#1|まずは今の状態になるまで
築40年の実家は、モノで溢れかえっています。
そして今、高齢の両親が片付けている。
ここまでの軌跡、そしてこれからのこと、書いていきます。
1.人物と背景
まずは、40年と少し前にさかのぼります。
私が小学生のころ。
東京の多摩ニュータウンの団地に住んでいました。
両親と、3つ上の兄と2つ上の姉の3兄弟。
2LDKなのかな。キッチンとダイニングは同じ部屋。
昔ながらの団地です。
その頃から、母はいろいろとモノを溜めこんでいました。
母終戦の年の生まれなので、その世代の人相応?に、モノが捨てられなかったり、食べ物も残さず食べたり。
でも、父(戦中生まれ)はモノはあまり持ちたくない。
シンプルに生きたい。
母とは逆の性格。
言いたいことを言えない母と、亭主関白気味の父。
そんなに仲良くはなかった。
2.埼玉の一軒家に引っ越してさらに増加するモノたち
私が10歳の1984年夏。
多摩ニュータウンの団地住まいから、埼玉の新築の一軒家へ引っ越しました。
多摩の団地は子ども部屋は1つしかなく、兄と姉と私が一緒の部屋だったので、もっと広い家に住みたいのや、知的障害を抱えた兄の問題など、いろいろあったんだと思います。
新しい一軒家でも、姉と私は同じ部屋で、一人の部屋は持てなかったけど、2階建てという、団地の時と違う家の構造に、まさに「となりのトトロ」の冒頭に出てくる、新しい家ではしゃぐさつきとメイのように、それはそれはおおはしゃぎで家の中を走り回っていました。
以前からモノを溜めこむ母。
新しい家でも続き、いつの間にかエスカレートしていったんです。
私が高校生か大学生頃には、母は更年期障害で、体調を崩したり精神的に辛そうだったりしていたけれども、父はあまりそれを分かっていなく、夜遅くに帰ると、いつも片付かない家にイライラ。
しょっちゅう母に怒っていました。
内向的で言いたいことを言えない母は、余計に辛そうになっていきました。
おそらく、そのストレスが、溜めこむ習性を強めたんでしょうね。
100均で買ってくるキッチングッズはまだよくて、家族には明らかに「ゴミ」となるものもたくさんあって。
カーペットの下に、父のタバコのケースを展開したもの(糊でついてるのをはがして、真っ平にした感じ)が入っていたり。
もう読んだのか分からない新聞紙の束があちこちにあったり。
お米のとぎ汁を一時的にシンクのボウルに入れておくのは昔からで、脂っぽいお皿を洗うのに使っているのかな?と思うけど、いつも白くドロドロしたものが置いてあって、ほんとに使ってるの?と不思議でした。
それから、ビデオテープ。
テレビが好きで、あれこれと録画するんですが、大量にあって。
そのうちDVDになり、ブルーレイなっていき、ビデオテープほど場所は取らないけど、家の中に山のようにあって。
しかも、それぞれに「0:00~1:00:00はなまるマーケット」とか時間と番組名をチラシの裏に書いた紙が入ってるんですよ。
家族からしたら、「ほんとにそれ全部観るの?」と思うけれど、母にはみんな、コレクションなんですよね。
そして、そのうち、家の中は、人が必要なスペース、つまり
「座るところ」
「通るところ」
の空間”以外”は、モノで埋め尽くされました。
そして、キッチンから廊下につながるドアと、両親の寝室と廊下をつなぐ扉は、開かずの扉となりました。
3.私の知らない時代
私は高校卒業後から1年後くらいには実家を出ました。
身体のちょっと不自由な父方の祖母のお世話をするために、おば2人の家に近いところに部屋を借りて、姉と住んでいました。
その後、私はアメリカに留学に行ったので、実質、19歳の時に家を出てから一度も戻っていません。
兄も姉もそのうち実家を出て、母は2階を自分の部屋にして、こもる時間も増えたようです。
かつて私たち子ども達が暮らしていた空間にも、母のモノはどんどん置かれていき、モノの量はどんどん増えていきました。
4.業者に依頼してみる
長年そんな感じなので、これまでも、業者に依頼したことはあるんです。
父の知り合いのモノを持って行ってくれる業者にお願いした時は、そのおじさんが上手に母を上げて?くれて、怒ることはなく、協力してくれました。
少しモノが減る。
が、それはほんの一時で、また溜まる。
それの繰り返しでした。
もう母を旅行とか数日間家から離して、その間に一気に片付けてしまおうかとも考えたりしたんですけどね。
父曰く、勝手に捨てると、ものすごい鬼の形相で怒るのだそう。
ちょっとでも新聞紙の束を捨てた日には大変だったとか。
私も母にあーだーこーだと言う日々が続きました。
一旦リセットして、その後母のやり方やってみてよ、とか、母だけの家じゃないんだよ、とか。
でも全然ダメ。
「うん、分かってる」
「少しずつやってる」
「自分でやる」
これの一点張り。
父も諦めていました。
昔父は、「畳の部屋で、新聞紙を広げて読みたい」と言っていました。
そんなシンプルなことだけど、絶対叶わない。
父も母も苦しい。
どうにかしたい。
でも解決策がない。
そんな日々が何年も続きました。
5.いよいよ転機が訪れた!!!
40年以上ずっと片付かなかった実家。
それが大きな変化を迎えます。
2022年秋。
父から、電話がかかってきたんです。
電話なんてめったにかかってこないので、いつも電話がかかってくるとドキドキしちゃう。
出たら、父の辛そうな声。
もうこの家での生活がつらい。
お母さんはモノを減らすどころか歩くのも大変なくらいだし。
この先もうこのままで行くしかないだろうから、それを思うと憂鬱だ。
みたいなことでした。
電話してきてまでというのはよっぽどなんだなと。
(まぁ高齢だし、LINEでメッセージ書くのも面倒だろうけど)
ここまで父は苦しい思いを持ってきて、もう限界なんだ、と私の心にも重くのしかかりました。
これは私も重い腰を上げなければいけない。
でも、これまでいろいろやってきて、ダメだったわけです。
打開策がない。
でも父が困っている。
どうする?
知人に聞いてみたりしました。
とりあえず、自治体のそういう相談窓口があるから聞いてみるといい、となって、電話してみました。
そしたら、定期的に訪れている支援センターの方で。
いろいろ話を聞いてもらい、私も実家に時々顔を出して、少しだけど、片付けを手伝うことに。
ただ、その頃はそんなに劇的に変わらなかったんです。
大きく変化が来たのは、その次の春でした!!
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