見出し画像

【連載小説】いつか見た夢 5

幕が下り、店内が闇に包まれる。
ほんの数秒の静寂のあと、ゆっくりと灯りがともり、現実が戻ってくる。
──忘れてしまった「一番大切なもの」に向き合う。
そんな話だった。
私にとって、一番大切なものはなんだろう。
失うことを恐れているものなら、すぐに思い浮かぶ。
それは、家族。
いつかは、先に旅立ってしまう。
最近観る作品は、ことごとくそれを突きつけてくる。
避けようとしても、問いかけられる。
今まで目を背けてきた恐怖。
心の奥に押し込めていた不安が、静かに溢れ出す。
気づけば、涙が頬をつたっていた。
私にとって、劇は感情を解放してもいいと思える空間だ。
だからこそ、これまで目を背けてきたものと向き合わされる。

それは、他者の「死」を受け入れる覚悟。

両親だけでなく、いずれは叶も先に旅立ってしまうのだろう。
誰かを見送ることへの恐怖――「死」を突きつけられるたびに、胸が苦しくなる。

でも、叶になら。
この気持ちを打ち明けても、きっと受け止めてくれるはずだ。

周囲からも、鼻をすする音が聞こえる。
きっと、この作品から受け取ったメッセージを、それぞれが噛みしめているのだろう。
そんな空気を、一変させたのは──
先ほどまで舞台に立っていた俳優たちだった。
「それでは、アフタートークを始めます!」
舞台が終わり、静かな余韻が広がる店内に、司会の声が響いた。
照明が少し明るくなり、先ほどまで舞台に立っていた俳優たちが、ひとり、またひとりと席に着く。

彼らの表情には、舞台を終えたばかりの熱がまだ宿っているようだった。
「まずは、ご来場いただきありがとうございました!」
出演者が一斉に頭を下げると、店内に拍手が広がる。咲も手を叩きながら、叶と視線を交わした。ほんの数分前まで、彼らはまるで別の世界に生きる登場人物だった。それが今、同じ空間で言葉を交わそうとしている。
「今回の作品、『エイリアンハンドシンドローム』は、このお店の出港作品であり、そして銀座でのフィナーレ作品でもあります。改めて、この場所で公演できたことを心から感謝しています」
マイクを握る役者の声には、名残惜しさと誇りが滲んでいた。
「実は、この公演が決まったとき、『またこの作品を演じられるんだ』っていう喜びと同時に、『この場所での最後の公演になる』っていう寂しさがありました」
そう話すのは、物語の中心人物を演じた俳優だった。
「でも、幕が上がるたびに思ったんです。ここは『終わる』んじゃなくて、『一旦の停泊』なんだって」
その言葉に、客席のあちこちで頷く気配がした。
「ぼくたちは俳優として、この場所でたくさんの作品を生み出してきました。でも、それを受け取ってくれたのは、ここにいる皆さんです」
舞台上からではなく、同じ目線で語りかけられる言葉が、じんわりと胸に染みる。
「このお店でしか生まれなかったものがある。けれど、このお店で生まれたものは、きっとここだけに留まらず、これからも皆さんの中で生き続けると思っています」
「だから、またいつか、どこかの港でお会いしましょう」と視線を客席に巡らせた。
その目はどこか寂しげだったけれど、強い光も宿している。
温かい拍手が店内を包み込んだ。


咲は静かに手を叩きながら、ふと叶を見上げる。
「……停泊か」
ぽつりとつぶやく咲に、叶が目を細めた。
「うん。また出航する日を、待ちたいね」
照明が少し落ち、次第に客席は日常へと戻っていく。
でも、咲の心の中には、この夜の記憶がずっと灯り続けるような気がしていた。



いいなと思ったら応援しよう!