【自己紹介】ざっくり経歴と医学部志望のきっかけ
こんばんは。前回の投稿は勢いで始めたものの課題の期限が差し迫っていたのでほぼ何も書いていないに等しいですね… 改めて初めまして。くもです。今回はタイトルの通り何者かを知っていただきたく思います。
1.14年間女子校
幼稚園から高校まで一貫の女子校に通っていました。つまり14年間ほぼ変わらない仲間と過ごしていたわけで。
え、14年女子校?と驚かれた方もいるかもしれませんが事実です。大学で初めて共学なるものを体験しています。何という箱庭状態。モラトリアムと言えばマシかもしれませんが、同年代の異性と全く関わらずにいるのもどうかと思います。
娘を女子校にいれたいと考えている親の方々。女子校にいるメリットはもちろんありますが、社会に出たときには周りにドン引きされることは確定しています。今一度お考え直しを。
2.1年の留学
しかし私は14年間ずっといたわけではありませんでした。一回親の仕事の都合で中3から高1の間はイギリスにいました。このイギリスでの生活が刺激的で、日本に帰ってきたときに家族や友達、先生に「性格明るくなったね」と言われるほど生まれ変われた期間でした。この時のこともまた追ってシリーズにして書きたいと思います。初日からほったらかしにされて制服も買えず、最初に受けた授業が日本語だったりとか。
イギリスでの生活が私の英語力をかなり上げてくれて、大学受験に大いに役立ちました。ほぼ英語に時間を割かなくてよかったのが勝因の一つかもしれません。
高1の夏に戻る予定でしたが、そのまま残るという選択肢もありました。しかし将来医師になって日本で働きたいとなった時に日本の医師免許はまた別に取らないといけなくなること、イギリスでいわゆる医学部に入ることがかなりの狭き門だということを考慮して戻ることを決めました。
当時私は能天気だったので現役で入ることしか考えていませんでした。しかし冷静に考えてイギリスではほぼ理数系をやっていなかったため、単純計算で1年弱勉強が抜けていることになり、浪人覚悟だと母は当時思っていたようです。なんならイギリスに行くと決めたときに医学部は諦めると思っていたということを最近知りました。
3.受験期
帰国して、勉強のブランクもあるから普通医学部を目指すなら勉強ばっかりするはずですが、高2では部活を兼部し、片方は部長を務め、委員会にも所属していました。放課後がすべて埋まるという到底医学部受験生には思えない生活でした。塾にかろうじて行っていたものの帰ってきたら復習もろくにせず寝るだけ。今思うと受験をなめてるとしか思えないですね…
高3になるとコロナで学校が1学期全てオンラインになりました。それが良かったのか悪かったのか…。気が緩んでいたのは事実で勉強をまともにしていなかった記憶もあります。秋から本腰を入れて受けた推薦の試験で、受験の厳しさと自分の力不足を痛感したのは苦い思い出です。
そこから立て直し、私立専願だったので共通一次もそこそこに苦手を潰すことを意識して2月を走り切りました。幸いにも正規合格をいただいて今に至ります。医学部受験でどれだけ基礎が大事かということ、これをメインに医学部関連の話ではしていきたいです。
4.医師を目指したのは
はっきり現実味を帯びて医師になろうと思ったのは高2の三学期に亡くなった祖母が理由です。小さい頃から医師になりたいと言っていた私をいつも応援していてくれた祖母が喜んでくれるのは私が医師になることではないか、と思い、医学部を目指す気持ちがしっかり固まったのだと今では思います。
私の両親は医者でもなんでもなく、ドが付くほどの文系の家系でした。しかし幼い頃母や祖母が「あなたが治してくれたらいいな」と何気なく言ったその一言を真に受けてじゃあ医者にならねばと思ったのが一番最初のきっかけでした。
思った以上に険しかった医学部受験の道でしたが、自分がなりたいという気持ちと母のサポートがしっかりあったから合格できたのかなと思っています。今医学部に入って高校4年目みたいな生活を送っていますが、日々学ぶ内容は興味深く、間違っても物理学科や工学系に行かなくてよかったと感じています。物理・化学選択でしたが物理とは仲良くなれずに終わったので…(医学部の授業で物理ががっつりあって助かっているのは事実ですが)
さて、大体ではありますがこんな医学生もいるのだと知っていただけたなら嬉しいです。日々の気づいたこととか受験、イギリス生活について投稿していきたいと思いますので、よろしくお願いします!
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