【失敗する練習】〜練習の目的は「成功」ではなかった〜
僕のラグビー塾には手本がある
コーチングの師匠である井上正幸さんと林大成選手が主導でやっている練習、通称「ガチトレ」と呼ばれている練習だ
今の【らぐびーくえすと】の始まりがこれであると言って良いと思う
この動画をアップされる度に見ているうちに自然と「こんな風な練習風景いいなぁ」と思っていた
ざっくり言うと、井上正幸さんがコーチ役で林大成選手がキャプテンみたいな感じで、その日に集まれる仲間達が集まって色んなスキルを練習していくという事
何が良いのかと言うと、まず「井上さんが教える場」ではなく「みんなで学ぶ場」である事
メニューは井上さんが決めるのだろうけど、あとはみんなで話し合いながら進んでいく
「この練習もっとこうした方がいい」
「ここを気をつけたら上手くいけた」
など、プレーヤー同士が意見を交わし合って上達を目指す
井上さんはその間自分の意見ももちろん言うが、どちらかと言うと「指導者」というより「司会者」に近い
その「みんなで学ぶ場」の空気感がとても好きだった
そんな事を思ってた頃にそのガチトレに参加していた森崎陸選手(現・豊田自動織機シャトルズ愛知)と話す機会があった
彼とは井上さんを経由してクラウドファンディングをやった仲間だ
僕が「ガチトレ好きなんよね」と言うと彼は賛同してくれて
「あんなに失敗していい練習は経験ないかもしれませんね」と言った
聞いた時はなるほどと思ったけど、よくよく考えると【失敗していい練習】って変な言葉だ
上手くなる為に練習する
失敗を重ねて上手くなる
成功する為に練習をする
そんなのみんな知ってる事だ
なのに、練習で失敗しないようにする
言葉だけ見るとめちゃくちゃだ
その真意を突き詰める事なく、ラグビー塾を始めてから僕は何度も「失敗していい」と言い続けた
練習4回目だったかな?1人の選手がもう1人の選手に「失敗してもいいよー」と言った時に鳥肌が立った
何かが伝わってると感じた
だから、【失敗してもいい練習】の真意を考えてみた
例えば、野球で「ホームランを沢山打てるようになりたい」と言って練習を始める
ある程度やった後に腰のひねりがあるともっと飛距離が伸びると指導する
その後何本かは腰のひねりを意識して練習をする①
しばらくすると、その意識が無くなりただホームランを打つ練習になる②
この①と②の違いが
①の時点での目的は【より沢山ホームランを打つ為の練習】
②になると【今、ホームランを打つだけの練習】
①では、当然新しい動きが加わるので一旦思うように打てなくなるが、【沢山のホームランを打つ】という目的の為には通過しなければならない過程だ
つまり、この【一旦打てなくなる】が【失敗する練習】となる
しかし本来の目的を忘れて目の前の結果だけを求めてしまうと②のようになり、結局何の練習したのかわからなくなってしまう
言葉にすると「当たり前じゃん」となるが、この現象は多くの現場で見てきた
そして、これは選手のせいではなく指導者の責任であると思う
選手は子供だろうが成年だろうが、目の前の結果を求めてしまう人だと考えておくべきだ
指導者はそうならないような、声かけや環境設定を作らなければいけない
このホームランの練習で例えるなら
「スタンド入ったけど、腰使えてないよ」
「全然飛んでないけど、今の良かった!めちゃ腰使ってた」
「失敗は全然いい!チャレンジしてみよう」
これを書いてて腑に落ちた言葉が頭に浮かんだ
練習の目的は「成功」ではなく「成長」
それが【失敗する練習】
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