに離れないと思います。
でも、今の私は彼女も怪我も恨んではいません。
寧ろありがとうと今思っています。
指が、この指の怪我があったから今の私があるのだと思っています。
箱根駅伝の選手達頑張って!この後私が学びたいと思ってる学校の選手頑張れ!