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「ひろの式カタカムナ」徳を積みなさいと神様からのお言葉をいただく

こんにちは。
福豆です。

私、福豆は7月から民生児童委員を拝命いたしました。
民生児童委員とはどういうものかというと、常に住民の立場に立って相談に応じ、及び必要な援助を行い、もって社会福祉の増進に努める社会奉仕者であるということです。

その他にも、有り難いことに地元地域にある団体などの役割をもらい、誰かため、何かのために「行動する」ということが多くなっています。

こんなに引き受けて良かったのだろうかと若干後悔の念を抱きつつ、ボアンティアやそれぞれの行事で活動しています。
ただ、全て自分で思ったことを引き寄せているので、文句の言いようがないのですけど。

実は、民生児童委員は2年ほど前に、「多分、いつか近いうちに民生児童委員やるだろうな」と思ったことがあったのです。
常に頭の中にあったのではなく、一瞬ですが、そう思ったことがあったのでした。

そんな、日々を過ごす中、先日神社へ参拝し、おみくじを引いた時の神様からの教えに
「無理に入れれば袋が裂ける、地位も名誉も神まかせ
一升枡には一升しか入らない。無理に入れればこぼれ、欲張って押さえつければ枡は壊れる。地位も名誉も財産も身分不相応は災いのもとである。神様御相手に、世の為、人の為に尽くして徳を積みなさい。徳を積んで心の器を大きくしなさい。心の器に授かる神の賜える宝ならば永久に逃げはしないのだから」
とありました。
その言葉を読んで、「目頭から後頭部を何かが突き抜ける」ような感覚がありました。ちょっと言葉でうまく説明できないのですが。

その言葉はまさしく、今の私に向けた言葉なのだと素直に受け止めました。
誰かのために行動するということだけではなく、日々の生活の中での気遣いや心がけも神様が言うところの「徳積み」になるのかと思います。

以前の私では、とても奉仕者という役割などできるような人間ではなかったのですが、ひろの式カタカムナを始めてから少しづつ内側から浄化され、自分自身が変化している実感があります。

あとはやっぱり「私は運が良い!」と常に思えるような心持ちでいること。
いつもニコニコと陽気に暮らすことなのだろうとあらためて思った神様からの教えでした。

神様は人間の内側まで見ているとは本当にその通りですね。

「ん? ちょっと待って!」
ということは、このような神様からのお言葉をもらえた私は神様の視界にしっかりと入ることが出来ていると思っていいのかなぁ?

もしそうだとしたら、ひろの式カタカムナを信じてコツコツと続けていることは本当に間違っていないと思いました。

今後、どんな人生に変わっていくのか自分では予測ができない分、とても楽しみな部分でもあるのです。
もちろん、これから「渦」というものはあるでしょうけど、未来を心配することに心を置くより、「今」に心を置きたいと思います。
今は欲張らず、心静かに生きております。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
また、変化があったら投稿いたします。
今日はここまで。
ではまた。







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