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#5|モノ中心の人生?自分が主軸の人生?

溜め込み症の母の片付け問題。
前回までのお話はこちら。

<これまでのあらすじ>

約40年間、母の溜め込む習慣が続いたが、父の腰の手術をきっかけに、2023年春に、最低限の「父が通るところ」を目標にして挑んだ片付け。

頑固で片付けなかった母が、思いのほか、張り切って片付けてくれて、私も手伝って、なんとか生活ができるレベルまでにはなったのでした。

さらに片付けが進み、私がいなくても母自ら片付けるように。前回はビデオテープ500本を廃棄!


1.モノ中心の人生か自分が主軸の人生か

実家の片づけをする前、私自身の片づけもガッツリやりました。
実家ほどではないけれど、ずっと片付けたいと思っていたので、その機会が来て、数か月かけてやったんです。

そこで価値観の変化もあったし、その後の心や価値観の変化もありました。
どんどんアップデートされていくんです。

さらには、物を捨てられない、という友人と最近、数時間語ったりもしました。

実家の片づけも含め、思ったのは・・・

捨てられない人、というのは、モノへの執着が強い人

なのかなと思いました。

そういう人は、
モノが中心になっているんです。
その人にとって、
「モノに価値がある」んです。

だから、「捨てる」ということは
「この(価値のある)モノはどうなる?!」
(かわいそうとかもったいないとか)
という感覚。

でもね。
本来は自分が主軸であるべきだと思うのです。

自分がどうしたいか?どうありたいか?
モノ、ではなく。

自分が主軸なら、「モノ」にそれほど執着しなくなるんですよね
価値が一気になくなる、だから捨てられる。

前回書いた、母にとってのビデオテープ500本は、
「価値のあるもの」
から
「今の私には必要なく、玄関を邪魔しているもの」
になった
のだと思うのです。

自分の家が片付きつつある中、自分のいる場所、さらには自分のことを考えたら、「玄関にあるビデオテープ500本」は価値がなくなったんです。

そこに気づけば、

じゃあ今の私はどういうところで暮らしたい?
どんな家だと快適?
どんな家だと幸せを感じる?
ステキな私はどんな格好(服、アクセサリー、髪型、髪質・・)をしてる?

という視点が生まれて、ふと周り(家の中)を見ると、
「あれ?これいらなくない?」
「こんな汚いもの、古いもの、ステキな家でステキに暮らす私には合わないわ~!」
と、一気にモノの価値が変わるのです。


2.この秋また進めます

季節は夏になり、危険な暑さになってきたので、私が手伝うのは一旦ストップ。
両親も、ほどほどにやれることをやるだけにして、秋を待つことに。

そして、そろそろその秋がやってくるーーーーー。

この秋は、いっぱい片付けるぞ!!~


秋に再スタートした片付けはこちら


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